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一 土方歳三之章:Spirits

士魂(四)

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 鶴ヶ城の堀の西に接した藩校、日新館は、堂々たる門構えと広い敷地、いくつもの教場を有している。
「立派なもんだな」
 門をくぐって早々、俺はつぶやいた。
 回廊状の建物が敷地を巡っている。回廊の内側に庭を、奥に最も重要な建物を配する建築は中国古来の様式なのだと、中国史や朱子学が得意な盛之輔が解説した。
「昔の中国では、帝《みかど》に仕える役人になるために、科挙という試験があったんだど。四書五経を暗記して、有名な詩や賦も沢山《でっこら》覚えて、政治と朱子学の論文も書き慣れていなければならねかったそうです。おらも暗記は得意だけんじょ、四書五経の全部は諳《そら》んじてねぇなし」
 健次郎は眉間にしわを寄せた。
「私は、二千年も前に書かれた四書五経の暗記が今の政治の役に立つとは思いません。朱子学だって、七百年も昔の学問です。今の日本の理屈に合わねぇことも多いのだから、何でかんで身に付けねばなんねぇ学問ではねぇはずです」
「一人前《いっちょめ》こいてるけんじょ、健次郎さんの朱子学嫌いは兄《あん》つぁまの受け売りだべ」
「単なる受け売りではねえ。正しいと思うから言ってんだ。朱子学は古臭え」
 言い合って睨み合い、肩をぶつけ合って、今度は笑い合う。
 ころころと表情を変えては楽しげな盛之輔と健次郎の後に続いて回廊を歩き、学問の教場や武道場、水練用の池を見学した。鍛錬を積む少年たちがどの場所にもいて、俺に気付くと、大きな声で挨拶をする。
 師範を務める武士たちとは、城で幾度も顔を合わせている。蘭学所の師範、川《かわ》崎《さき》尚《しょう》之《の》助《すけ》がわざわざ駆け寄ってきて、怪我の具合など尋ねてくれた。
 江戸で学問を修めた川崎さんは博識で、頭の回転が速い。川崎さんとは以前、砲術から軍制、新撰組の台所事情に江戸の四方山《よもやま》話まで、議論が盛り上がったことがある。気《き》鬱《うつ》に陥《おちい》りかけた俺にはありがたかった。あるいは、そんな俺を見兼ねて声を掛けてくれたのか。
 しかし、川崎さんが眉を曇らせていたとおり、日新館の教練で使う鉄砲や大砲は旧式だ。新しいものをそろえなければという危機感はあっても、実現するための金がない。
 会津の財政がかなり苦しいことは、京都にいるころから知っていた。一千人の藩士が国《くに》許《もと》を離れ、物の値段がひどく高い京都で守護の任に就いていたのだ。国許の出資は馬鹿にならなかっただろう。その上で新しい武器を買う余裕など、あるはずもない。
 日本じゅうの藩が似たり寄ったりの寒々とした懐《ふところ》具合だ。例外は、国禁を犯して外国との交易を続けてきた薩摩藩くらいのもの。
 会津の財政難は他のどの藩よりも、とりわけ根が深い。というのも、質実剛健で文武両道の会津の武士には、一つ致命的な弱点がある。金《かね》勘《かん》定《じょう》に疎《うと》いことだ。その疎さこそが美徳とされる傾向まである。商人のように意地汚くてはならないというのだ。
 軍議に出て作戦案を聞いたが、食糧や物資の補給について考えが回っていない。その場で農民や商人から取り立てればいいと言うが、強引な話だ。
 生きるために稼がねばならない農民や商人から財産を奪えば、会津は敵を増やしてしまう。しかも、自国の内側にだ。
「まあ、近藤さんも似たようなところはあったか」
 独り言をつぶやいて、唇の端で苦笑する。
 初めは二十名ほどだった新撰組は、最大で二百人を超える大所帯に膨れ上がった。近藤さんが新入隊士をごそっと連れてくるたび、金の遣り繰りに奔走したのは副長の俺だ。
 会津藩や幕府からの給金はあるものの、暮らしていくだけではなく武具もそろえなくてはならず、懐事情は常に苦しかった。大坂の銭貸しに頼み込んだ挙げ句、返せずじまいになった借金が心残りだ。
 やめよう。思い返しても仕方がない。
 きっと京都を訪れることは二度とない。新撰組の名は今でもこの会津で存続しているが、もう、あのころの新撰組とは違う。
 凛と張り詰めた少年の声が聞こえた。
「零《れい》丁《てい》洋《よう》を過《す》ぐ」
 たぶん漢詩の編題だ。続く言葉は古風で小難しく、まだどこかあどけない声のよさには感心したが、内容はわからない。
 盛之輔が、武道場のそばで庭を向いて本を手にしている少年を指差した。
「おらたちより二つ年長の篠《しの》田《だ》儀《ぎ》三《さぶ》郎《ろう》さんです。今の日新館でいちばん優秀なうちの一人で、白虎隊では士中二番隊の副長です」
 儀三郎は本に視線を落とすことなく、漢詩を吟《ぎん》じた。それからようやくこちらに気付いて、折り目正しい挨拶をする。健次郎が手短に、俺を儀三郎に紹介した。儀三郎も無論、俺を知っていた。
「新撰組の土方さまですね。京都でのご武勇、うかがっています。会津へ、よく来らったなし」
「藩士でもない流れ者を、こうして厚く遇してもらえるとはありがたい。会津公を始め、会津の人々には京都でも世話になった」
「そこはお互いさまでごぜぇましょう。賊軍の汚名を着せられ、大軍で以て攻められようとする会津のために、土方さまたち新撰組の皆さまは働いてくださっています。誠に感謝に堪えねぇごどなし」
 すっと胸が冷えた。
 会津のため、と儀三郎は迷いなく信じている。盛之輔も健次郎もそうだろう。俺が会津の救援のために江戸から北上してきたと信じている。
 違う。俺だけは正しく、俺の本心を知っている。
 容保公には恩義があり、会津藩士とは交流が深い。だが、会津のために散る覚悟かと問われれば、俺の答えは「否」だ。
 倒幕派は華々しく幕府を屠《ほふ》ることに失敗した。徳川慶喜公が先手を打って政権を天皇に返還し、江戸への総攻撃は勝海舟の根回しによって矛《ほこ》先《さき》を逸《そ》らされた。
 振り上げた拳を、倒幕派は持て余している。慶喜公や勝海舟は、拳の下に会津を差し出した。俺が会津に来たのは、ここで待てば必ず戦がやって来るからだ。
 胸に去来した思いを隠して笑い、俺は儀三郎の手元をのぞき込んだ。
「漢詩の本か?」
「はい。六百年ほど前に生きた文《ぶん》天《てん》祥《しょう》の文集です。私は中国の歴史上の人物の中で、文天祥を最も尊敬しています」
「立派な人物なんだろうな」
「文天祥は、自分が仕える宋の国が滅びようとしたとき、新しい国、蒙古の王がどだに求めても、蒙古に降《くだ》りませんでした。儒学では、二つの国の王に仕えんにと、固く戒められています。文天祥は宋への忠義を貫いて、処刑されました」
 儀三郎が言わんとすることは、深読みするまでもない。盛之輔と健次郎が、はっと息を呑んだ。俺は笑みを消さない。
「忠義者の会津武士らしい好みだな。文天祥の詩はすべて諳《そら》んじているのか?」
「有名なものは、ほとんど。先ほどの『零丁洋を過ぐ』だけは、私が属する白虎隊士中二番隊の全員が諳んじています。文天祥の忠義にあやかりてぇと思い、零丁洋を符丁にしようと決めたので」
 儀三郎は俺の前に本を開いてみせた。返り点を書き込んだ漢文は近藤さんが読んでいたから、俺もまったくわからないわけではない。

  『零丁洋を過ぐ』  文天祥
  辛苦そう逢《ほう》、一《いっ》經《けい》より起《た》つ。
  干《かん》戈《か》落落たり、四周星。
  山河碎《さい》、風、絮《わた》を漂《ただよ》わせ、
  身世ひょう揺《よう》、雨、萍《うきくさ》を打つ。
  皇《きょう》恐《こう》灘《たん》辺、皇恐を説き、
  零丁洋裏、零丁を嘆く。
  人生、古《いにしえ》自《よ》り誰か死無からん。
  丹《たん》心《しん》を留取して汗青を照らさん。

「苦学しながらも縁あって科挙に合格しましたが、戦争が始まって、すでに四年。山河は破壊され、私は風に吹き飛ばされる綿の花のように漂い、池の浮草のように浮き沈みしました。早瀬に呑まれては恐れをなし、海に漕ぎ出しては孤独を味わいました。古来、死なぬ者はおりません。偽りのない心を以て死に、歴史を照らす光となりましょう」
「それが、この『零丁洋を過ぐ』の意味か?」
「はい。美しく潔いと思いませんか?」
 微笑んだ儀三郎の目が一瞬、ちかりと赤く光った。冷たい手で胃をつかまれるような薄気味悪さに、俺は赤い光の正体を悟る。左腕だ、と感じた。
 俺は儀三郎の左の手首をつかみ、袖をまくった。予測したものがそこにある。
「赤い環」
「ああ、やはり、土方さんはご存じだべした。士中二番隊が編成されたとき、隊の仲間全員で禁術を施《ほどこ》し合ったのです」
 日新館の書庫の奥、鍵の掛かった棚に禁書が収められていることは、この藩校に通った会津武士なら誰でも知っているという。
 依《よ》り代《しろ》として獣や鳥を用意し、彼岸文字で円を描いて記された輪《りん》廻《ね》の理《ことわり》を、針か爪か小刀で皮膚に書き付ける。傷はやがて癒えるが、その後、彼岸文字の赤い環が皮膚の内側から徐々に浮かび上がってくる。
 斎藤や時尾が、会津には環の力を求める者が多いと言っていた。忠義心ゆえに、強くならねばと己を追い込むせいだ。
 儀三郎の腕の環はまだ途切れ途切れで薄い。完成した形を知らなければ、それができかけの環だと気付かないだろう。俺は儀三郎を見据えた。
「新撰組にも倒幕派にも、環の力に手を出した者がいた。環の完成まで精神が持つ者は一握りだ。環の完成を急ごうとするな。これはそもそも、この世にあっては禁忌だ。妖気だか瘴気だか知らねぇが、とにかくそいつに呑まれたら、狂った妖に成り下がる」
 儀三郎は俺を見つめ返した。つぶらな瞳から、あの危うい光は消え失せている。
「妖に堕ちるかもしれねえ。それも承知の上です。土方さまも、会津が藩を挙げて最も大切にしてきたものが何か、ご存じでしょう?」
「徳川宗家への忠義か」
「はい。会津松平家の祖、保《ほ》科《しな》正《まさ》之《ゆき》公が定めた家訓を、歴代の会津藩主は固く守り、藩士もまたこれに従ってきました。正之公は徳川家光公の弟君で、とても優秀な為政者でありながら、家光公の影として忠義を尽くしました」
「二百四十年も昔から伝わる家訓に忠実に従った会津公は、徳川宗家から命じられた京都守護の任を断れなかった。倒幕派の前に標的として放り出されたのも、家訓の戒めのため」
「不幸な役回りだと、土方さまは思われるかし?」
 儀三郎の真剣な目はひどく熱く、澄み切るあまり空っぽにも見える。まなざしは、次いで盛之輔と健次郎へと順に向けられた。盛之輔も健次郎も、何も言わない。
 俺は息を吐いた。
「ならぬことはならぬ、か?」
 武家の子に礼儀を説く什の掟で、最後を締めくくるのが「ならぬことはならぬものです」だ。儀三郎は深くうなずいた。
「私たち会津の武士には、背いてはならぬこと、投げ出してはならぬことがあるのです。例えそれがどだに不条理でも、戒めを破ることは武士の誇りを捨てること。ならぬことはならぬものです」
 迷いなく言い切った儀三郎から、俺はさりげなく目を背けた。盛之輔と健次郎を振り返って、笑ってみせる。
「会津武家の子は本当に礼儀正しくて優秀だ。昔の山口二郎たちはひどかったぞ。俺のほうが道場への入門は遅かったせいもあって、九つも上の俺を舐めてかかっているのが顔に出ていた。まあ、いつの間にか落ち着いたがな」
 新撰組や剣術道場の話を持ち出すと、途端に少年たちの顔が無邪気にほころぶ。きまじめそうな儀三郎さえ、俺の腰の刀が気になって仕方がないらしい。
「もしよろしければ、土方さまの剣技、ご披露願ぇませんか? 武道場で稽古を付けていただきとうごぜぇます」
 盛之輔が遠慮がちに割って入った。
「儀三郎さん、土方さまは脚を怪我しておいでだから、あまり無理を頼んでは悪いべし」
 しまった、と慌てた顔になる儀三郎の肩を、俺はぽんと叩いてやった。
「本気で刀を抜くまでには回復しちゃいねぇが、軽く体を動かすくらいなら問題ねぇよ。俺は会津藩士じゃねぇが、道場を借りられるのか?」
「さすけねぇと思います」
「だったら、やるか。足さばきの利かない俺が相手なんだ。三人とも、それぞれ一本くらいは取ってみせろよ」
 はい、と少年たちは元気よく声をそろえた。
 一礼して武道場に踏み込むと、懐かしい匂いがした。磨かれた板張りの床の匂いと、汗の染み込んだ木刀の匂い。江戸や多摩で近藤さんや斎藤や総司たちと技を鍛え合った試衛館と、よく似た匂いだ。
 健次郎に手渡された木刀をしごき、二三度、振ってみる。俺が使う天然理心流の木刀より細い。この軽さは扱い慣れないが、脚が使えない現状では、かえって都合がいいだろうか。
 少年たちが張り切って素振りを始める。武道場の出入口には見物人が現れた。俺も久方ぶりに胸が躍り出す。
 戦は確かに近付いている。しかし、若松の城下はまだ、常日頃の平穏を保っている。
 嵐の前の静けさだった。
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