狂愛烈花

馳月基矢

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 歴史を紐解くに、珠が味土野で隠棲した期間は、天正十年(一五八二年)六月頃から天正十二年(一五八四年)三月にまで及んでいる。珠はこの間に次男の興秋を懐妊しており、忠興が羽柴秀吉の天下統一の加勢の合間に足しげく味土野に通っていたことを伺わせる。
 味土野での幽閉を解かれた珠は大坂玉造の屋敷で過ごした。その後、秀吉による伴天連追放令が敷かれる中、天正十五年(一五八七年)二月の復活祭の頃からキリスト教に心を傾けるようになり、洗礼を受けてガラシャという名を授かる。
 慶長五年(一六〇〇年)、関ヶ原の合戦の折、忠興は東軍に従って上杉征伐に出陣した。その隙を突いて、西軍が大坂玉造の屋敷に押し込み、珠を人質に取ろうと目論んだ。
 珠は敵方に落ちるのをがえんぜず、また夫の忠興から「敵に辱められるようなことがあれば、自ら命を絶て」と命じられていたこともあり、家老の小笠原秀清に槍で胸を突かせて落命した。享年三十八。珠の壮絶な死は、今なお多くの人の心を惹きつけてやまない。
 一方、忠興は珠の死後も生を長らえている。慶長七年(一六〇二年)に九州豊前に国替のうえ加増となり、慶長二十年(一六一五年)の大坂夏の陣にも参戦して功績を残した。
 大坂夏の陣の後に引退し、寛永九年(一六三二年)に肥後国に転封となってからは八代城で美術や芸術を愛でて暮らした。打刀のこしらえの一つとして名高い「肥後拵」は、隠居した忠興が考案したものと伝わる。
 正保二年十二月(一六四六年一月)、忠興は八十三歳で死去した。
 戦闘のたびにいさおを立てた忠興の後半生は、息子たちとのいさかいの逸話に事欠かない。忠興は、晩年まで戦乱の日々を懐かしんでいたという。はげしく散る機会を逸して、あるいは己の長命を悔いていたかもしれない。

【了】
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