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029 医学舎
しおりを挟む医学舎があるのは首都郊外。
敷地はとにかくだだっ広い。
門から奥の建物までがとにかく遠い。
でもそんな空間に芝生をはって遊ばせているわけではなくて、薬草園として活用していることをアンズー卿より聞かされて、わたしは「へー」とちょっと感心。
広大な敷地をぐるりと囲む外壁は鉄柵。適度な隙間があって風通しは良さそうだが、丸見えだからいささか不用心にも思える。でもよくよく眺めてみたら、華奢にみえて鉄柵のいたるところに剣呑な返しの刃がついている。うっかり侵入を試みようものならば、たちまち指を失うことになるであろう。防犯上の秘密だが、柵やその周辺には他にも仕掛けが施されてあるという。
薬草園の真ん中に通された道を馬車がパカポコ進むことしばらく。
ようやく建物へと到着。
商連合オーメイの医師会の総本山だから、さぞかし上納金やら寄付金で潤っており、煌びやかな建物なのだろうと勝手に思い込んでいたのだけれども、実物はぜんぜんちがった。
色はどんよりした天気の色。もとは白亜であったらしいのだが、雨風と歳月にてこの色味に落ちついたらしい。
形は長方形の石板をそのまま地面にドンと横に倒したみたいな姿。これと同じのが四棟あって、手前から事務棟、学舎棟、研究棟、特別棟と並んでいるとの説明を受ける。同じ敷地内の離れたところには学生や研究者らの寮もあるという。
「特別棟?」
他のとはちがって使用目的が想像できない単語。
わたしが首をかしげると、アンズー卿がにこり。
「あぁ、そちらはより機密性の高い研究分野をあつかっているところさ。興味があるのならば案内するけど、あんまり楽しい場所じゃないよ」
ひと口に研究といってもいろいろある。
機材が整った清潔な室内にて、あれこれ混ぜ合わせて効能の高いクスリを開発することから、陰気と血のニオイが満ちた空間にて、刃物片手にひたすら対象をザクザク腑分けするものまで。
「おかげで毎年、夏場になると一部の学生らが度胸試しと称して、夜更けに特別棟へと忍び込むのが恒例になっているよ。
やれやれ、仮にも医学舎に通う学生が、廊下に展示されてあるガラス瓶の中身を見て卒倒するなんて、じつに嘆かわしい」
アンズー卿は大袈裟な仕草にて肩をすくめるも、本気で嘆いているわけではなさそう。むしろどこかちょっと面白がっている。この様子では自分も若い頃にやったクチだな。
◇
事務棟は役場を大きくしたような場所で、業務内容もそれに近い。
ここで大勢の事務員さんらが寄ってたかって何をしているのかというと、クスリの流通管理やら財務処理などなど。とにかく細かい数字が書面上を飛び交っている。
仕事の内容のわりには殺伐とした空気が流れており、やたらとみんなピリピリしているのは、今期の決算間近のせいらしい。
あんまり長居をして仕事の邪魔をするのも悪いので、ここはザーッと流して次へと向かう。
◇
学舎棟は文字通り、医師を志す者たちが集う場所。
みな志高く、意気軒昂にて、活気に満ち充ちている。
チラっと授業風景を見学させてもらったのだけれども、居眠りをしている生徒なんて一人もいない。みんながみんな真剣な表情にて講師の話に聞き入っている。教える側も教わる側もとても気合いが入っている。ポポの里の学舎とはえらいちがいである。
でも、はたしてこのうちのどれだけが最後まで脱落することなく、初志を貫徹できることやら。
それほどまでに医師へと通じる道は険しく、門は狭いのだ。
半数以上は夢半ばにてここを去り、そのうちの何割かはモグラになる。
モグラとは、きちんと医学舎を卒業していないもぐりの医者のこと。武芸が盛んでケガ人が絶えることのないクンルン国に特に多い。神聖ユモ国では魔術師崩れの呪い師がこれに相当する。
正規の医師の診察費用はとにかくバカ高い。
健康と引き換えに身代をつぶしたなんて話もよく耳にする。
けれども呪い師やモグラになると格段に安くなる。ただし腕や知識にずいぶんと差があるし、なかにはインチキな輩も少なくないから、賢く利用するには見極めが必要。
ようは医師会のお墨付きにて安心と信頼をとるか、お金を惜しんで危険をとるかということ。
わたしは一生懸命に学業に勤しむ医師のタマゴたちの背に、心の中でこっそり「がんばれ」と応援を送り、そーっと授業中の教室を後にした。
◇
研究棟へと近づいたとたんに、空気が変わり警備が厳重になった。ついでに薬品臭もほのかに漂ってくる。
外界とは隔てられた場所。
静謐と緊張が支配し、独特の雰囲気が漂う異界。
そんな印象をわたしは受けた。
医学舎では一番えらいはずのアンズー卿ですらもが、建物へと入る際には身体検査を受けるばかりか、なおかつ署名までさせられる徹底ぶり。建物から出るときにも同じことが行われるという。
それだけここには重要な情報や薬品類がたくさんあるということ。
「この手のことは、へたに特例を作らないほうがいいんだよ。一度、なあなあで済ませるとズルズルなし崩しになってしまうから。それに敵につけ込まれるしね」
説明しながらスラスラ署名をすませたアンズー卿が筆を差し出す。お客さまとて例外はなし。だからわたしも素直に記帳する。ちらりと帳面を見れば、そこには流麗な文字。アンズー卿の洗練された筆使い。その直下に自分の名前を書くのが、わたしはなんとなく気恥ずかしかった。
研究棟内部は白を基調とした明るく清潔な空間。
設備が充実している各研究室では、白衣を着た頭の良さそうな人たちがせわしなく働いている。
かと思えば、部屋や廊下の隅っこに寝転がっている巨大ミノムシを発見!
「あれって寝袋?」
「ええ、実験の中には何日にも渡る過酷なモノも少なくありませんから。ああやって泊まり込んでいる者もいるのですよ。いちおう仮眠室はちゃんと用意してあるのですが……」
あまり知られていないことながら、じつはかなりの肉体労働をともなうのが研究というお仕事。「定時? なにそれ、おいしいの」「最後にものを言うのは気力と体力だ」という根性論がまかり通っている現場。
服装も環境も白いのに、中身は真っ黒。
わたしがジト目を向けると、アンズー卿はついと顔をそらした。
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