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038 復讐鬼ふたたび

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 まるで八枚の翼のように自在に宙を駆けていたハチヨウの飛来去器。
 しかし、うち三枚が失速、地に墜ち砕けた。
 それをなしたのはトールン。
 トールンは激しい攻防の合間に、同じ箇所へと打撃を集めてずっと武器破壊を狙っていたのだ。
 まんまと策にはまり一挙に手数を失ったハチヨウ。
 これで形勢が傾くかと思われたが、むしろ逆であった。
 操る薄刃の数が減ったことによって分散されていたチカラが残りに集約。ハチヨウの動きがより機敏となり、攻めが苛烈さを増す。
 対するトールンも負けてはいない。
 拳の威力もさることながら、蹴りは石舞台を容易く砕き破壊する。
 カカト落とし一発で大きなくぼみが出現したときには、わたしは思わずちびりそうになったものである。

  ◇

 両雄の戦いぶりに観客たちも大興奮。
 昂った観客たちによる足踏みにて、大闘技場そのものがダンダンゆれる。
 いつまでもこの戦いを見ていたい。
 けれどもそれはかなわない。いかに楽しい祭りとて、始まりがあれば終わりがあるのだから。
 ならばせめてその決定的瞬間を見逃すまい。
 熱狂が最高潮へと達しようとしていた。
 そんな矢先のこと。
 ふいに帯革内がぶるっと震えた。
 白銀のスコップ姿のミヤビが警告を発する。

「チヨコ母さま、なにやら奇妙な気配が漂っておりますわ。お気をつけ……」

 ミヤビの言葉が終わらないうちに、異変が起きたのは舞台中央。
 いままさに正面から雌雄を決しようとしていたハチヨウとトールン。
 彼らの足元に走る大小の亀裂から黒い何かが吹き出す。
 赤いキラキラが混じったソレが、轟っとうなり、渦を巻き、舞台上を席捲。
 これに巻き込まれまいと、ハチヨウとトールンはすかさず距離をとる。
 そんな両雄に挟まれた形で、黒い何かは竜巻となり、ついには天へと舞いあがってゆく。
 突然のことに呆気にとられ、その光景を眺めていた人々。
 すると空からチラチラと降ってきたのは、赤い淡雪のようなもの。
 手をのばし触れると、それはまさしく雪のごとくはかなく溶けて消えた。

「なんだこれは?」「季節外れの雪」「だが赤いぞ」「赤い雪とはなんと不吉な」「というか、さっきの黒い竜巻はいったい……」

 ざわつく会場内。
 それが唐突にしぃんとなった。
 見上げていた空から石舞台へと視線を戻すと、さきほど黒い風が吹き出した場所にいたのは、ひとりの若者。
 整った顔立ちをしている。それだけに潰れた右目の傷が痛々しい。
 残る左の瞳は虚ろにて、まるで生気を感じられない。
 そんな若者の手には、死体の顔を連想させる不気味な白い槍があった。

「おい、きさま、いったい何者だ。どこからあらわれた」

 トールンが近づき声をかけるも、返答がわりにふるわれたのは槍の一閃。
 ひゅんと無造作にふるわれた穂先。間合いを見極め、最小限の動きにてあっさりかわしたように見えたトールン。けれども表情には余裕が一切ない。それもそのはずだ。革鎧の胸当てにはスパッと溝が走っていたのだから。
 苛烈なハチヨウの飛来去器の攻めすらをも受け切っていたトールンの身が、あっさりとらえられた!
 それを目の当たりにして、ハチヨウも警戒を強める。
 みんなの視線を一身に集めたまま、若者の首が動く。ゆっくりと右を向いて、左を向いて、上を向いて下を向いて、唐突にぐりんと背後を見る。それは人の首がもつ可動域を超えた動きにて、猛禽類のソレに少し似ていた。

  ◇

「えぇーっ! なんでコォンと白い槍が復活してんの」

 わたしは目ん玉が飛びでんばかりにおどろく。
 隣にいるケイテンは「ちっ」と舌打ち。「槍の穂先が消えていたから、まさかとは思っていたけれども。やっぱり襲ってきた連中に持ち去られていたのか」

 どうやらあの魔槍ってば、本体は穂先の方だったみたい。
 何がどうしてアレがここに出現したのかはわからない。
 しかし以前に試練の迷宮の隠し部屋で見たときよりも、いっそうの禍々しさを感じてわたしは怖気をふるう。
 人間離れした挙動をしていたコォンの首がピタリと止まり、こちらを向いた。
 えっ! もしかして大勢の観客の中からわたしを探していた?
 それを肯定するかのようにして、コォンの口角があがりにへらといやな笑みを浮かべる。

「チヨコ、みぃつけた」

 その声はやたらと石舞台上に響いた。
 嬉々とするコォン。光を失った右目からドロリと赤い血があふれる。血の筋が頬からアゴ先へと伝わり、やがて雫となって、ぽたりぽたりと足元を濡らす。
 けれども落ちたはしから、細かな砂粒のようになり、すぐに空気中に溶けるようにして霧散、かき消えてしまった。

「あれは……もしや血が蒸発しているの?
 まさか、毒っ! いけない、チヨコちゃん! すぐに鼻と口を隠して」

 ケイテンの忠告に、わたしはあわてて懐から取り出した手ぬぐいで自分の口元をおおう。
 その予想は半分当たりで、半分ハズレていたことをわたしたちは、すぐに思い知る。
 まず異変が起きたのは、舞台上にて一番間近にコォンと接していたハチヨウとトールン。
 急に苦悶の表情を浮かべ、脂汗をだらだら流していたとおもったら、彼らの瞳が赤くなった。
 男たちは唐突に雄叫びをあげて勝負を再開する。
 けれどもつい先ほどまでの洗練された戦いとはまるでちがう。
 それは原始のケモノ同士の戦いのよう。乱雑にして稚拙。理性や知性の欠片もない、本能むき出しの荒々しいもの。

「あはははははバババばば」

 愉快そうに哄笑をあげたコォン。
 口元やカラダのあちらこちらから血をダラダラと流す。
 ふりまかれた血は、すぐさま粒となり空気と混ざり消えていく。
 呼応するかのようにして、足元からは黒い風が吹き、天からは赤い雪が降る。
 そして狂乱の宴が幕を開けた。


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