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096 慮骸カキンチャク
しおりを挟む下水道のかなり奥にまで進んだところ。八つの水路が交わる少し大きな空間。
ここだけ周囲よりも倍以上も天井が高く、かつ絶えず空気の流れが発生しているせいか、臭気がかなりマシであった。水槽に溜まっている水の濁りも少ない。
「うっとうしい。息がつまる」
大きく背伸びをして、文句をぶちまけるサッシー。
俺はゴキゴキと首を鳴らし、自身の肩を揉みほぐす。
狭い暗闇の中をうろつくのは思いのほかに疲れる。圧迫感がすごい。あと一切、陽の光が差さないので時間の流れがわからないのも、疲労に拍車をかけている。
休憩がてら俺は地図を広げて現在位置を確認する。
「いまいるところは、ちょうど広場の真下あたりか」
俺が居をかまえているソーヌや他の城塞都市ならば、中心部には城などが存在する。
しかしここアジエンは防壁こそはあるがそういった建物はなし。軍用の施設もなかったからこそ、大戦中に敵からの爆撃にお目こぼしされたのだ。
「あーあ、今頃、地上ではみんな派手にやってるんだろうなぁ。女の子たちからきゃあきゃあ黄色い声援を受けて、ちやほやされてんだろうなぁ。だというのにこちとら汚物まみれときたもんだ。くそっ、このニオイ、ちゃんと落ちるんだろうな」
御者とふたりきりなのをいいことに、言いたい放題のサッシー。ずっと「しんどい」を連呼していたわりには、まだまだ元気。
俺は「そんなのだから、こっちに回されたのでは?」とか思ったが、言ったら怒りだしそうなので、口をつぐんでおく。
そんなことよりも問題はこのあとである。
進むべきか、引くべきか。
この下水道内はご覧のようなありさまなので、休憩といっても足を止めて休むことしかできない。こんな場所ではとても食事や水分補給をしようとは思えないし、下手にやったら腹を壊しそう。
かといって特殊な環境下で飲まず食わずでの行動は、肉体および精神に多大な負荷をかける。
こんな仕事、ちゃっちゃと片付けたいが、気が急くあまりしくじりをしたら元も子もない。
「……万が一もある。いったん戻って出直すか」
俺が提案するとサッシーも「そうしようぜ」と諸手をあげて賛成する。
そこで引き返そうとしたのだが……。
ぽちゃん。
来た道を戻ろうとしたところで、不意に背後から水音がした。
反射的に腰の得物を抜きふり返る。
ランプの明かりをかざすと、暗い水面には波紋が浮かんでいる。
俺が身構えていると、サッシーが「おおかた水滴でも落ちたんだろう。ここには何もいやしねえよ。ビビりすぎだぜ、おっさん」と言った。
たしかにずっと暗闇に身を置くうちに、少しばかり神経が昂っていたのかもしれない。
そう考えた俺は刃を鞘におさめる。
するとふたたび、ぽちゃんと音がした。
サッシーの言うとおりにて天井から雫が垂れているようだ。
だから俺は何気なくランプを高く持ち上げ、上の方をみたのだが、とたんにギョッとなった。
だらりと垂れた蔓たち。
天井から逆さまにぶら下がっている巨大な球根の姿がある。
「カキンチャク……、どうしてこんなところに?」
育成に必要な土も陽の光もない地下にて、奇妙な態勢で居座っている慮骸を目にして俺が固まっていると、遅まきながら奴の存在に気がついたサッシーが驚きのあまり「アーッ!」と大声をあげてしまう。
一瞬の出来事ゆえに止めるまもなかった。
若いせいか無駄によく通る甲高い声。構内を反響して、じんじんと響き渡る。
そのせいで寝た子を起こしてしまったらしく、カキンチャクの身がもぞもぞと動きだし、蔓がうねりだす。
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