御者のお仕事。

月芝

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089 神去りし時代

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 受け取り拒否を喰らったその日は、老店主の厚意に甘えて彼のところに泊めてもらった。そのかわりに在庫整理と帳簿づけを手伝わされたが……。
 翌朝、もう一度、トリン宅へと出向いてみるもやはりダメ。
 玄関先で「すみません」と声をかけたところ、返ってきたのは手桶に汲まれた水の洗礼。
 とっさに脇へと避けたので濡れこそはしなかったものの、その隙にバタンと閉じられた扉。

「うーん、挨拶すらもままならん。まいったな、どうしたものやら」

 軒先にて俺が困り果てていると、「でしたらこちらで預かっておきましょうか」と横合いから声をかけてきた者がいた。若い男。

「はぁ、ありがたい申し出だが、あんたは?」
「あぁ、これは申し遅れました。僕はビトといいます。トリンさんの甥に当たる者です」

 名乗られて改めて観察してみると、たしかにやや釣り上がった目元や、エラの張った顔の輪郭が似ているような気がしなくもない。
 にこにこと愛想がいい青年。
 そんな親族の者が荷物を預かると言ってくれている。
 渡りに舟ではある。さすがは狭い土地だ。たったひと晩でウワサが方々に伝わっていたらしい。だがしかし……。

「あー、まぁ、もう少し粘ってみるんで。それでもダメなときにはお願いします」

 俺は会釈してそそくさと立ち去った。
 荷物の入った木箱を抱え遠ざかる。背中に突き刺さる視線を感じて、俺の中で疑念が確信へと変わった。
 ビトとかいう青年。細目の奥の瞳に宿っていた光が、どうにも気に喰わない。見てくれこそは朴訥にて実直そうだが、中身はちがうらしい。

  ◇

「あー、ビトか。アレはどうしようもない奴だ。とんだ横着者にて、己が楽をすることしか考えておらん」

 いったん戻って、先ほど声をかけてきた青年について訊ねたところ、老店主は「根腐れを起こした小悪党」との酷評にてバッサリ切り捨てた。

「比べてトリンの息子のデキスは、ほんによく出来た子じゃったよ。まったく、神さまも残酷なことをなさる。どうせ連れて行くのならば、ビトの方にすればよかったのに」

 年寄りの繰り言はいまに始まったことではないが、酷い言われようである。
 ビトという男、集落の鼻つまみ者であるようだ。
 とはいえ、ちょっと気の毒ではある。
 なにせ同世代に優秀な者がいて、血筋的にも近しいせいで、ことあるごとに比べられるのだから。
 閉塞した社会の中、つねに比較対象にされて、バカにされたり、怒られたり、呆れられたり……。
 これでは早々にやる気を失い心が歪む。真っ直ぐに育つものも育つまい。

「……ということは、目当てはデキスが残した金か。世話になっていた工房からの見舞い金と合わせたら、それなりの額になるからな。ついでに弱っているトリンさんにとり入れば、倹約家の彼女が貯め込んだ分も総取りという魂胆か」
「いかにも小狡いあやつが考えそうなことじゃ。して、どうする?」
「どうするも何も、俺に出来ることは故人が残した品をきちんと母親に届けてやることだけだ。それでちょっと訊きたいんだが、トリンさんが日課にしていることとかないかな?」

 家に行っても会ってもらえない。
 ならば出先で捕まえるしかあるまい。さりとて四六時中、見張っていたらかえって警戒されて引き篭られてしまう。

「トリンが日課にしているのは畑仕事と、あとは死んだ旦那の墓参りぐらいじゃがのう」

 その話を聞いて、さっそく俺が向かったのは集落の隅にある共同墓地。
 かつて教会であった建屋はとうに朽ちており、屋根が失せてしまっている。

 大戦後、急速に廃れたのは文明のみではない。
 信仰もまたみるみる力を失っていった。
 人々は多大な犠牲を払って痛感したのだ。いくら祈ったところで「神さまは何もしてくれない」ということを。そればかりか宗教や信仰が、ときに争いを拡大し加速させるということも。
 ゆえに人々は神に祈りを捧げるという行為を捨てた。
 かろうじて残ったのは故人を慕う墓を造るという習慣。
 だがそれもじょじょに無くなりつつある。死んだ人間は何もしてくれない。いくら墓石を並べたところでしようがない。感傷では腹が膨れない。
 限られた壁の中、土地を遊ばさせておく余裕なんぞ、いまの人類にはないのだ。
 よって今どきの葬儀は火葬にして、灰を大地にまいておしまい。

 いまとなっては珍しい拓けた墓地。
 集落が積み重ねた歴史がもたらす荘厳さが漂うものの、静寂と寂寥感に充ちた異空間。
 敷地内には等間隔にて整然と並ぶ石板が地面に埋め込まれてある。
 墓碑銘を確認しながら進むうちに、目当ての墓を見つけた。
 周囲が小綺麗にされており、石版は磨き込まれ、添えられてある花も萎れてはいない。
 日参しているトリンが、いまだに死んだ夫を偲び、強く想いを残している証左。
 この墓を前にして俺はわかった。
 彼女が頑なに息子の死を拒絶するのは、誰よりも情に厚いからだ。

「こりゃあ、是が非でも息子を母親のところに帰してやらんとな」

 墓に手を合わせつつ俺は腹をくくる。この依頼と真摯に向き合うことに決めた。


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