89 / 121
089 神去りし時代
しおりを挟む受け取り拒否を喰らったその日は、老店主の厚意に甘えて彼のところに泊めてもらった。そのかわりに在庫整理と帳簿づけを手伝わされたが……。
翌朝、もう一度、トリン宅へと出向いてみるもやはりダメ。
玄関先で「すみません」と声をかけたところ、返ってきたのは手桶に汲まれた水の洗礼。
とっさに脇へと避けたので濡れこそはしなかったものの、その隙にバタンと閉じられた扉。
「うーん、挨拶すらもままならん。まいったな、どうしたものやら」
軒先にて俺が困り果てていると、「でしたらこちらで預かっておきましょうか」と横合いから声をかけてきた者がいた。若い男。
「はぁ、ありがたい申し出だが、あんたは?」
「あぁ、これは申し遅れました。僕はビトといいます。トリンさんの甥に当たる者です」
名乗られて改めて観察してみると、たしかにやや釣り上がった目元や、エラの張った顔の輪郭が似ているような気がしなくもない。
にこにこと愛想がいい青年。
そんな親族の者が荷物を預かると言ってくれている。
渡りに舟ではある。さすがは狭い土地だ。たったひと晩でウワサが方々に伝わっていたらしい。だがしかし……。
「あー、まぁ、もう少し粘ってみるんで。それでもダメなときにはお願いします」
俺は会釈してそそくさと立ち去った。
荷物の入った木箱を抱え遠ざかる。背中に突き刺さる視線を感じて、俺の中で疑念が確信へと変わった。
ビトとかいう青年。細目の奥の瞳に宿っていた光が、どうにも気に喰わない。見てくれこそは朴訥にて実直そうだが、中身はちがうらしい。
◇
「あー、ビトか。アレはどうしようもない奴だ。とんだ横着者にて、己が楽をすることしか考えておらん」
いったん戻って、先ほど声をかけてきた青年について訊ねたところ、老店主は「根腐れを起こした小悪党」との酷評にてバッサリ切り捨てた。
「比べてトリンの息子のデキスは、ほんによく出来た子じゃったよ。まったく、神さまも残酷なことをなさる。どうせ連れて行くのならば、ビトの方にすればよかったのに」
年寄りの繰り言はいまに始まったことではないが、酷い言われようである。
ビトという男、集落の鼻つまみ者であるようだ。
とはいえ、ちょっと気の毒ではある。
なにせ同世代に優秀な者がいて、血筋的にも近しいせいで、ことあるごとに比べられるのだから。
閉塞した社会の中、つねに比較対象にされて、バカにされたり、怒られたり、呆れられたり……。
これでは早々にやる気を失い心が歪む。真っ直ぐに育つものも育つまい。
「……ということは、目当てはデキスが残した金か。世話になっていた工房からの見舞い金と合わせたら、それなりの額になるからな。ついでに弱っているトリンさんにとり入れば、倹約家の彼女が貯め込んだ分も総取りという魂胆か」
「いかにも小狡いあやつが考えそうなことじゃ。して、どうする?」
「どうするも何も、俺に出来ることは故人が残した品をきちんと母親に届けてやることだけだ。それでちょっと訊きたいんだが、トリンさんが日課にしていることとかないかな?」
家に行っても会ってもらえない。
ならば出先で捕まえるしかあるまい。さりとて四六時中、見張っていたらかえって警戒されて引き篭られてしまう。
「トリンが日課にしているのは畑仕事と、あとは死んだ旦那の墓参りぐらいじゃがのう」
その話を聞いて、さっそく俺が向かったのは集落の隅にある共同墓地。
かつて教会であった建屋はとうに朽ちており、屋根が失せてしまっている。
大戦後、急速に廃れたのは文明のみではない。
信仰もまたみるみる力を失っていった。
人々は多大な犠牲を払って痛感したのだ。いくら祈ったところで「神さまは何もしてくれない」ということを。そればかりか宗教や信仰が、ときに争いを拡大し加速させるということも。
ゆえに人々は神に祈りを捧げるという行為を捨てた。
かろうじて残ったのは故人を慕う墓を造るという習慣。
だがそれもじょじょに無くなりつつある。死んだ人間は何もしてくれない。いくら墓石を並べたところでしようがない。感傷では腹が膨れない。
限られた壁の中、土地を遊ばさせておく余裕なんぞ、いまの人類にはないのだ。
よって今どきの葬儀は火葬にして、灰を大地にまいておしまい。
いまとなっては珍しい拓けた墓地。
集落が積み重ねた歴史がもたらす荘厳さが漂うものの、静寂と寂寥感に充ちた異空間。
敷地内には等間隔にて整然と並ぶ石板が地面に埋め込まれてある。
墓碑銘を確認しながら進むうちに、目当ての墓を見つけた。
周囲が小綺麗にされており、石版は磨き込まれ、添えられてある花も萎れてはいない。
日参しているトリンが、いまだに死んだ夫を偲び、強く想いを残している証左。
この墓を前にして俺はわかった。
彼女が頑なに息子の死を拒絶するのは、誰よりも情に厚いからだ。
「こりゃあ、是が非でも息子を母親のところに帰してやらんとな」
墓に手を合わせつつ俺は腹をくくる。この依頼と真摯に向き合うことに決めた。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。
【完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
皇国の守護神・青の一族 ~混族という蔑称で呼ばれる男から始まる伝説~
網野ホウ
ファンタジー
異世界で危機に陥ったある国にまつわる物語。
生まれながらにして嫌われ者となったギュールス=ボールド。
魔物の大軍と皇国の戦乱。冒険者となった彼もまた、その戦に駆り出される。
捨て石として扱われ続けるうちに、皇族の一人と戦場で知り合いいいように扱われていくが、戦功も上げ続けていく。
その大戦の行く末に彼に待ち受けたものは……。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる