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086 騙裏
しおりを挟む俺を含めた居残り組の全員が顔をあげて、森の方を見る。
いつしか止んでいた声が、またぞろ復活したからだ。
しかし今度は救援を乞うものではない。
「おーい、手伝ってくれー」
「お宝がたんまりあるぞー」
「早くこないと分け前をやらんからなぁ」
なんぞという声。
景気のいい話に沸き、腰を浮かせかけた居残り組。
けれども俺は「しっ」とすぐに黙らせ、動かぬように制止する。
賊に脅されこちらをおびき寄せる手助けをさせられていることを懸念したからだ。
俺は密かに拡張能力を発動、耳に意識を集中する。
より精度が増した聴覚により声質を確認する。
「……この声はたしかにあの石工の職人たちのものだ。ということは、本当に賊の隠れ家でも発見したのだろうか」
なにやら違和感が拭いきれずに、俺はなおも耳の感度をあげて森の奥を探る。
そのおかげであることに気がついた。
「やはりヘンだな。ちっともくぐもっていない。あまりにも声の通りが良すぎる。日頃から練習を欠かさない歌手や役者じゃあるまいし。酒焼けした職人の発声が、木々が生い茂っている森の奥から旧街道まで、これほどはっきり届くわけがない。となれば、ぱっと思いつくのはアレの仕業か。だがしかし……」
狒々の変異種・騙裏(かたり)。
しわくちゃの老婆の顔をした人面猿。三シーカほどの大きさ。白い長毛に全身が覆われており、手と胴が長く短足な体形をしている。
力や素早さはそこそこながらも奸智に長けており、いろんな声真似をしては獲物をおびき寄せて狩る。
「騙裏だとして、どうしてこんな場所にいる? アレは旧ガロン領の南端部にある山岳地帯に引き篭っていたはずなのに」
本来の生息域を離れて内地の森に住み着いている変異種。
俺より声の主の正体を知らされて、居残り組の面々は「だから言わんこっちゃない」「欲をかくからだ」「巻き込まれる前にすぐに出発しましょう」と口々に囃し立てる。
でも相手が騙裏だとすれば、森に入った連中はまだ生きている可能性が高い。
騙裏は手に入れた肉をその場では食さない。生きたまま地面に埋めて熟成させ、日持ちするように加工する習性を持つからだ。
いかに自業自得とはえ、見捨てていくのも気が引ける。
出がけに一筆書かせたから失敗扱いにこそはならないが、預かった客の半数をも死なせたとなれば、御者の経歴の汚点となることは避けられない。助けられるのに助けなかったことを非難されて、あとで本部に出頭を命じられ査問会とかにかけられるのもご勘弁。
「というわけで、ちょっくら行ってくる。みんなは荷車で待機しておいてくれ。なぁに、心配はいらない。これでも俺は第一等級の御者だし、相棒もかなり強いから」
俺の言葉に「ぴゅい」と応える緑のスーラ。
なおも不安がる居残り組ではあったが、どうにかなだめて俺はひとり森へと入った。
◇
はじめは声を頼りに進んでいたが、すぐに所々に印がつけられていることに気がつき、これをなぞり進むことにする。
「ふむ。森に分け入るときにやるべきことはちゃんんとやっている。そういえば連中の中には探索屋見習いも混じっていたか」
俺は最短距離をひと息に駆け抜ける。
到着した先に待っていたのは、ぽっかり口を開けている洞窟。
「見るからに胡散臭い。この大きさだと中ではろくに武器を振り回せないだろう。おおかた『ちょっとだけ』とか考えたのだろうが、好奇心に負けて判断を誤ったな」
発見したお宝や遺跡を前にして、いったん立ち止まれるのが一人前の探索屋。
誘惑に負けてしまうのが、半人前の見習い。
「さて、うかつに飛び込んだら連中の二の舞だ。というわけで」
俺が腰の小鞄から取り出したのは煙玉。
わざわざ相手が用意した舞台にあがってやる義理はない。
穴ぐらに潜っている獣は、いぶりだすのにかぎる。
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