御者のお仕事。

月芝

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085 魔窟

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「おーい、誰かぁ」

 森の奥から聞こえてくるのは、助けを呼ぶ声。
 乗客たちが騒ぎ出したもので俺はいったん荷車を停める。
 人道的見地に立てば、すぐに救援に向かうべき。
 だがそれはあくまで戦前の話だ。大戦を経た現在においては、必ずしも常識とは言い難い。

 理由は安易に動けば二の舞になるから。
 外地は言うに及ばず。内地の都市間の移動すらも油断ならぬというのに、見ず知らずの人間のために自分の命を賭けるという行為は、善ではあるが必ずしも是ではない。
 降りかかる火の粉を払いのける実力があり、なおかつ余裕があるのならばともかく、たんなる義侠心からの行動であれば、自制するのが正解。

 とはいえすべてを割り切れないのもまた、人間という生き物。抱えている物や立場が違えば当然ながら主義主張も変わってくる。
 ゆえに乗客たちの意見は割れた。

「まだ間に合う。すぐに向かうべきだ」

 と主張したのは探索屋見習いや、石工職人などの腕っぷしに自信がある者たち。

「冗談じゃない! 危ない目に合うのはごめんだ」

 と主張したのは料理人や商店の従業員など。
 ちなみに俺も反対派だ。無情、非情うんぬんの話ではなくて優先度の問題。
 依頼を遂行中の立場にて、大事な手紙だけでなく乗客の命をも預かる身としては、とてもではないが容認できない。

 俺を含めた十二人がキレイに割れてしまう
 こうなるともう話し合いはどこまでも平行線のまま。
 一刻を争うと言いながら、時間ばかりが無為に過ぎかねない。
 そこで俺は妥協案を提示する。

「わかった。そこまで言うのならば希望者のみで救援に向かってくれ。とはいっても置いてけぼりにはしない。戻ってくるまでここで待っている。ただし日暮れまでだ。いかに内地とはいえ、こんな場所で夜を過ごすわけにはいかんからな」

  ◇

 六名の救援隊が森へと潜るのを見届けてから、俺は相棒を解き放ち、周囲を警戒がてら薪を広い集め、火の支度を整える。
 客たちはその火を囲んで談笑するもよし、お茶を楽しむもよし。
 それを尻目に俺は相棒のメロウと手分けをして、周囲に鳴子を撒く。
 鳴子はガラス質を含む石材の細平棒。割れたひょうしにパキッと高い音がするのが特徴で、それを活かして警戒網を構築するのが野営の定番。
 一時的とはいえ腰を落ちつける以上は、用心をしておくのに越したことはない。

 ひとしき仕事を終えたところで、「おつかれさん」と湯飲みを差し出してくれたのは居残り組の料理人。
 ありがたく頂戴し、お茶に口をつける。
 出先で温かい茶が飲める贅沢を噛みしめていると、料理人がおずおず「どう思う?」とたずねてきた。
 どうとは、例のあの声のことだ。

「十中八九、罠だろうな。盗賊の類ならばまだマシ。最悪、変異種の可能性も捨てきれん。さすがに慮骸はいないと信じたい」
「やはりそうか。だというのにあのバカどもが……」
「なぁに、連中だってそれぐらいは予想しているさ。まぁ、あわよくば礼金狙いとか、溜め込んでいる宝物をくすねられたら御の字とか、考えているんじゃないかな」
「はたしてそう上手くいくだろうか?」
「さて、こればっかりは相手次第だし、どう転ぶことやら。まぁ、そんな訳だからもしもの時にはすぐに荷車に乗り込めるよう、用心を怠らないでいてくれたら助かる。荷車にさえ収まってくれていたら、必ず俺と相棒が守るから」
「わかったよ。みんなにも伝えておく」
「よろしく頼む」

 カラになった湯飲みを受け取り、焚き火の方へと戻っていった料理人。
 その背から顔をそらした俺は、森の方へと視線を向けつぶやく。

「何ごともなければいいんだが」

  ◇

 森へと踏み込んだ一行。
 声を頼りに進むうちに、早や背後の旧街道が見えなくなった。
 まるで視界を埋め尽くすかのように乱立している木々のせいだ。奥へと向かうほどに幹や枝が邪魔をして、見通しがぐんと悪くなる。
 このまま闇雲に突き進めば方角を見失う恐れがあるので、木の幹やむき出しの根に矢印を刻み、ときには色付きの紐を枝に結び、帰りの経路を確保する。
 そうして進んだ先にて発見したのは洞窟であった。
 入り口に蔓系の植物が生い茂っており、遠目にはわからなかったが、ちょうど大人が二人並んで歩けるほどの穴がぽっかり口を開けている。
 救援要請はその奥からしていた。
 念のために周囲を探ってみるも人の姿はなし。

「ここは盗賊のアジトなのか」
「牢屋にさらわた人が取り残されている?」
「あれだけ騒いでいるのに止められないってことは、賊は誰も居ないとみていいだろう」
「破棄がてら打ち捨てられたのか、あるいは出先で何か起ったか」
「なんにせよ、お宝が残っているかも。どうする?」
「どうするって……、なぁ」

 顔を見合わせた六名は洞窟の入り口を前にして、しばし躊躇する素振りをみせるも結局は好奇心と欲に負けた。


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