御者のお仕事。

月芝

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031 潜入

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 例の高官の屋敷は都市部の中間層でもかなり中央寄りのところに位置している。いわゆる高級住宅地。
 相棒のメロウを最寄りの路地裏に待機させておき、俺はひとり塀を越えて屋敷の敷地内へと忍び込む。

 守備隊と運送組合は今回のロギ誘拐事件を表沙汰にしたくない。さりとて見てみぬフリも出来ない。火種を放置すれば遠からず大火を招く。
 そこで俺の出番となる。
 こっそり先方に忍び込んでロギおよびアサヒの安否確認をしてから、養子縁組について彼がどう考えているのか、意思を確認。
 双方が望んでいるのならば、そのように話を進めるためにナクラたちが動く。
 もしもそうじゃないのならば、よくよく因果を含めて事態の軟着陸をはかる予定。
 でもって俺がその確認役を仰せつかったと……。

「ったく、いいようにこき使ってくれる。絶対に御者の仕事の範疇を逸脱しているだろうに。もっともここのところのんびりした配達業務ばかりだったから、いい加減に身体がなまっていたところだし、肩慣らしにはちょうどいいか」

 敷地内、壁沿いにある繁みに身を潜め、しばらく周辺の様子をうかがう。
 夜更けということもあり、屋敷は静まり返っている。
 とはいえ大きな屋敷ゆえに宿直や警備の者が常駐しているはず、油断はならない。
 どこから手に入れたのかは知らないが、屋敷の見取り図はゲドが用意してくれたのですでに頭の中に入っている。よって当てもなく方々を探し回る必要はない。

「さてとアサヒは……たぶん屋敷に隣接している馬房だろうけど、肝心のロギはどこかな。監禁の定番といえば地下室だが」

 俺は陰から陰へと渡り中庭を移動。
 まず向かったのは馬房。
 ただしある程度まで近寄ったところでピタリと足を止める。
 ここの屋敷の主人くらいの身分ともなれば、相応の馬を飼っている可能性が高い。大戦を経て幾世代にも渡って品種改良された馬は、かつて足が早いことだけが取り柄であった四つ足とは別物。

 殺伐とした戦場の空気に怯むことなく、荒野を駆け抜け、ときに道なき道をも突き進み、必要とあらば敵勢を蹴散らし背に乗る主人を守る。
 軍事用に竜種と配合された馬ともなれば、慮骸にすらも立ち向かうほどの気概を持つ。
 そんな馬たちは優れた耳と広い視野を持っており、索敵能力が尋常ではない。
 ゆえにうかつに部外者が近づけばすぐに勘づかれてしまうだろう。
 深夜のこと、いななきでもされたら一発で屋敷の者たちに気づかれて潜入は失敗する。
 だから俺はここで鼻先に意識を集中し、拡張能力を発動。
 嗅覚を研ぎ澄まし探るのは大猫のニオイ。ロギがこまめに世話を焼いてるので、アサヒはかなり身ぎれい。
 とはいえしょせんは獣だ。独特の獣臭までは完全には消しきれない。
 ちなみにうちの相棒の緑のスーラは無臭である。それどころは部屋に置いておくと、周囲の臭気を吸収し空気を浄化してくれるから、男やもめとしてはとても助かっている。

 風の流れを捉え、スンと鼻先を動かす。
 するとすぐに馬以外の獣のニオイを感じとれた。

「この太陽の下で干した毛布みたいなのは、アサヒのニオイだな。やはりこっちに押し込められていたか。やたらと静かにしているところをみると、たぶん薬で眠らされているんだろう」

 アサヒの無事を確認したところで、俺はすぐさまその場を離れる。
 さてと、お次はロギの居所だな。

  ◇

 屋敷屋内への出入り口はどこも厳重に閉じられている。
 うっかり閉め忘れた窓もなし。
 そこで俺は屋根へと登り、暖炉の煙突から内部へと侵入を試みる。
 こまめに掃除がなされているのか、煙突内は煤けていることもなく、きれいなもの。
 だから安心して降りていこうとしたのだが、半分ほど降りたところであわてて両手足を踏ん張り急制動。

「おっと、危ない。黒の見えにくい細紐を張ってやがる。うっかり引っかけたら、たちどころに警備の者が駆けつけるようにしているのか」

 慎重に紐を避けて奥へと進む。
 だが仕掛けられていた侵入者防止の罠はこれだけではなかった。
 最後の最後、炉床の灰に埋め込まれてあったのは返しがついた鋭利な刃たち。
 考えなしに着地なんぞをしようものならば、たちまち自重にて足がズブリとやられてしまう凶悪仕様。

「地味にいやらしい罠を施している。だが仕掛けたやつはよくわかっているな。下手に凝ったものよりも、この手の簡素な方がずっと嫌がらせになるということを。この分だと屋敷内も充分に気をつけた方がよさそうだ」

 俺はあらためて肝に銘じ、用心しつつ暖炉から室内へと。

  ◇

 整った調度品の数々。立派な暖炉がある部屋だけあって、そこそこ広く豪華な室内。
 しかし生活感はない。こまめに換気がなされているのだろう。空気こそ淀んではいないが、この雰囲気では日常的に使用されている場所ではなさそう。
 俺は部屋を横切り扉へと近づく。耳を押し当て向こう側の気配をうかがう。
 そっと取っ手を回しわずかに扉を開ける。付近に誰もいないことを確認しつつ、俺はいったん扉を閉めてから内心で舌打ち。
 屋敷の外からではわからなかったが、廊下には等間隔で明かりが灯されていた。
 長方形の建物。廊下は直線にて陰影はなく身を潜める場所が皆無。つまり向こうからは丸見え。

「ふだんからこうなのか、あるいは身に覚えがあるから用心を重ねてのことか。はてさてどうしたものやら」


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