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024 苦情
しおりを挟む狂った環境と乱れた生態系。戦時中、無秩序にばら撒かれた生体兵器たち。忌々しい妖精の鱗粉に汚染された空と大地。退化することを余儀なくされた文明……。
多くの当たり前が失われて、新たな常識が産まれた。
そんな大戦後の世界において人流と物流を担っているのが、御者というお仕事。
御者は運送組合に所属することで身元が保証され仕事を斡旋してもらえるかわりに、いくつかの決まりごとを守る義務を負う。
うちひとつが「健康診断を受けること」である。
業務中にうっかり倒れられては関係各所に多大な迷惑をかけてしまう。ときに信用問題にも発展する。それを予防するためと、あとは体外的な意味合いも込めて。
仕事の内容、内地回り、外地回りにかかわらず壁の外から戻れば診察を受ける。
そして支部の専属医の許可がおりなければ、次の仕事を斡旋してもらえない。
だから面倒でも帰還後は出来るだけ早いうちに、俺も三階建ての支部の二階角部屋にある診察室へと顔を出すようにはしているのだが……。
「あー、いちおう問題はなかろう。けどダイア、あんた、またぞろ派手に拡張能力を使っただろう? けっこうあちこちガタがきているよ。いつまでも若くないんだから、あんまり無茶を続けていたら、じきにおっ死ぬぜ。もっともこれまでの累積でどのみちたいして長生きは出来そうにないけどねえ。あっはっはっはっ」
患者に対してボロクソ言っている老婆は、城塞都市ソーヌ運送組合支部の専属医であるミリン。口は悪いが腕はそこそこの自称・元美人女医。
当人いわく「あいにくと戦争で若い頃の写真が全部燃えちまって、一枚も残っちゃいないんでね」とのことだが、真偽のほどは定かではない。
ミリン婆さんの悪態はいつものことなのでいちいち腹を立てることもなく、俺は「そんなことは自分が一番よくわかっているさ」と適当に受け流す。
「まぁ、どだい人の生き死になんざぁ、どうなるのかなんて誰にもわかりゃあしないけどね。とはいえあの地獄の大戦の中を、せっかく拾った命なんだからせいぜい噛みしめて余生を愉しみな、クソガキ」
老婆から子ども扱いをされて、三十路過ぎのおっさんはおもわず苦笑い。
しかし医者にあるまじき暴言ながらも、妙に達観した意見でもある。
ようは「悔いが残らないように、いまを精一杯生きろ」ということ。
ならば素直にそう言えばいいだろうに……。
◇
『業務に支障なし』との診断書を手に俺は支部の一階にある受付へと向かう。
道すがら紙面に目を通し「口は悪いが字はやたらときれいなんだよなぁ、あの婆さん」とその達筆ぶりにほとほと感心しつつ階段を降りていると、何やら階下が騒がしい。
見たところ受付に人が殺到しているではないか。
支部の関係者ではない。
客みたいだがそのわりにはえらい剣幕にて詰めかけている。受付嬢のジルたち職員らは対応におおわらわ。これではとても書類を受け取ってもらえそうにない。
俺は近くにいた同業者の男をつかまえて「何かあったのか」とたずねる。彼は肩をすくめながら言った。
「苦情だよ、苦情。ここんところ都市部内での配達が滞りがちなんだとよ」
人流と物流を担うのが御者の仕事であり、これを統括するのが運送組合。
そんな運送組合が管轄している業務のひとつに配達がある。
俺みたいな御者が都市の外部から運んできた大量の荷や手紙などを、仕分けして宛先へと届ける仕事。
地域にもよるがここ城塞都市ソーヌでは、支部長のナクラの方針によって第三等級の御者らが請け負うことになっている。
いちおう騎獣は扱えるがまだまだ実力不足が否めない駆け出しどもが、経験と実績を積むための下積み業務。
しかし歩合制にてがんばるほどに稼げるもので、荒事があまり得意ではない御者などは、こちらを主軸に活動している者もいる。
配達業務が滞っていると聞いて俺は首をかしげた。
ナクラは将来を見据えて次世代の育成にも力を入れており、おかげでうちの支部では第三等級の御者は五十人以上も揃っている。なのに手が足りなくなる事態がどうして起こる?
俺が留守にしていた間に大規模な商隊でもソーヌにやってきて、一時的に入荷量が跳ね上がったのだろうか?
しかしそれならばとっくに俺の耳にも情報が入っていてもよさそうなものなのに……。
どうにも解せない。
俺は同業者の男にもう少し詳しい事情をたずねようとしたのだが、いきなり突進してきた小さな影がそれを邪魔する。
「ダイア師匠ぅぅぅっ」
腰にヒシと抱きつき上目遣いで涙を浮かべているのは後輩の御者であった。
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