上 下
40 / 55

040 竹藪の中

しおりを挟む
 
 竹林の中を懸命に逃げるミヨ婆。
 だが、悲しいかな老いさらばえた身では追っ手を振り切れない。
 はや息もあがっており、胸が苦しい、卒倒しそう。
 と、おもったら前方の竹を避け損ねてぶつかってしまった。
 はじかれ転んだミヨ婆が、慌てて立ち上がろうとするも、すぐ背後にてカサリと落ち葉を踏む音がした。
 ふり返ったミヨ婆は「ひぃいぃぃぃぃぃ」と悲鳴をあげる。
 うしろに立っていたのが、裏返った亡者――裏返りであったから。

 裏返りは、めくりさまに体をめくられた者の末路。
 怪異により作られた、新たな怪異。
 これの恐ろしいところは、ゾンビのごとく生者へと襲いかかっては、次々に仲間を増やすこと。
 裏返りは生者の温もりに惹かれており、子どもも年寄りも見境なく襲いかかる。
 憐れな老婆とて、もちろん例外ではない。
 そう、ミヨ婆を執拗に追っていたのは、裏返りたちであったのだ。

 覆いかぶさってきた裏返りに、ミヨ婆はたちまち組み敷かれた。
 ミヨ婆は手足をバタつかせ、爪を立てたり、噛みついたりもしたけれども、相手はビクともしない。
 それもそのはずだ。なにせとっくに死んでいるのだから。
 容赦なく口の中へと指を突っ込まれて、ミヨ婆はむせび泣く。
 でも、次の瞬間――

 ドガッ!

 重たく鈍い音がして、血飛沫が散る。
 急に圧が失せた。

「……ふぅ、ギリギリ間に合ったようだな」

 駆けつけた隻眼隻手の老狩人の仕業であった。
 老婆へと襲いかかっている裏返り、無言のままその背後に近づき、側頭部めがけてバールの一撃を放つ。

「……大丈夫か、怪我はないか、立てるか」

 声をかけるタケさんの目はつねになく優しい。
 けど……

「ひぃひぃ、いや~、いや~」

 返ってきたのは、ミヨ婆からの強い拒絶であった。
 向けられるのは感謝の眼差しではなくて、憎悪と嫌悪がこもったもの。
 たんに怯えているのとは違う。
 それは彼女の心身および魂にまで刻まれた、決して消えない疵による忌避。
 ミヨ婆は他人に触れられることを、とくに男性に近寄られるのをことのほか嫌う。
 過去に彼女が受けた仕打ちからすれば、それも無理からぬことにて。
 それを理解していたからこそ、タケさんもまた村へと舞い戻ってからは、不用意に彼女を刺激しないようにと、極力接触を控えて陰ながらの支援に留めていた。

 あぁ、無情……
 わかっていたことだ。
 だが、それでも差しのべた手を全力で打ち払われるのは、おもいのほか堪える。
 頼むから、そんな目で自分を見ないでくれ! と叫びたくなる。
 心がギチリと軋む。
 後悔と慙愧の念がよぎっては、渦を巻く。
 どうして……、どうしてあの時自分は、周囲の反対を押し切ってでも、たとえ村中を敵にまわしてでも郡家の屋敷へと乗り込み、彼女を連れて逃げなかったのかと。
 その結果が、このざまだ。
 タケさんは自嘲しつつ、カッと隻眼を見開き怒鳴った。

「……動けるのならば、とっとと寺へ行け!」

 一喝された老婆は、あわあわ逃げるようにしてその場を立ち去る。
 その背を見送ることなく、タケさんはバールを持ち直す。
 視線の先には裏返りどもの姿があった。
 ミヨ婆を助ける際に打ち据えた連中だが、やはりバールで殴打した程度では倒しきれず。ほんの一時しのぎにしかならなかったようである。

「……ある意味、眷属よりもやっかいだな。強さはたいしたことないが、とっくに死んでいるから、頭を潰そうが心臓をくり抜こうが、さして効果が期待できん。この分では手足の一二本を斬り落としたところで、止まりそうにないな。
 やれやれ、こっちは腹の傷まで開いて、息も絶えだえだというのに」

 老狩人はペッと赤いツバを吐き、自ら裏返りたちへと近づいていく。

  ◇

 僕が運転する軽トラックが竹林へと到着したところで、藪の中から姿を見せたのはミヨ婆であった。
 ふらふらと数歩進んだとおもったら、その場でパタリと倒れたもので、僕は驚き駆けつける。
 ミヨ婆は気を失っていた。あちこちすり傷だらけにて、見るからに疲労困憊、ついに限界を迎えたのであろう。
 僕は彼女をそっと抱きかかえると、軽トラックの助手席に運び込む。ドアには鍵をかけておく。
 気休めだが、荷台に寝かせておくよりかはマシであろう。
 でもって、こうなると心配なのがタケさんのこと。
 続いて出てくるかとおもったが、その気配がない。
 散弾銃を担ぎ、僕はウエストポーチの中をざっと確認する。

(かなり減っちゃったけど、弾はまだ余裕がある。これなら……)

 一度、深呼吸をしてから、僕は竹藪の中へと足を踏み入れた。


しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

怖いお話。短編集

赤羽こうじ
ホラー
 今まで投稿した、ホラー系のお話をまとめてみました。  初めて投稿したホラー『遠き日のかくれんぼ』や、サイコ的な『初めての男』等、色々な『怖い』の短編集です。  その他、『動画投稿』『神社』(仮)等も順次投稿していきます。  全て一万字前後から二万字前後で完結する短編となります。 ※2023年11月末にて遠き日のかくれんぼは非公開とさせて頂き、同年12月より『あの日のかくれんぼ』としてリメイク作品として公開させて頂きます。

怪異語り 〜世にも奇妙で怖い話〜

ズマ@怪異語り
ホラー
五分で読める、1話完結のホラー短編・怪談集! 信じようと信じまいと、誰かがどこかで体験した怪異。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

処理中です...