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020 昔語り
しおりを挟むタケさんは炭焼きの家に生まれた。
とはいっても独立はしておらずコキ使われる立場にて、職人の下働きのようなもの。
貧乏子だくさんの五男坊、そのうえ父は稼いだはしから呑んでしまうだけでなく、酔っては妻子に暴力を振るうような男であった。
いまでこそ、ドメスティック・バイオレンスなんぞという言葉があり問題視されているが、ほんの少し前まではこの手の男は世間に掃いて捨てるほどいたものである。
おかげで暮らしはカツカツ、ちっとも楽にならず。
幼少期のタケさんはいつも腹をすかしていた。空腹のあまり食べ物を求めては、ひとり山中を彷徨うようになったのは、ある意味自然の流れであったのかもしれない。
家は長男が継ぐ。
それが当たり前の時代である。
ましてや貧しい家のことだ。他の子どもといえば、女の子は女衒(ぜげん)に売られて廓行き、男の子は商家などに奉公へ出される。あとは水呑み百姓になるか、従者としてどこぞの家に潜り込むか、職人に弟子入りするか、荷運びや普請場などで日銭を稼ぐか、頭を丸めて坊主になるかぐらいにて、選択肢は限られている。
それが山間部のド田舎となればなおのこと。
だが、タケさんは運が良かった。
山をほっつき歩くうちに知り合った猟師に気に入られて、弟子入りできた。
猟師夫婦には子がなく、まるで本当の子どものように可愛がってもらえた。
また当人にやる気があり、山への適性もあってか、師匠の教えをみるみる吸収していく。
十七の歳にはもうひとりで熊を狩れる、いっぱしの猟師へと成長していた。
そんな頃であった。
たまさか村へと熊の胆(くまのい)や獣の毛皮などを売りに行ったところで、タケさんはある娘と知り合う。
若いふたりはたちまち恋に落ちた。
タケさんは村へと降りてくるたびに娘との逢瀬を重ねる。
すでに猟師としてひとり立ちしていたタケさん、嫁を迎えても問題はない。
娘の家は小作人にて、稼ぎのいい猟師のところに嫁げるのならばむしろありがたいと、両親も歓迎してくれた。
話はとんとん拍子に進み、はや結納も済ませ、あとは吉日を選んで祝言をあげて輿入れさせるばかりとなる。
けれども、祝言を数日後に控えていた時に事件は起きた。
庄屋――郡家の当主に、花嫁がさらわれてしまったのである。
郡家の当主はたいそうな漁色家にて、じつはずっと以前から器量よしの娘に目をつけていた。いずれは自宅の離れにでも囲うつもりで、蕾が花開くのをいまかいまかと楽しみにしていた。
それをぽっと出の猟師の若僧風情に、横からかっさらわれたことに激昂する。
勝手な話である。
そして皮肉なことに、タケさんと恋仲になることにより、娘は女として開花し色香をまとい、それがよりいっそう郡家の当主の劣情を刺激し無法に駆り立ててしまった。
宵の口、郡家の当主は手下の男衆を引きつれ、いきなり宅へと押し入ってきたとおもったら、有無を言わさず娘を連れていってしまった。
この時、タケさんは運悪く山奥へと踏み入っていた。祝言の席にて振る舞うご馳走にと、猪を探していたのである。
報せを受けて血相を変えたタケさんが駆けつけたときには、すでに手遅れ。
花は無惨に手折られたあとであった……
タケさんは激怒した。
怒りのままに猟銃を手に相手方へと乗り込もうとする。
娘を取り返し、悪党どもに天誅を下すために。
だが出来なかった。いや、させてもらえなかったのだ。
村人らによって押しとどめられてしまう。
「どうか、どうか堪忍してくれ。縁がなかったと、うちの娘のことは忘れてくれ」
挙句の果てには、娘の両親からも涙ながらにそう訴えられ、タケさんは愕然とする。
なにせ相手は大地主――郡家の当主だ。
もしもにらまれたら、あっという間に干上がってしまう。この土地ではとても生きていけない。
だから悔しくともこらえてくれと、娘の両親や村の連中は云うのだ。
「ふざけるな! だったらこんな土地、とっとと出て行けばいい!」
タケさんは叫ぶも、それは彼が猟師だから。
村の人間たちは違う、土地に根をおろし生きている。
狭い世界しか知らぬ彼らにとっては、ここがすべて。
だから理不尽な現実からは目を背け、何事もなかったかのようにして粛々と生きていく。
ばかりか「あの娘には気の毒だが、おかげで他の女たちが助かった。郡家の当主の女狂いには、みなほとほと手を焼いていたんだ」なんぞと情けないことをのたまう者までいて……
好色な当主の欲望が娘に向かっている間、自分たちは安泰。
それすなわち、彼女を人身御供として差し出すということ。
村人らの思うところ、本心、その酷薄さを知り、タケさんは絶句する。目の前が真っ暗になった。
ここに味方はいない。
みんな諦めてしまっている。
どいつもこいつも卑屈な小作人根性が骨の随にまで染みついており、搾取されるのが当たり前だと思い込んでいる。
心底、失望した。
タケさんが山を捨て、この地を去ったのは、それからすぐのことであった。
◇
「……まさかそんな土地に舞い戻ることなるとはな」
昔語りを終えたタケさんが顔を歪め自嘲する。
外の世界へと飛び出し、失意のままに放浪を続けていたところ、とある事件に関わったのをきっかけとして、組織に所属することになったタケさん。
吸血鬼との血みどろの戦いに身を投じて幾星霜、各地を転戦する。
気づけばいい歳になっていた。
そろそろ前線を渡り歩くのがキツクなってきたところで、本部より打診されたのが監視業務であった。
よもや赴任先がかつて自分が捨てた土地、古巣と知ってどうしようかと迷ったものの、タケさんは結局任務を引き受けることにする。
理由は特にない。ただなんとなくだ。
あれからずいぶんと長い年月が経っている。
タケさん自身もすっかり様変わりしており、彼のことを憶えている者もいないだろう。
すべては遠い過去のこと……
……のはずであった。
だが、残滓がなおもしつこくこびりついていた。
それはふたりの人物の中に。
ひとりは僕の祖父――若い頃に何度かいっしょに狩りをした間柄にて。娘がさらわれたことを山奥にいるタケさんに報せに走ったのは、誰あろう僕の祖父であった。
そして、もうひとりはミヨ婆。
この話を聞いた瞬間、僕のなかでカチリとすべてのピースがかみ合う。
タケさんの昔語り――どこかで聞いたことがあるような話だとおもったら、やっぱりそうであったのか。
「ひょっとして、ミヨ婆がかつて将来を誓っていた相手って……」
タケさんが沈痛な面持ちでうなづく。
半世紀以上ぶりに村へと戻ってみれば、待っていたのはかつて愛した人の、すっかり変わり果てた姿……
いくらなんでも、これはあんまりであろう。
再会した時のタケさんの受けたショックたるや、いかばかりか。
僕にはまるで想像もつかない。
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