村事変 ― 僕の生まれ育った村がえらいことになったんだけど……この話、興味ある?

月芝

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008 秘密

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 大鉈片手に近づいてくる啓介。
 少しでも離れようと、僕は尻もちをついたままじりじり後退る。
 でも、すぐに祠へと行き当たって、それ以上はもう。
 怯える僕に向かって啓介がスンと真顔になって言った。

「なぁ、アキもあいつとヤったんか?」

 その言葉に、僕はハッとする。
 やはりそうか、ついに秘密が露見してしまったのだ。
 僕がずっと抱えていた秘密……
 それは啓介の彼女である長谷部佐奈(はせべさな)のことだ。

 長谷部佐奈は快活なボクっ娘で、小柄ながらもいつも元気一杯な女の子、サバサバした性格をしており、まるで猫のような同級生。グループのムードメーカー的存在でもあった。
 大きな啓介と小さな佐奈、ふたりはその身長差から周囲より「でこぼこカップル」なんぞと揶揄われていたものである。
 僕が知る限りでは、ふたりの仲はずっと良好であった。
 好奇心旺盛で、ちょっと我が強く、ときにワガママに振る舞いがちであった佐奈を、啓介は持ち前のおおらかさで優しく包み込み、それはそれは大切にしていたとおもう。
 でも、啓介はあまりにも彼女を大切に扱い過ぎたのだ。
 それゆえに佐奈の本質に気づけなかった。

 佐奈を猫に例えたのは、なにもその愛くるしい見た目や言動からだけではない。
 猫という生き物は長日繁殖動物である。
 長日繁殖動物というのは、日照時間が長くなる春先から夏にかけて発情する動物のこと。
 しかし飼育下にある猫は室内で飼われており、四季の日照時間に関係なく照明の光を浴びているせいで、つねに発情しやすい環境にある。
 通常、猫が発情している期間は平均して二~三週間ほど。
 発情期は定期的に訪れ、わりと年がら年中。
 あまり季節性がないのは、人間と同じ。
 猫たちは、あまりにも人間に近づき過ぎたのだ。
 佐奈が男女の営みに興味を持ち、その沼にはまって、いつ頃から男漁りをしていたのか、僕は知らない。

 昼は淑女のように、夜は娼婦のように。
 好色、淫乱、節操なし、ビッチ……

 たんにそう言い捨てるのは簡単だが、きっとそれだけじゃない。
 これはあくまでも僕の勝手な想像だが、もしかしたら佐奈はどうしようもないほどの孤独に襲われる瞬間があったのかもしれない。
 あんまりにも寂しくて、辛くて苦しくて、心が凍えて震えて、どうしようもなくなって。
 その心の隙間を埋めるために、異性を求めていたのではなかろうか。
 では、どうしてもっとも身近にいる啓介に助けを求めなかったのかといえば、それはきっと大好きだから。
 特別な相手だからこそ、自分の本当の姿を見せたくない。
 男だってそうだ。好きな子の前では格好もつけるし見栄も張る、情けないところなんて見せたくないし、見られたくない。
 それと同じこと。
 だけどそんな想いとは裏腹に、佐奈のやっていることは啓介にとっては重大な裏切り行為にて……

「あのクソアマ、知らなかったのは俺だけなんだってな? ははは、俺はいい笑いもんだ。どいつもこいつもバカにしくさって!」

 啓介が怒りのままに大鉈を振り下ろそうとする。
 凶刃が迫るさなか、僕は必死に叫んだ。

「やってない! やってない! だって、だって僕はまだ童貞だぁあぁぁぁーーーーーーっ!」

 まごうことなき、嘘偽りのない、真実である。
 たしかに佐奈に誘われたことはあった。
 あれは僕が就職を決めて、いよいよ村を出る前の晩のこと。
 夜更けに呼び出され、佐奈は妖しく笑い「餞別代わりにやらしてあげる」と言ってきた。
 でも、僕は「いいえ、けっこうです」と覚えたての敬語できっぱり断った。
 なぜなら僕は啓介のことが、わりと好きだったからだ。
 そんな彼の彼女とニャンニャンするわけにはいかない。
 僕は一時の劣情に身をまかせたりなんぞはしない。
 といえば聞こえはいいが、ようはビビったのである。
 えっ、男子たるもの、据え膳喰わねばなんとやら?
 ムリムリムリ!
 なにせ僕のジュニアは内気な恥ずかしがり屋さん、人見知りでちょっと引きこもり気味なのだ。
 そんなジュニアにいきなり屋外寝取りプレイとか、浮気シチュエーションはハードルが高過ぎる!
 勃つか!

 夕陽が差し込むめくりさまの境内に、僕の魂の叫びが響く。
 よもやの童貞宣言。
 啓介は動きを止めて、ぽかん。

「………………それは本当なのか? アキ」
「くっ、そうだよ、僕は正真正銘のチェリーボーイさ。笑いたければ笑えよケイスケ」
「いや、てっきり佐奈にちょかいを出しただけでは飽き足らず、都会ではっちゃけているものだとばかり」
「フッ、たしかに僕はシティボーイにはなれた。でも仕事が忙し過ぎて、大切なジュニアにかまってやれない甲斐性なしなのさ」
「そんなに忙しいのか?」
「あぁ、朝は七時半に出勤して、その日のうちに帰れることなんてめったにないよ。いつもいつも、午前さま。店に寝泊りすることなんてしょっちゅうさ。ちなみに残業代はナシ。なにせうちの店はサービス精神が旺盛だからなぁ。
 ところで知ってるか、ケイスケ? ダンボールってさ、あれでけっこう寝心地がいいんだぜ」
「……俺、知ってるぞ。そういうのって社畜とかブラック企業っていうんだ」
「ブラック? ははは、何を大袈裟な。せいぜいグレーだよ、グレー。十四日連勤とかしょっちゅうだけど、いちおう休みはとれてるし、有給もあるという噂だ。
 うちは仮にも二部上場企業だからな。もしも本当に黒だったら、とっくに労働基準監督署が動いているはずさ。
 でもさ、周囲も誰も何も云わないってことは、きっとこれぐらい世間では普通なんだろう」
「アキ、お、おまえ………………」

 啓介は振り上げていた大鉈を下ろし、グスっと鼻をすする。
 あいかわらず目には怒りが宿っているものの、それをこちらにぶつけるつもりは失せたらしい。
 まるで生きた心地がしなかったが、どうやら誤解は解けたようでなにより。
 助かったと僕は安堵する。


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