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224 予言の地

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 空のキャンパスが薄っすらとした灰色にてムラなく塗りつぶされている。
 晴れてはいるけれども、太陽は隠れている。かといって暗くはなく雨が降るでもない。なんともいえないどっちつかずの天気。ここはずっとそんな空を抱えた場所。
 遠くに見えるなだらかな丘陵も、手前に広がる平たんな大地も白い。陽炎がゆらめく地平の彼方までもが白い。
 その景色の中央に横たわるようにして存在している歪な形をした湖。
 元はまん丸できれいなすり鉢状であったというが、気の遠くなるような歳月を経て、いまの姿となる。
 水までもが白く濁っているように見えるが、それは水底が白いからそのように目に映るだけ。
 周囲には一切の緑の姿も、生き物の影もない。
 耳を澄ましても聞こえてくるのは、乾いた風と揺れる水面のさざ波の音ばかり。
 そんな湖の岸辺に立つのは、一人の草臥れた旅装姿の男。
 胸元のボタンが失われて久しいよれよれの上着、すっかり色あせて裾がほつれているズボン。ブーツはあまりにも酷使されすぎて、毎回修理に持ち込んだ先にて職人が顔を引きつらせている。同様に使い古されたマントは、万年床のようにて男の体臭やら汗と砂埃が仲良く同棲中。
 髪はボサボサ、日焼けした顔には無精ひげを生やし、口元から紙タバコの姿が消えるのは寝ているときぐらいというヘビースモーカー。
 この紙タバコ、ずっと昔に異世界渡りの勇者が伝えた品だが、弱いながらも中毒性があるとかで教会より準禁止品目に指定されている。だが男はひと目をはばかることなくコレを愛煙し続けている。

 男の背後の空間が、ゆっくりと縦に裂けていく。
 奥から白い仮面をかぶり、全身が黒い包帯で覆われた第三の聖騎士ワルドが姿をあらわす。
 無精ひげの男は湖の方をじっと見つめたまま、ふり返ることもなく「ここが星読みの娘が示した場所だ」と告げた。

 ウインザム帝国、星読みの一族の長の娘ノノア。
 星読みの一族は、第三の眼と呼ばれるものを召喚し、未来を垣間見る。
 ノノアは類まれな才能を秘めており、かつて誰も成しえなかった第四の眼を出現させる。そして「赤い心臓の在り処はいずこ」との問いかけに「赤い星が堕ちた地。死の水が満ちる底」との福音をもたらす。
 これまでずっと各地を転々とし「青い心臓」と「赤い心臓」の探索の任に当たっていたのがこの無精ひげの男、第五の聖騎士ストラノ。
 ストラノは旅から旅の生活にて、行く先々で知識や伝承を求め、歴史を遡り、土地を検分し、遺跡に潜り、地道に探索を続けて、どうにか自力で「青い心臓」がウインザム帝国にあることは発見したものの、「赤い心臓」だけはいまいち手掛かりが少なくて、難儀していた。
 だから赤という色に着目して、それに由来のある地や言い伝えを片っ端から漁っていたおかげで、星読みの娘からの情報を得て、すぐにピンときた彼は、まっすぐにこの地を目指したのである。

 湖を眺めながらストラノは背後の男に「まちがっても湖の水は飲むなよ。ノドが焼けるぞ」と言った。
 海の水よりも、なお濃い塩分濃度。このような地はほかにもいくつかあり、そこでは塩を求める者らで賑わっているが、ここには誰も寄りつかない。それはここの水には塩分の他にもカラダを蝕む毒素が含まれているから。

「この地方に残る伝承では、この湖は赤い星が堕ちて産まれたという。死の水という条件にも合致している。まずここでまちがいないだろう。だが問題は……」

 肝心の目的の品が、この湖の底にあるということ。
 あまりの塩分濃度ゆえに、浮力が尋常ではなくて潜れない。よしんば潜れたとしても、長時間、この水に触れていると例え口から飲まなくとも死へと至る。
 水を抜くのが一番だが、この広大な湖を丸ごととなれば、いったいどれほどの労力と時間がかかることか。
 だがストラノの心配をよそに、ワルドは「自分はそのためにここに来た」と言った。

 ワルドは己のカラダを何重にも覆っている黒い包帯を丁寧にほどいていく。
 脱ぎながらワルドはストラノに話しかける。

「ストラノ殿は『赤い心臓』の発掘を終えたあとは、やはり」
「あぁ、悪いがオレの仕事はここまでだ。抜けさせてもらう。ゼニスさまとも最初っからそういう約束だったからな」
「そうですか……。ラドボルグ殿を失ったので、できれば戻っていただきたかったのですが」
「おいおい、あんまりオレを買いかぶらないでくれよ。おっさんは荒ごとは得意じゃないんだ。それにラドボルグを倒すようなヤツの相手なんて、かんべんしてくれ」
「ご謙遜を。ノットガルド中の未開の地へ臆することなく単身で乗り込み、いかなる過酷な旅でも平然とこなしているというのに」

 強さとひと口に言っても、いろんなタイプがある。
 第二の聖騎士ラドボルグが直接的に敵をねじ伏せる強さだとしたら、第五の聖騎士ストラノの強さはまるで異なったモノ。
 周囲の状況に応じて柔軟に対応できる判断能力。いくつもの選択肢の中から、常に的確に最上のモノを選ぶ嗅覚。目的を達成するのに必要ならば、躊躇うことなく何でも取り入れるし、何でも切り捨てられる。
 生来の気質もあるが、過酷な探索の旅により、それがいっそう培われ磨かれたストラノの強さ。だがそれゆえに聖騎士としての自負や使命感もどこか希薄にて、同胞らとは一線を画することになる。

「そもそもオレは知りたかっただけなんだ。かつて世界に何があったのか? どうして女神の交代劇が起こったのか? 壮大で美しくもどこか歪んでいるこのノットガルド、その成り立ちとかを。好奇心の赴くままに、各地を転々として野垂れ死に寸前のところを助けてもらったことには、ゼニスさまに感謝している。だから聖騎士としてここまで協力してきた。だが、やはり戦いとなると、どうにも性に合わなくってなぁ」

 ストラノのこの言葉に、「そうですか」とワルド。
 やがて黒い包帯の下より露わとなった痩身。その肌は、重度のヤケドでも負っているかのようなひどいあり様。
 あまりの痛ましさにストラノはつい視線を逸らすも、ワルドは特に気にした様子もなく裸身を晒す。
 最後に仮面もとるが、そこにあったのは意外にも端正な若者の顔。
 しかし肌はカラダ同様にて、なまじ整っているからこそ、いっそ痛々しさも募っていた。

「これよりチカラを使います。危ないですので、下がっていてください」

 ワルドは言うなり湖の中へと入っていく。死の水の毒素など気にすることもなく。
 腰より下の部分が完全に見えなくなるほどまで進んだところで、ようやくワルドは止まった。
 両の手の平を水面につけるようにして、ワルドは静かにつぶやく。

「空間収縮、開始」

 とたんに彼を中心にして渦が発生。それはすぐさま巨大な渦となり、中心部より湖の水を轟々と飲み込み始めた。

 第三の聖騎士ワルド。
 その能力はすべての光を遮断する「無明」、すべての音を遮断する「無音」、そして空間を操作する「空間収縮」の三つ。
 亜空間移動を可能にしているのは、この三番目の能力。
 二点を同時に収縮させることで、お菓子の袋を開けるかのように、空間を引っ張って縦に裂き穴を穿ち、奥へ奥へと同様につなげることで成している。
 収縮ポイントを増やしたり、配置を変えることによって、エネルギーの流れを操り、すべてをのみ込む疑似ブラックホールのような力場を発生させることも可能。
 ただし、その代償は大きく、反動によって自身のカラダをも激しく傷つける。ムリをすればいずれ我が身の破滅をも招く。
 日頃、全身に巻いていある黒い包帯は魔導具にて、ややもすれば暴走しがちになるチカラを抑えるためのもの。白い仮面は制御および補助装置の意味合いを持つ。
 それらをあえて外しているのは、これほどの規模の湖の水を除去するには、かぎりなく暴走状態に近い大きなチカラを行使する必要があったから。

 我が身を省みることなく、恐れることもない。なんらためらうことなく危険なチカラを平然と使っているワルド。
 そんな彼の姿を遠目に見つめているストラノは複雑な表情を浮かべていた。
 同胞である聖騎士たちは口を開けばそろって「すべては女神イースクロアのため」だの「ゼニスさまのため」と言っては、ありえないほどの献身を示す。
 それがいかに異常なことであるか。
 忠誠や信仰だけではない。心酔をも凌駕する、何か得体の知れないモノが根底に潜んでいる。ストラトはそんな気がしてしようがなかった。
 みるみると下がっていく湖の水位。
 じきに白い湖底が顔を見せ始めた。


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