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186 星読みの娘
しおりを挟む聖魔戦線において中核を担うウインザム帝国。
六つの種族の各々が統治する六つの国。それらが集合して形成される軍事国家。
これを管理運営するのは一人の皇帝と最高評議会。
皇帝及び評議会の委員は選出制をとっている。
個々が充分に自立できる国力を保有しているのにもかかわらず、聖クロア教への信仰と軍事、経済、その他諸々においてがっちりと手を組むことで、ノットガルド屈指の超大国として君臨している。
このたび突如として第七十九次聖魔戦線が停戦となった。
帝国民においては、これに不満を抱く者らがいる一方で、たとえ一時のこととはいえ平和が訪れたことを歓迎する者も少なくない。
だがこの事柄に付随してウインザム帝国を駆け巡ったもう一つの情報こそが、さらにみなをおおいに驚かせる。
『皇帝、退位を表明』
現皇帝ダンガー・ル・ウインザムは、在位年数歴代第四位を誇る傑物。しかし上位三名は戦乱の時代を経ていない。そのことを加味すれば、ダンガーがいかに卓越した手腕の持ち主であったかは容易に理解できよう。
全身が鉱物の結晶体にて構成され、歩くマネキンのような容姿のエクシプタ種族出身の彼は、ときに先頭に立ち自ら軍勢を率いる武闘派として国内外に広く知られている。
が、それは彼の一面に過ぎない。むしろ彼の本領は政治バランスの妙にある。
ウインザム帝国は多種族国家。結びつきを密にすることで、より強固となり莫大な富を産む一方、種族が混在することで発生する問題も通常の比ではない。なにせ根本的な生き物としての在り方がまるでちがう者同士なのだから。
あちらを立てればこちらが立たず。片手落ちでは話にならない。かといって八方美人の風見鶏でやっていけるほど甘くはない。
ときに厳格に、ときに温和に、柔軟に対処することが必要不可欠。
ひとつの小さな波紋が、他にどのような影響を及ぼすのか。つねに想像力を駆使して、出来得るかぎり後顧の憂いを断ち、未来へと希望を紡ぐ。
それはおそろしく繊細かつ根気がいる作業。神経も体力も寿命もゴリゴリと削られる。
たんなる剛毅で果敢なだけではとても続けられない。それがウインザムの皇帝という地位。
長年、その地位にいたダンガーが退位する。
それすなわち次期皇帝の選定が始まることを意味しており、この話題と停戦の騒動が重なり、巷は異様なざわめきに包まれつつあった。
ウインザム帝国の中枢を担う帝都。
そこから北に飛竜で一日の距離にある標高千メートルほどの山。
こんもりとした形状にて、なだらかな傾斜と穏やかな気候。
山のテッペンには小さな神殿。そして麓にはこれを伏し拝むように村が点在するばかりの、のどかな環境。
神殿に住む者らはみな銀の髪をしているのが特徴にて、帝国民からは敬意を込めて「星読みの一族」と呼ばれている。
星読み、それは運命を見定めるチカラ。
建国以来、これまでに幾度も帝国の進むべき道を指し示してきた。またそれゆえに最高評議会の外部顧問のような役割も担っており、中央の求めに応じて馳せ参じることを任としている。
一族の長は代々、もっともチカラが強いものが襲名し、神殿の神官長も兼任。
そして現在の長はベル・ルミエールという女性が務めていた。
神殿の中庭にて、花壇の手入れをしていたベル・ルミエール。
「おかあさまー」
トテトテかけてきたのはトリの巣頭の女の子。
半べそをかいており、母親の腰にヒシと抱きつくなり顔をうずめた。
「あらあら、どうしたのノノア。またお昼寝中にこわい夢でもみたの?」
「うん。剣を持ったおじちゃんたちに追いかけられるの。イヤだっていっても、どこまで追いかけてくるの。何かをおしえろおしえろって、あたいとブランシュをいじめるの」
ブランシュとは神殿で飼われている白い雌の飛竜のこと。
とても気性の優しく聡明な飛竜にて、赤子の頃よりノノアのお守りもよくしてくれていたせいか、いまでは娘の一番の友だちになっている。
ぐずっている愛娘の頭を優しく撫でながらベルはたずねた。
「その夢のお話、誰かにした?」
「ううん。いってない。おかあさまとやくそくしてるから」
「そう。えらいわ、ノノア」
母親にギュッと抱きしめられ、褒められて、「てへへへ」と照れたノノア。
機嫌を直した我が子の様子にベルもおもわず笑みが零れる。だがその表情には一抹の陰が漂うのを拭いきれていないことに、幼子は気づいていない。
星読みの一族は大なり小なり、そのチカラを親より受け継ぐ。
しかしそのチカラが発現するのは、早やくても十二歳を過ぎてから。
なのにノノアは六歳にして、すでにチカラが発現しかけている。その影響が夢として現れているのだ。
原因は、おそらくノノアの身に宿るチカラが強すぎるがゆえだと、母は推測している。
強すぎるチカラは自身のみならず、ときに周囲をも巻き込んで災いと成す。
だからこそ、このことを公言することを娘に禁じた母。
ベルはノノアの未来へと想いを馳せると、いつも胸にざわつきを覚える。
はじめは小さなさざ波だった。だが日を追うごとに、その波が荒くなってゆく。
許可なく使用することは禁じられている星読みのチカラ。禁を犯し、こっそり使って愛娘の未来について何度か探ってみた。
しかし映像は何も視えてこない。
ただ脳裏に浮かぶのは「赤い心臓」「アルチャージル」「人形を連れた女勇者」という断片的なキーワードばかり。
アルチャージルは地上の楽園と称されるほど世界的に有名なリゾート地。
だがそれ以外は皆目見当もつかない。女勇者についてもそれとなく調べてみたが、該当するような人物は見当たらず、時間ばかりが過ぎていき今日へと至る。
甘えてくる娘をあやしながら、すばやく周囲の気配を探ったベルは、誰もいないことを確認してから、星読みのチカラを発動した。
ベルの頭上に淡い光の球体が出現。やがてその中心に一つの瞳が浮かびあがる。
これこそが第三の眼と呼ばれるモノにて、この眼を通して運命を垣間見る。
するとこれまでとはちがい、ある映像が視えてきた。
先触れもなく、いきなり神殿へと帝都からやってきた使者の一団。
皇帝からの緊急の招集でさえも、まずは一報が届くというのに。
使者として迎えにやってきたというわりには、全員が武装している騎士たち。まるでこれから戦地へと赴くかのような物々しさ。
おかしいといえば一団を率いる人物もまたおかしい。
帝都の役人ではなく、聖クロア教会から聖魔戦線のためにと派遣されている将軍が、何故だか代表となっていた。
確か名をラドボルグといったはず。
ベルはその人物に見覚えがあった。帝都での祭事や出陣式のおりに見かけたことがある。
厳めしい巨漢の騎士。だというのにいつも瞼を閉じている。それでいて目を閉じたままでも悠然と動く。薄めを開けているのか、盲目なのかはわからない。
どっしりとした山のような男。
けれどもじっと眺めていると、なにやら心がざわついてくる。まるで断崖絶壁を間近で見上げているかのような、もしくは崖の端から顔を出して真下をのぞいているときのような、漠然とした不安な気分にさせられる。
ラドボルグが召喚状を提示しながら抑揚のない声で言った。
「このたびは娘のノノア・ルミエールにも同行してもらう」
星読みの長のみならず、その幼い娘をも連れてこい。
こんな命令は初めてのこと。
奇妙な言伝を口にしたラドボルグ。
相変わらず瞼は閉じられており、いまいち感情が読み取れない。
男と対峙しているうちに、ゾクリと背中に悪寒が走るのをベルは感じた。
そして確信めいたものをも感じる。
それは「この命令は正規のものじゃない」ということ。
召喚状はまちがいなく最高評議会が発行した正式なもの。おそらくは次期皇帝の選定についての相談だろう。
しかし娘の同行要請に関してはちがう。書面のどこにもそのようなことは書かれていない。おそらくはこの男の独断。でもどうして?
この男、もしくはこの者の背後にいる何者かがノノアを欲する理由。
それを考えたとき、真っ先に思い浮かんだのは「娘の能力」のこと。ずっと秘密にしてきたはずのチカラが、どういうわけだか外部にバレている!
長である自分ではなく、まだまだ未発達なノノアを担ぎ出し、いったい何をさせようというか? ……とてもイヤな予感がする。
何を企んでいるのかはわからないが、ラドボルグに娘を託してはいけない。
その想いばかりが強まっていく。
更に星読みのチカラを強めて、その先を探ろうとした矢先に、聞こえてきたのは足音。
中庭へと近寄って来る何者かの気配を察して、あわてて頭上に浮かべていた第三の眼を消したベル。
やや駆け足にて姿を見せたのは、神殿に努める神官の一人。
「ベルさま。ただいま帝都より使いの方が参られました。なにやら急ぎの用件だとか」
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