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其の五十五 飼育
しおりを挟む狭い土地でのこと。
駐在所に見知らぬ女が囲われていることは、すぐに村中に知れた。
それが細香より駐在にあてがわれた慰み者、いやさ贄であることもほどなく知れた。
だが誰も何も言わなかった。みな関わりあいになりたくなかったから。この地では千賀谷家に睨まれたが最後である。なによりも細香の逆鱗に触れることがたまらなく恐かった。
足の腱を切られて、歩くこともままならない女。
それを昼夜の境なく、劣情のおもむくままに、気まぐれに抱く駐在。ばかりか酔っては暴力までをも振るう。
あまりのことに駐在所を飛び出したところでどこにも逃げ場などない。村人らに救いを求めても、まるで存在しないかのように目をそらされ無視される。
小屋で飼育されている牛や豚とて、もう少しはましな扱いであろう。
この境遇、環境に女がどれほど絶望したことか。そしてじきに正気を失うまでに、さして時間はかからなかった。
◇
ある日のこと。
「た、たいへんです! 奥さまっ」
千賀谷の屋敷に泡を喰って駆け込んできたのは村人のひとり。
あわてふためき何ごとかおもえば「駐在の野郎が刺されて死んでる」とのこと。
だから細香は自分の息のかかった者ら数名を率いて殺害現場へと向かった。
場所は駐在所の奥。寝室にしている六畳一間。
敷きっぱなしの蒲団の上にて大の字になっている駐在。丸裸にて胸部から腹部にかけてめった刺しにされてこと切れていた。どうやら太鼓腹へと馬乗りされて、ろくに身動きできないところを殺られたらしい。
凶器は出刃包丁。
何度も何度も力任せに振り下ろしたらしく、重なった傷口の肉がまるで熟れてじゅくじゅくになった石榴(ざくろ)の実のよう。天井や壁に畳、血が部屋中のそこいらに飛び散っているのは、刃を勢いよく上げ下ろししたひょうしに跳ねたのであろう。刃に込められた殺意、憎悪の強さがひと目でわかるというもの。
あまりの惨状に怯む者らを尻目に、細香は目敏く床をこするように移動している血のついた足跡を発見する。
それは縁側から裏庭の方へと続いていた。
辿って細香は外へと。これを追えば隠れているであろう犯人へと案内してくれるはず。
途中から血の赤は失せてた。びっこを引くように歩くあとのみが土のうえに残るばかり。けれどもそれも裏庭の井戸のところで途絶えている。
縁より中をのぞき込んだ細香。
そこには暗い水底から、うらめしげにこちらをにらむ女の姿があった。
「ふふん、ついに耐えかねてクソ虫を殺して井戸に身を投げたか。あはは、上出来だよ、褒めてあげる。それでこそ、わざわざ洗面所の鏡を新しくしてやったかいがあったってもんさ」
誰にも聞こえないひとりごとを井戸の底へと吐き出す細香。
駐在から「髭剃り用に鏡が欲しい」と言われ、あえて壁へと大きめの、それこそ少し離れたら全身が映るぐらいのを設置させた。
戦時中の、しかも僻地の山間部のこと。鏡一枚とて取り寄せるのはちょっとした散財となる。にもかかわらずわざわざ用意させたのは、細香なりの当てこすり。
立派な鏡があれば、否応なしにいまの惨めな自分の姿を見ることになる。
現実をまざまざと直視させられる、突きつけられる。それはとてもつらいこと。
醜い己の姿を見て、少しは恥じて分をわきまえろ。
との意味合いを込めてのことであったのだが、駐在には真意が伝わらず、飼われていた女の方に刺さったようであった。
◇
女の遺体は井戸より引きあげられて、駐在ともども裏庭に穴を掘って埋められた。
現場も片付け、畳や蒲団は別の物へと入れ替え、血で汚れた物はまとめて焼いて灰とする。
届け出なんぞはしない。
いらぬ勘繰りを受けたら面倒なことになる。下手に官憲が出入りをして、うっかり村の醜聞や秘密が外部へと漏れるのも避けたいとの意図もあった。
入念に殺人事件の痕跡を消し、最後にこの件に関わった者らに細香が直々に申し伝える。
「こんな女ははじめから村にはいなかった。そして駐在はいつのまにやら出奔したんだ。なぁに、徴兵逃れとでも言っておけば、いまのご時世、それでまかり通る。あとは知らぬ存ぜぬを通すんだ。いいね? もしもいらぬことをしゃべったら」
こうして事件は闇から闇へと葬り去られたはずであったのだが……。
◇
話は細香らが、遠方の地にて潜んでいた母子のもとへと襲撃をかけた夜にまでさかのぼる。
細香より「その辺の堀にでも放り込んで沈めてこい」と赤子を渡された男。
はじめは命じられた通りにしようとした。けれどもどうにも気が引ける。いかに金で動く悪漢とて情が微塵もないわけじゃない。ましてや抵抗もできぬ赤子を手にかけるとなれば、また勝手がちがう。
かといってのこのこ連れ帰るなり匿うなりすれば、あの恐ろしい鬼女がどれほど怒り狂うことか。
どうしたものかと迷いに迷った末に思いついたのが、知り合いの人買いに譲ること。
ふつう赤子は手間ばかりかかるので敬遠されがち。だがまったく引き取り手がないわけじゃない。こればっかりは巡り合わせ、周囲との兼ね合い、持って産まれた運次第。
子どもが欲しい良家に引き取られるか、はたまたろくでなしのところで飼い殺されるかは、蓋を開けてみないとわからない。
それでも冷たい水底に石を抱かされて沈められるよりかは、ずっとましなはず……。
数年後。
とある置屋の女将が「いい出物はないかい?」と馴染みの人買いのところへと顔を出したおり、売れ残りの女の子を見かけた。
あいにくと赤子の時分には売れなかったものの、たまさかここのところ商いの調子がよくて余裕があった人買いは、気まぐれに赤子を飼うことにしたのだ。
そこに情はない。女の身は大きくなれば、いろいろと使い道がある。最低でも元は取れるだろうとの算段から。
「ふーん、器量はいまいちだけど、ちょこまかとよく動く。ずいぶんと働き者のようだねえ。ちょうど小間使いが欲しかったことだし、いいだろう。その子、うちで貰うよ」
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