秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

文字の大きさ
上 下
52 / 57

其の五十二 酒精怪炎

しおりを挟む
 
 駐在は向かい側に座る女の目を直視できない。
 否応なしに、瞳に映る自分自身を見ることになるから。
 かつてない自己否定、嫌悪感に苛まれて、胸がムカムカする。
 もしもいま目の前に鏡があったら、きっと叩き割っていたことであろう。
 机ひとつを挟んだ女との距離が近い。どうにも息苦しくてしようがない。無性に遠ざけたい。かすかに漂ってくる女の薫り。鼻孔からそろりと染み入ってくる。喉の奥がむず痒い。痰が絡む。
 たまらず逃れるようにして、駐在は壁掛け時計をちら見。
 時計の針はそろそろ午前五時を指そうとしている。

 そろそろ夜が明ける。太陽が顔を出す頃合い。
 ここ和良簾村は四方を険しい連山に囲まれており、他所よりも日の出はやや遅く、日の入りは早い土地。
 けれども外はあいもかわらず風が暴れているようで、駐在所兼住居であるこの建物全体もガタガタ、びりびり、小刻みに震えたまま。しかしあれほど激しく屋根を打ちつけていた雨音は、いつのまにか聞こえなくなっていた。
 どうやら季節外れの台風は通り過ぎたようだ。風もそのうち落ちつくだろう。だが昨夜は酷い雨風であったので、きっと集落のそこいらで被害が発生しているはず。村と外部を繋ぐ唯一の道路が無事だといいのだが。朝の巡回のときに確認しておかなければ……。

 気がつけば夜通しの事情聴取。
 本来であればこんなこと、とても許されない行為。切りのいいところで中断するつもりであったのに、つい女が語るのにまかせてしまった。
 それすなわち主導権を完全に奪われていたということ。話に引き込まれ、いつしか自分までもが、その場にいたような感覚に陥ることもしばしば。いやさ、女の話にどっぷり浸かり、溺れたといっても過言ではあるまい。
 聴取していたのか、それとも聴取させられていたのか。
 いまとなってはもうよくわからない。
 徹夜と体調不良も手伝い、頭が少しぼんやりしている。奥で薄もやが張っているようで、どうにもしゃんとしない。体も熱っぽく重だるい。
 一方で、ほぼ語り通しであった女はというとけろりとしている。これが二十代と三十代の差であろうか。

  ◇

 今宵のこと、女が語ったことがすべて本当ならば、これはとんでもない濡れ衣、冤罪事件だ。とても許される話ではない。ないのだが……。
 すでにレールが敷かれてしまっている。結論ありきの捜査、結論ありきの裁判、行きつく先は決まっている。
 たとえ裁判で女が真実を包み隠さず白状したとて、まともには取り合ってはもらえまい。
 せっかく記帳したこれもきっと黙認されるのにちがいあるまい。

 女に対する同情、理不尽な流れへの憤り、正義への失望、無力な自分、どっと押し寄せる徒労感、胸に去来する虚しさ。

 駐在は急に何もかもが嫌になり、すべてを投げ出したくなった。
 いっそ拳銃で脳天を撃ち抜けばすっきりするのであろうか。
 なんぞという馬鹿なことまでちらりと脳裏をよぎる。
 せっかく戦場で拾った命、残された人生を放棄するという考え。
 とたんに心がふっと軽くなったような気がした。煩わしいもろもろから解放される。それはとても素敵なこと……。
 なのに気分が高揚したことにより、意識がふたたび浮上して現実へと戻った。
 ひょうしにふつふつと疑問がいくつか湧く。
 思いつくままに駐在はそれらを口にしていた。

「そういえば夜更けに厠へと立った旦那さまは、どうして蔵なんぞに行ったんだ?」

 駐在はずっと引っかかっていた。戦後、鍵を新調して固く封印し、長らく近寄りもしなかったというのに、あんな時間帯に急に思い立った理由がわからない。
 すると女は「これは現場を調べた消防団の方の見解ですけれども」との前置きをしてから、続けてこう言った。

「酒精に誘われたのではないかと」

 蔵の地下にて大量に保管されていた角樽や四斗樽ら。湿気にやられたのか、あるいは鼠にかじられたのかはわからないが、うちのいくつかに傷みが生じて中身が漏れ出していた。
 閉じた空間内にて充満していく酒精。外の気温との兼ね合いもあって、ずんずんと膨らんでは凝縮されるばかり。
 じきにそれが上へと漏れ、ついには蔵の外にも。
 厠へと向かった帰りに、夜風に乗って漂ってくるニオイ。
 異変を感じて「もしや」とこっそり確認に向かったまではよかったのだが、手にしていた燭台が仇となる。蝋燭の火により、酒精に引火したのではないかという話。

「海外の強い酒ならばともかく、日本の酒でそんなことが起きるのか?」

 という駐在に女は「さぁ、それは」と首をかしげつつ「たしか気化でしたかしらん。蒸発すると弱い酒精でも条件次第では燃えるというお話でしたけど」

 女の話を聞きながら駐在はそのときのことを想像する。
 もしも自分が旦那さまであったのならば、どうするかを考える。
 するとやはり扉を開けて確認すると思った。夜中なのはむしろ好都合であったのだ。店の者らに気取られるまえに処理するには。
 そして蔵へと立ち入ったものの、中は真っ暗、地下を確認しようと燭台の火をかざしたところで……。

 いきなり炎に襲われ、きっと混乱したはずだ。
 瞬間的な着火ゆえに冷静に対処していれば、あるいは助かったやもしれない。
 けれどもいざ、そんな場面に遭遇したとき、はたしてどれほどの者が正しい行動をとれるであろうか。少なくとも駐在には自信がない。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する

黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。 だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。 どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど?? ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に── 家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。 何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。 しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。 友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。 ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。 表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、 ©2020黄札

ルール

新菜いに/丹㑚仁戻
ホラー
放課後の恒例となった、友達同士でする怪談話。 その日聞いた怪談は、実は高校の近所が舞台となっていた。 主人公の亜美は怖がりだったが、周りの好奇心に押されその場所へと向かうことに。 その怪談は何を伝えようとしていたのか――その意味を知ったときには、もう遅い。 □第6回ホラー・ミステリー小説大賞にて奨励賞をいただきました□ ※章ごとに登場人物や時代が変わる連作短編のような構成です(第一章と最後の二章は同じ登場人物)。 ※結構グロいです。 ※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ※カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。 ©2022 新菜いに

こちら第二編集部!

月芝
児童書・童話
かつては全国でも有数の生徒数を誇ったマンモス小学校も、 いまや少子化の波に押されて、かつての勢いはない。 生徒数も全盛期の三分の一にまで減ってしまった。 そんな小学校には、ふたつの校内新聞がある。 第一編集部が発行している「パンダ通信」 第二編集部が発行している「エリマキトカゲ通信」 片やカジュアルでおしゃれで今時のトレンドにも敏感にて、 主に女生徒たちから絶大な支持をえている。 片や手堅い紙面造りが仇となり、保護者らと一部のマニアには 熱烈に支持されているものの、もはや風前の灯……。 編集部の規模、人員、発行部数も人気も雲泥の差にて、このままでは廃刊もありうる。 この危機的状況を打破すべく、第二編集部は起死回生の企画を立ち上げた。 それは―― 廃刊の危機を回避すべく、立ち上がった弱小第二編集部の面々。 これは企画を押しつけ……げふんげふん、もといまかされた女子部員たちが、 取材絡みでちょっと不思議なことを体験する物語である。

バベルの塔の上で

三石成
ホラー
 一条大和は、『あらゆる言語が母国語である日本語として聞こえ、あらゆる言語を日本語として話せる』という特殊能力を持っていた。その能力を活かし、オーストラリアで通訳として働いていた大和の元に、旧い友人から助けを求めるメールが届く。  友人の名は真澄。幼少期に大和と真澄が暮らした村はダムの底に沈んでしまったが、いまだにその近くの集落に住む彼の元に、何語かもわからない言語を話す、長い白髪を持つ謎の男が現れたのだという。  その謎の男とも、自分ならば話せるだろうという確信を持った大和は、真澄の求めに応じて、日本へと帰国する——。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

煩い人

星来香文子
ホラー
陽光学園高学校は、新校舎建設中の間、夜間学校・月光学園の校舎を昼の間借りることになった。 「夜七時以降、陽光学園の生徒は校舎にいてはいけない」という校則があるのにも関わらず、ある一人の女子生徒が忘れ物を取りに行ってしまう。 彼女はそこで、肌も髪も真っ白で、美しい人を見た。 それから彼女は何度も狂ったように夜の学校に出入りするようになり、いつの間にか姿を消したという。 彼女の親友だった美波は、真相を探るため一人、夜間学校に潜入するのだが…… (全7話) ※タイトルは「わずらいびと」と読みます ※カクヨムでも掲載しています

処理中です...