秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の五十 詰め腹

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 嘘偽りが現実を浸蝕していく。
 奇異な状況が、それを後押しする。
 ぽいっと投げ与えられた情報を鵜呑みにする。
 先の戦争ではそのせいで散々に痛い目にあったというのに……。
 人々はちっとも懲りていなかったらしい。

 実態はともかくとして、状況はかなり疑わしい。
 だからとていきなり女の身柄を押さえて、自供を強いるというような強引な方法は、戦後には許されない。
 ゆえに警察は慎重に裏付け捜査を進めようとした。注目が集まっている以上、いい加減な仕事は出来ないと考えた。生まれ変わった警察組織、その健全な在り方を社会に示そうとしたのだ。
 だというのにである。
 どうしたわけか世間の方がそれを許さない、認めない、拒絶する。

「いつまで毒婦を野放しにしているのか!」
「とっとと捕まえて刑務所に、いいや死刑にしてしまえ!」
「ひょっとして警察の上層が弱味でも握られているのか?」

 なんぞという外野の声がやかましい。
 新聞紙面では、ここぞとばかりに当局の職務怠慢ぶりを弾劾する記事が次々と掲載される。カストリ雑誌では、あきらかに女をモデルとしたような作品がこぞって発表される。猥らでおどろおどろしい内容が、いっそう大衆の関心を惹き、潜在的な恐怖心を駆り立てる。
 それらがさらに世間を煽ることになって、ますます手がつけられなくなっていく。

 旦那さまを火事で失って以来、ずっと休業している大店。
 閉じられたままの表の板戸。店先には落書きやら、誹謗中傷の張り紙に、泥団子や犬のクソなんぞが投げつけられる。ばかりか、火つけまがいの真似までされて小火騒ぎとなった。
 火つけは重罪である。それは今も昔も変わらない。
 風次第では被害が周辺にもおよぶ。地域の安全を考えれば、とても看過できる問題ではない。
 だからそれを防ぐために制服警官が店先に立ちにらみを利かせれば、今度は「犯罪者を守るのか! この税金泥棒めっ」とのいわれなき叱責を受けるはめになる。

 疑心暗鬼が募り、独り歩きしては無軌道に拡散される噂、暴走する正義。

 それでも警察は慎重であった。世論に左右されて動くなんぞは言語道断とばかりに。
 しかし調べれば調べるほどに、女のことがよくわからなくなる。
 芸者時代は地味な存在で、特筆すべき点はどこにもない。問題なのは大店へと嫁いでからのこと。ほとんど噂止まりの話ばかりにて、どうにも信憑性に欠け、実像がぼやけている。
 たしかにそこにあるのに、けっして掴めない影のよう。
 いっそのこと、そんな人物、はなからいなかった。すべては店主の妄想の産物とでも言われたほうが、まだ納得がいく。
 人との関係性があまりにも希薄すぎる。外部との接点が数えるほどしかない。
 どうやら店主は自分の女房をほとんど隔離して、ずっと管理下に置いていたようだ。
 大切にしていたといえば聞こえはいいが、その一事をもってしても、この夫婦の関係はまともじゃない。ほぼ軟禁状態に近い。あるいは首輪に紐づけされた愛玩動物。
 どこか狂気じみており、薄ら寒い執着のようなものを感じさせる。
 はたしてまともな神経の持ち主が、このような状況を甘受し続けられるものであろうか?

 そんな店主が出入りを許していた者たち。
 女にもっとも近しかったとされる三人。
 緒方野枝、平林環、影山秀子らが裏で人を集めては、怪しげな活動をしていたのは間違いない。けれどもそちらの関係者とおぼしき者らは、そろって口をつぐんでいる。
 なにがしかの後ろ暗いことに加担していたのか、あるいは女と狐狗狸さんとやらを畏れているのか。いくら詰め寄っても、なだめすかしても、頑として口を割らない。

「これだから宗教や信仰がらみの事件はやっかいなのだ」

 と現場の捜査員らはぼやかずにはいられない。
 そして肝心の女はというと、すっかり憔悴しきっており、まるで幽鬼のようなありさまにて、話を聞こうにも医者は「いまはまだ」と首を横に振るばかり。

 世間の過熱ぶりと焦燥とは裏腹に捜査は足踏み状態となり、このまま停滞期へと突入するかにおもわれた。
 ところが唐突に風向きが変わる。
 中央から偉いさんが出張ってくるなり、いきなり現場の指揮を奪うと、「とっとと送検して騒動にケリをつけるぞ。異論は認めない」と一方的に通達した。
 強硬な姿勢。これを前にして、どこぞより圧力がかかったことを察した捜査員たちは、みな黙るしかなかった。
 そして疑わしきは罰せずの方針を転換し、結末ありきの動きが加速していく。

  ◇

 淡々と語られる内容に駐在は愕然とするあまり、つい筆記の手が止まってしまう。
 なぜなら、これがすべて真実だというのであらば、それはつまり……。
 駐在は恐ろしい考えへと至り、真っ青となる。
 女の顔が唐突に歪む、にへらと厭らしい笑み。

「いわゆる詰め腹というやつなのでしょうねえ。どこのどなたの差し金かはわかりませんけど」

 不都合な真実、その一切合切を女にかぶせて葬り去ろうする者、もしくは一派がいる。
 それは産まれ変わったはずの警察の上層部をも動かすほどの影響力を保持している。
 ばかりかひょっとしたら世論を操って焚きつけたのも、その連中の仕業なのかもしれない。
 日常という枠の外、光が届かぬ闇、そこに蠢く何かがひたひたと忍び寄る。
 抗いようのない力の奔流に呑み込まれたような気がして、駐在はとたんに息苦しさを覚えた。
 


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