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其の四十九 熱狂
しおりを挟む「えっ、あそこの奥方ですか? さぁ、ほとんどお見かけしたことがないもので」
「病弱ゆえに離れで寝たり起きたりの生活と聞きましたけど」
「元芸者という話ですけど、財産狙いじゃなかったんですかねえ」
「ほら、あそこのご店主は、ひとが良いから。ころりと騙されたんですよ」
「家のことも、店のことも手伝いもせずに、日がな一日を奥でぶらぶらしているとか。うらやましいご身分ですよね、まったく」
「たまに近所のお寺で見かけましたよ。ご存知ありません? 子宝岩。いつも、熱心に拝んでおりましたよ」
「騙して大店に転がりこんだ? ははは、ないない。あの子はそんなたまじゃありませんよ。どちらかというと騙されて貢がされるような子です。実際に置屋の女将にいいようにこき使われておりましたから。男を手玉にとるような器用な真似なんぞは、無理無理」
「どこか近寄りがたい雰囲気の女性でしたね」
「いえね、道でお見かけして挨拶をしようとしたんですけど、いつも近くにいる方たちがキッと睨みつけてくるものだから」
「仲が良かった人たちですか? それなら……」
「あの憑き物筋のところねえ。そういえばたいそう占いが達者な嫁をもらったとか」
「占い? あぁ、狐狗狸さまのことでしょう。私は視てもらったことがないけれどもたいそう評判でしたよ。知り合いが頼んだことがあるって。えっ、詳しい話を聞きたい? それはちょっと……。なにせその方は空襲で亡くなってしまったもので」
「いっとき、やたらと大店をたずねてくる客が多かった時期がありましたねえ。店の脇からずらずらーっと、こう、向こうの先のそのまた先の角まで長蛇の列なもんで、いったい何ごとかと驚いたことをよく覚えております、へえ」
「夜更けにこそこそと人やら荷物が出入りしていることがありましたね。いったい何をしていたことやら。どうせロクなことじゃありませんよ。でなければ、いまのご時世、あんなに店が繁盛できるわけがない」
「正体不明の怪しい嫁? ちがうちがう。怪しいのはあの旦那の家の方でさぁ。知る人ぞ知る憑き物筋の家系でしてね。ちょうど六代目だか七代目かの節目にて、そろそろやばいんじゃないかってもっぱらの噂でしたよ」
「旦那が人格者? 冗談いっちゃあいけねえ。あそこの家の商売のせいで、どれだけのところがつぶされたことか。一家離散で首をくくったり、身を売った者もいたんですから」
「慈善事業に精を出していたのは、少しでも先祖が重ねてきた因業を薄めようと必死だったからですよ。まぁ、偽善だろうが下心があろうが、施しを受ける側としちゃあ関係ありませんから。もっともそれも無駄に終わっちまったらしいけど。こうなると憐れなもんです」
「ぜったいにおかしいですよ! どうして毎度毎度、あそこだけ空襲が避けて通るんですか。それにみなが食うや食わずのときに、いつもお腹いっぱい食べられるとか、ありえませんよ」
「ありえないといえば、あそこの大店に勤めていた者らは、誰も兵隊にとられていないそうですね。うちの子は南方で死んだというのに、おかしな話です」
「よく出入りしていた緒方野枝という女性ですか? なんていうか猫みたいな方でしたねえ。でも可愛いというよりも、夕暮れ時とかに見かけるとちょっとゾッと薄ら寒くなるような。まぁ、家の商売が商売ですから、いろいろとあるんでしょうよ」
「平林環について、ねえ。気狂いした酒蔵の女房でしょう。福々しいのは容姿だけで、顔色はいつも青っ白くて、なんか辛気臭い女でしたねえ。よくぶつぶつ独りごとを言ってましたよ。ときおり神経質そうに爪なんぞを噛んで。独りごとの内容ですか? さぁ、なんだったかなぁ」
「影山秀子? 誰ですかソレ。えっ、眼鏡をかけた女。あぁ、あの人のことですか。私は苦手でした。なんというか学校の恐い先生を思い出しちゃって。どことなく雰囲気が似ていたんですよ。すぐに竹の物差しでぶってくる先生に。でもツンケンした見た目のわりには評判がよかったような……」
「ツンケンして、近寄りがたいですって? とんでもない! あの方はとてもお優しい方でしたよ。工場に務めている女工らのことを気にかけては、それはそれは親身になって面倒をみていたものです。なのにあんな酷い最期を迎えるだなんて、ほんにこの世には神も仏もありやしない」
「あの三人官女は、奥方を崇拝する信徒ですよ。偉大な狐狗狸さまを使役する救世主うんぬんかんぬんて。自分たちの口で言っているのを聞いたことがあるんですから、たしかです」
「狐狗狸さまねえ。あっ、そういえばこれは戦時中のことですが、いっとき緒方のところの遊郭がえらく傾いたことがありやしたね。時節柄、さすがにそのまま倒れるかとおもいきや、以前よりもぐっと盛り返したものだから、えらく話題になったことがありました。あれは不思議でしたねえ。どうやらそいつにその狐狗狸さまとやらが手を貸したとか」
◇
大店の蔵の床下から見つかった大量の遺骸。
そのほとんどが赤子とおぼしきもの。
蔵が焼けた火事に巻き込まれ、店主はすでに故人となっている。店の者らは蔵に地下室があったことすら知らないという。
ゆえに残された女房から詳しい話を聞こうとしたのだが、心労により倒れてしまい、とても取り調べができる状況にない。
とはいえ女房が回復するのをのんべんだらりと待つわけにもいかず、とりあえず先に周辺から話を聞いておこうかと、聞き込みを開始した警察当局。
しかしそんな真似をすれば、噂にならぬわけがない。
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