秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の四十七 火象

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 ザーッ、ザーッ、ガッ、ガッ、ジジ、ジジジジ……。

 唐突にラジオのスピーカーが鳴る。
 電源を落としているはずなのに、勝手についた?
 しかしとっくに丑三つ時を過ぎており、当然ながら放送もされていないので、聞こえてくるのは砂嵐のような雑音ばかり。

 過去の記憶の世界から現実へと引き戻された駐在。
 ぼんやりと室内を見渡す。脇腹の痛みは消えていた。まるで夢から醒めた直後のようにて、キツネにつままれたかのよう。
 女は所定の位置にて座ったまま。変わらず温和な表情を浮かべている。
 すぐ脇に寄り添っては、自分の背中を撫でていたことが夢現(ゆめうつつ)。

 のそのそと椅子から立ち上がった駐在は、先ほどからうるさいラジオへと近づき、電源を切ろうと手をのばす。
 その時、急に音が変わった。

 あぁあぁぁ、あぁあぁぁ……。

 低くくぐもったそれは、まるで地獄の亡者が発したかのような苦悶の声。
 驚きのあまりあとずさり、固まったままでラジオを凝視する駐在。
 すると背後より女から「どうかなさいましたか?」と言われて、駐在は我に返る。眉間を指先にて揉みほぐしながら、「いかん、やはり体調が優れんのか。あるいは慣れぬことに手を出したもので、自分で考えている以上に疲れが溜まっているのやも」なんぞとつぶやきつつ、ラジオの電源へとのばした手が途中で止まる。
 ラジオの電源は入っていなかった。

  ◇

 女は語る。

「終戦直後、どももかしこもボロボロで、みな飢えておりましたけど、我が家はさほどでもありませんでした。目端の利く旦那さまが地方に土地を確保しており、人を雇って米や野菜などをたんと作らせておりましたから、贅沢なことに食べ物にはこと欠かなかったのです。
 不便といえば現地から量を取り寄せる足の方が不足していたことでしょうか。
 でも、それも報酬代わりに食べ物を分けるといえば、喜んで手を貸してくれる人たちが周囲には大勢いましたので、さほどでもありませんでしたわ」

 そして肝心の瀬戸物屋の商売の方なのだが、これが戦後不況もなんのその。さらに繁盛することになる。
 敗戦にて軍部との繋がりはダメになったし、馴染みもバタバタ倒れてかなり減ったが、一般の需要が戻ってきたことがひとつ。
 いまひとつは占領軍相手の商いが面白いように当たった。用意した品が次から次へと飛ぶように売れていく。

「たしかジャポニスムでしたか。私たちにとっては、ごくありふれた湯飲み茶碗や絵付けの皿でも、異人さんの目にはとても珍しい品に映るようで、お土産物や贈り物としてたいそうもてはやされたものです」

 しかし万事が滞りなくとはいかなかった。
 旦那さまの右腕の傷の治りが、おもいのほかに悪く、ようやく包帯をはずせたかとおもえば、今度はふるえて満足に箸も握れず、字もかけないほど。
 利き腕が不自由してしまい旦那さまはたいそう難儀した。
 だが女はその話を目元を細めて少しだけうれしそうに語る。
 理由は、右手がうまく使えない旦那さまの世話をかいがいしく焼けたから。
 これまではただただ甘えるだけの立場であったのに、ようやくお役に立てる時がきた。それがたまらなくうれしかったと、女は微笑む。

「浅ましい女とお笑いください。それでもやはりうれしかったのですよ。彼のもとへと嫁いできて、ようやく女房らしいことが出来ると。いけないこととはわかりながらも内心ではしゃいでもおりました。でもそんな邪な気持ちを抱いていたからなのでしょうね……」

 急に声の調子が落ち眉尻を下がった女が、いまにも泣き出しそうなつらそうな表情となる。
 こっくりさんに煩わされることなく、結婚してから初めて蜜月の時間を過ごす夫婦。
 比翼の鳥のごとく、いつも寄り添い歩く。
 けれどもそんな穏やかな時間は、ほんの二年ほどで終焉を迎える。

  ◇

 ある月のない夜のこと。
 蔵から火が出た。
 原因は燭台の蝋燭の火であった。

 夜更けに厠へと立った旦那さま。女が「お供します」と言えば、苦笑を浮かべて「さすがにそこまで世話にはなれないよ。大丈夫だから、おまえはそのままおやすみ」とひとり寝所を出て行く。
 言葉に甘えて女は横になっているうちに、うつらうつら。
 だが、ふと鼻先をかすめた焦げたニオイに気がついて、あわてて身を起こす。
 隣をみれば布団は空のまま。手で触れてみたが冷たい。旦那さまはあれからまだ戻っていない? どれくらい自分はうたた寝をしていた? 五分、十分、それとももっと長く?
 急いで寝所を出ると、すでに辺りには煙が充満しており、ろくろく前も見えないありさま。

 異変に気づいた住み込みの者らが駆けつけてくるなか、「誰か、誰か、旦那さまを見ませんでしたか!」と女はたずねるも、みな首を横に振るばかり。
 どうにも胸騒ぎを覚えた女は、店の者らの制止を振り切り、ひとり火元とおぼしき場所へと向かう。
 そして見てしまった。
 蔵の扉が開いているのを。
 いろいろあったもので錠前を新調し、鍵はつねに旦那さまが首から下げ、長らく封印していたというのに、どうして……。

 旦那さまが中に取り残されている。
 理屈ではない、直感がそう告げている。
 女はすぐさま飛び込もうとした。
 けれどもそれは追いついてきた店の者によって止められてしまう。

「いけません、奥さま、いけません」
「放して、行かせて、あの中にあの人が、旦那さまがっ!」

 どうにかして拘束を解こうとするも、ふたりがかりにてがっちり羽交い絞めにされたうえに、腰にまで腕をまわされたのでは、華奢な女にはどうしようもない。
 そうしているあいだにも蔵が紅蓮に包まれていく。焔の勢いがどんどんと増し、熱風が渦を巻く。
 ついには屋根まで落ちてしまい、女が「あぁ」と悲嘆のあまり泣き崩れる。

 轟々と扉や小窓から炎の息吹きを吐き出す蔵。
 その姿が淫欲にふけった僧侶が堕ちる地獄にいるという、炎を吐く恐ろしい化け物・火象のように女には見えた。


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