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其の四十五 幕間 小さな少年と太った男ふたり
しおりを挟む八月十五日の玉音放送。
神国だの現人神に、選ばれた民なんぞという幻想が木っ端みじんに打ち砕かれ、みなが一斉に悪い夢から醒め、現実へと引き戻された瞬間。
あいにくと駐在は放送をじかに聞いていない。
なぜならその時にはまだ大陸にいたからだ。
たまさか所属していた部隊が港近くにいたもので、運よく本土への引き揚げ船にはすぐに乗れたが、内地の方にいた連中は相当の難儀を強いられたという。
もっとも、運がよかったのはそこまでのこと。
尾羽打ち枯らし、いざ女房の待つ自宅へと帰りついてみたら、誤報によりすでに死んだことにされており、墓まであって、妻の隣には新しい夫、自分の居場所はとっくになくなっていた。位牌に刻まれた戒名は忘れてしまった。
それにしても女の話がここにきて、さらにおかしな方向へと膨らんでいる。
『待ち人来たりて。小さな少年、太った男ふたり。葉月の十五日が吉』
との予言。
葉月の十五日というのは、わかる。
しかし肝心の待ち人がきていない。いまの女の供述の中のどこにも、少年や男たちなんぞは登場していない。
ひょっとしてこっくりさんとやらのまじないの効力も、敗戦の衝撃とともに失われたのか?
駐在の顔にありありと疑問の色が浮かんでいたのであろう。
彼がそれを言い出すよりも先に、女がにこりと微笑み、小さく首を振り「いいえ、いいえ」と。そしてぽつぽつと次のようなことを口にした。
「八月六日、広島にやってきたのが小さな少年。八月九日、長崎にやってきたのが太った男。ご存知でしたか? 駐在さん。あの恐ろしい爆弾の名前って『リトルボーイ』と『ファットマン』というそうですよ。なんとも人を喰ったようなふざけた名前ですよね。まぁ、本当に大勢の人間を骨の随まで焼いて、ぺろりとたいらげてしまったんですけど……」
小さな少年を英語で表記するとリトルボーイ。
太った男はファットマン。
ということは、こっくりさんはあの爆弾の投下を事前に言い当てていたというのか?
いいや、それだと計算が合わない。
お告げでは「太った男ふたり」とあったはず。それにあんなシロモノを落とされたあげくの惨めな敗北が、吉というのも納得がいかない。いや、あんな不毛な戦争、とっとと終わらせたほうがよかったのだから、そういった意味では正しいのかもしれないが、全体的に整合性がとれていない気がする。なにやらちぐはぐな印象を受ける。もしかして自分の解釈がどこか間違っているのか?
「あぁ、そのことですか。はい、残念ながら少しかんちがいをなされていますね。本当ならば八月十五日に三つ目の爆弾も落とされる予定だったのですよ、ふたり目の太った男が。もしも軍の上層部がなおも降伏するのを頑なに拒んでいれば、ね。でも彼らは土壇場で気おくれした。アレの破壊力を目の当たりにして臆病風に吹かれたのです。まったく……、これまで散々に母親から子を奪っては無理矢理に戦地へと送り込み、『国のために死んで来い』と他人の命をないがしろにしておいて、いざ自分の番となったら、すっかり臆して縮みあがってしまったんですのよ。意気地のないったらありゃしない。おかげでお告げがはずれてしまいましたわ」
けらけら響き渡る女の嘲笑。
豹変とはまたちがう。少なくとも表面上は。しかしこれまでの語り口とは明らかに調子が異なっている。
耳には心地よく、するりと入ってくる声。きれいな韻を踏んでおり、それこそ芸者が小唄でも歌うかのような軽やかさがあるものの、端々にどす黒い感情が滲んでいるばかりか、どこか残虐で冷酷な響き、あるいは狂気じみた何かを感じさせる。
それに女は、はっきりと言った。こっくりさんのお告げははずれたと。
遅ればせながらその言葉の真意に気がつき、駐在は戦慄を禁じ得ない。
かんちがい……、たしかにそうだ。駐在はかんちがいをしていた。ちがう、解釈が逆なのだ。
とりあえず戦争が終わったからよかった、の吉ではない。
もしも女の言葉通りの意味ならば、よけいな解釈はいっさい不要。
こっくりさんにとっての吉は、小さな少年と太った男ふたり、爆弾がみっつも落とされて、いっぱいいっぱい人が死んでよかったね、の吉となる。葉月の十五日というのは、終戦を指したことなんぞではけっしてない!
理解した瞬間、ズキンと痛んだのは己の脇腹。
戦地で負った古傷がやたらと疼く。駐在は「ぐぬぅ」とうめき、左脇腹へと手を当てた。
見た目こそ派手だが、傷はとっくに完治している。医者も太鼓判を押したではないか。これは幻痛。気の迷いに過ぎない。本当じゃない。なのにどうしてこうも疼くのか。
そんな駐在のかたわらには女の姿があった。
机を挟んで向かい合って座っていたはずのなのに、いつの間にやらそこにいた。
耳元に甘い吐息がかかり、囁き声。
「おや、ずいぶんと苦しそうですけど、いったいどうかなさったのですか。なんぞ持病でも?」
声音は優しい。こちらの身を案じるもの。
だというのに、駐在はどうしても顔をあげることができなかった。
女の顔を、その目を見るのが怖かった。嫌な冷や汗が頬を伝い、ぽとりと落ちた。
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