秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の四十三 凶刃

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 女は語る。
 急だったもので、駐在はあわてて鉛筆を手にする。

  ◇

 夜更けにウーウーと鳴る空襲警報が聞こえたような気がした。
 けれども暑さとだるさゆえに微睡むうちに、いつしか聞こえなくなった。
 だからてっきり夢かと思っていたのだが……。

 やや寝坊した女。ここのところ寝ても疲れがとれない状態が続いている。
 起きたら家の中の雰囲気がなにやらおかしかった。妙にざわついている。気配は店の方から伝わってきているよう。
 そこで女はたまさか奥へと用向きにきていた店の者をつかまえて「どうかしましたか」とたずねれば、「昨夜の空襲で、街の半分が消えてしまいました」とのこと。

「そんな……あれは夢なんかじゃなかったのね」

 愕然とする女。街の半分が消失するほどの苛烈な攻撃を受けていたというのに、気づかず寝とぼけていたのだから、とんだ呆れたこと。
 しかしそれほどの被害であれば、こちらにも火の手が及びそうなものなのに。
 女が「へんね」と首を傾げていると、店の者が急に手を合わせて女を拝みだす。

「これもこっくりさまのご利益でしょうとも。奥さまがいてくれたおかげです。だからこの店や周囲の者らは難を逃れられたのに相違ありません」

 その言葉が冗談であれば、どれほどよかったことか。
 しかし店の者の目はちっとも笑っていなかった。
 まるで生き仏でも見るような、すがるような目を向けてくる。
 気持ち悪い。
 女はその視線から逃れるようにして、そそくさと奥の離れへと引き返した。

  ◇

 街が半分だけ焼け死んだ。
 戦時中だ。しかも本土への攻撃が続いている状況下。いろんな条件が重なって、たまさかそうなることもあるだろう。
 しかし問題はそのあとであった。

 同じ街の仲間、困ったときはお互いさま。
 親切に手を差しのべる者がいる一方で、大切な場所や身内などを失った者は悲嘆に暮れずにはいられない。
 そんな者たちにとって、かわらず残る街並みやそこに住む者らの姿がいかように映るか?

 持つ者と持たざる者。

 運がよかった? 悪かった? たまたまそうなっただけ、巡り合わせの問題。
 誰が悪いって、そりゃあ上から爆弾の雨を降らせる相手が悪いに決まっている。
 けれどもどうして自分がこんな目に会わなければならない?
 複雑な感情の果てに、沸きあがるのは妬み嫉みの暗い感情。行き場のない憎悪が入道雲のごとく、むくりむくり膨れあがっていく。
 そしてそんな中でまことしやかに聞こえてきたのが「なにせあっちには強力な憑き物筋がいるからな」「さすがはこっくりさま。たいしたご利益だ」なんぞという話。
 絶望している者がこれを耳にして、いったいどう考えたのか。
 その答えはすぐに明らかとなる。

  ◇

 焼け出されて難儀している者らを支援するために、旦那さまは炊き出しを行った。
 自身も現場へとおもむき、あれこれと差配を振るう。

「きゃーっ」

 突如として響いた悲鳴。大鍋に並ぶ列の後方でのこと。
 出刃包丁を手にした男があらわれる。目がぎらついており、まるで狂犬のよう。
 男は「おまえだ。おまえらのせいで、俺はすべてを失ったんだ。女房を返せよぅ、息子を返せよぅ、娘を返せよぅ」なんぞとぶつぶつ。
 明らかに正気を失っている。
 だから周囲の男衆が取り押さえようとするも、めったやたらと包丁を振り回しはじめたものだから、とても近寄れやしない。
 その場には軍事教練の教官の姿もあったのだが、普段はやたらと威張り散らしているくせに、肝心なときにはからきし役に立ちやしない。

 包丁を手にした男が不意に駆け出す。
 進路上にいた者らは、蜘蛛の子を散らして逃げた。
 その先にいたのは旦那さま。男の狙いははなから憑き物筋の者。自分がこんな酷い目に合っているのは、すべて憑き物筋の家に運気を吸い取られたせい。そんな風に思い込んだが末の犯行であった。

 パッと鮮血が飛び散る。

 駆け寄りざま、力任せに振るわれた刃。
 とっさに右腕をかざしてこれを防ごうとした旦那さま。手の平から前腕の半ばほどまでをざっくり斬られてしまう。
 だがひょうしに流れ出た血にて包丁が濡れて、男の手より得物がすっぽ抜けた。

 男が無手となったところで、周囲の者らがはっとなり、あわてて押し包んで取り押さえたものの、ただでさえ気が立っているところでの凶行。
 それも感謝こそすれ、逆恨みとはとんだ筋違い。
 つねとはちがう異様な状態。すっかり頭に血がのぼってしまい、熱に浮かされた集団は歯止めが利かず。
 怒りが噴出し、寄ってたかっての殴る蹴るの暴行。
 気づけば旦那さまを襲った男は、みなから袋叩きにあってボロ雑巾のようにされて、こと切れていた。


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