39 / 57
其の三十九 疑念
しおりを挟む夜更けの留置場内。
「うぐぅぅ、ぐぬうぅぅ」
静まり返った空間に響くのは獣の唸り声にも似たもの。それは苦悶。
しかしウトウトしていた看守は気づくのが少しばかり遅れた。いや、よしんばすぐに気がついていたとてどうしようもなかったのかもしれない。
はっとして急いで駆けつけてみれば、口から泡を吹いてすでにこと切れている平林環の姿があったという。死体のそばにはかじりかけの団子が転がっていた。
それは彼女の嫁ぎ先の酒蔵にて代々伝わる秘伝のネズミコロリの練り餌。
どこぞに隠し持っていたのであろう。女の身ということもあり、身体検査がおざなりであったことは否めない。おおかた拘束されて連行される際に、とっさに着物の袖にでも入れたのであろう。
追い詰められ進退窮まり、いよいよ観念しての覚悟の服毒自殺として、平林環の死は処理された。
そして事情が事情ゆえに、葬儀はごく内輪にてひっそりと行われ、外部の者は誰ひとり参列することはかなわなかった。
◇
沼に浮かんだ緒方野枝。彼女を襲ったとされる暴漢はいまもって捕まってはいない。
元置屋の女将さんであった老女、その悲惨な末期、怪死の真相はナゾのまま。
それに比べれば平林環の自死はとてもわかりやすい。
だがしかし、はたして本当にそうなのであろうか?
女にはとてもそうは思えない。
最後に平林環と面会したのは影山秀子。わずか五分ほどの面会時間。女は平林環の様子にばかり気をかけており、その際にどんな会話がなされたのかについては一切触れてはいなかったし、影山秀子も口にはしなかった。
もしも……、もしもである。
そのときに影山秀子が何かを仕掛けていたとしたら……。
見張りの目を盗んでこっそり団子を渡しながら、「このままでは御方さまにまで累がおよびかねません。貴女の家だってどうなることか。だからこれを」と囁いたとしたら。
それは悪魔の囁き。
追い詰められた精神状態にて、憔悴しきっていた平林環にこれを拒むことは、はたして可能であろうか。
すべては女の勝手な妄想だ。いまのところ証拠はない。
でも一度、疑いだすととめどもなく疑念が沸いてくる。何もかもが怪しく見えてしようがない。
それでも女は平静を装い、表面上はかわらず。
旦那さまと「素知らぬふりを通す」と約束したからだ。
さいわいなことにいまは離れの奥に引き篭り中ゆえに、影山秀子とも御簾越しにふたことみこと、言葉を交わす程度のみ。おかげでどうにかやり過ごせている。
◇
ここのところ女は夜な夜な蔵の地下に立ち入っていた。もちろん旦那さまの許可はもらってある。
いまやここに収蔵されてある角樽は五十を越えていた。
そのすべてに不憫な子らが押し込められてある。
早く何とかしてあげたい。けれどもいまはとても無理。だからせめてもの供養をと、女は線香をあげ、冥福を祈るために通っている。
はじめて角樽を目にしたときには、あまりのおぞましさに卒倒しかけた女ではあったが、よくよく考えてみれば、一番辛い想いをしているのは樽の中身たち。
そう考えたとたん恐怖よりも憐憫の情が勝った。いまでは怯えることもない。居並ぶ角樽を前にすると、胸の奥が締めつけられて、ただただ悲しさと切なさばかりが募ってくるばかり。
手を合わせていると自然と嗚咽が零れ、はらはらと涙が流れるのを止められない。
どうしてこんな酷いことができるのだろう。
どうしてこんな惨いことができるのだろう。
そうまでして欲したこっくりさんのお告げ。たとえ上手くいったとて、それで本当に幸せになれるのだろうか。心の底から喜べるのであろうか。
穢れを知らぬ無垢な赤子を喰い物にしてまで得た未来。
はたして本当に価値なんぞあるものなのか。
女にはわからない。
これを持ち込んでくる者たちがいったい何を考えているのかが、ちっとも理解できない。
◇
一時に比べればぐんと減ったこっくりさんの希望者。
おかげで女の身辺は平穏を取り戻しつつあったが、それはあくまで内々だけのこと。一歩、大店の離れから外へと出れば真逆の光景が広がっていた。
破壊と死の嵐がすぐそこにまで迫っていた。
いよいよ空襲が激しくなってきて、みなそれどころではなくなっていたのだ。
頭の上を敵国の戦闘機が群れをなしては悠然と飛行する。その姿を見て、いまなお自国の勝利を疑わぬ者がいたら、そいつは相当の阿呆であろう。
そして敵は容赦なかった。
軍属だろうが民間だろうが関係ない。分け隔てなく平等にすべてを粉砕する。絨毯爆撃とやらにて街を蹂躙し、年寄りや女子ども相手にも焼夷弾の雨を降らせる。地上に顕現したが灼熱地獄の炎が人々を焼き尽くし、あとには焼け野原に黒炭と化した無惨な骸が転がるばかり。
戦争もいよいよ末期を迎えようとしていたそんなおり、影山秀子がとある客を連れてきた。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
代償
とろろ
ホラー
山下一郎は、どこにでもいる平凡な工員だった。
彼の唯一の趣味は、古い骨董品店の中を見て回ること。
ある日、彼は謎の本をその店で手に入れる。
それは、望むものなら何でも手に入れることができる本だった。
その本が、導く先にあるものとは...!
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
終焉の教室
シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。
そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。
提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。
最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。
しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。
そして、一人目の犠牲者が決まった――。
果たして、このデスゲームの真の目的は?
誰が裏切り者で、誰が生き残るのか?
友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結済】ダークサイドストーリー〜4つの物語〜
野花マリオ
ホラー
この4つの物語は4つの連なる視点があるホラーストーリーです。
内容は不条理モノですがオムニバス形式でありどの物語から読んでも大丈夫です。この物語が読むと読者が取り憑かれて繰り返し読んでいる恐怖を導かれるように……
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
二人称・短編ホラー小説集 『あなた』
シルヴァ・レイシオン
ホラー
普通の小説に読み飽きたそこの『あなた』
そんな『あなた』にオススメします、二人称と言う「没入感」+ホラーの旋律にて、是非、戦慄してみて下さい・・・・・・
※このシリーズ、短編ホラー・二人称小説『あなた』は、色んな"視点"のホラーを書きます。
様々な「死」「痛み」「苦しみ」「悲しみ」「因果」などを描きますので本当に苦手な方、なんらかのトラウマ、偏見などがある人はご遠慮下さい。
小説としては珍しい「二人称」視点をベースにしていきますので、例えば洗脳されやすいような方もご観覧注意、願います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる