秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の三十四 酒漬け

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 言った、言ってないの水掛け論。
 だが、くり返すほどにこちらの自信が揺らぐのはどういう理由か。

「本当に? 本当に言ってない?」

 いつしか女は心の内にて自問自答。
 もちろん、そんな恐ろしいことを言うはずがない。
 誰が死んだ赤子なんぞを欲しがるものか、それこそ本物の魔女か鬼女の所業ではないかっ!
 だけど……。

 一点の曇りもなく淀みもなく、真っ直ぐに見つめてきては、自信満々にて得意げとなっている平林環。
 比べて自分はどうであろうか。
 そんなわけがない。ありえない。
 彼女の聞き間違い、いいや、頭がおかしくなっているのに決まっている。
 なのに、なぜだかきっぱりと否定しきれない。
 一抹の不安が残る。どうしても自分を、自分という人間を信じきれない。
 あのとき私は……、記憶を探れば探るほどに、肝心な場面に霞がかかっては、ぼやけて滲む。あやふやさばかりが浮き彫りとなっていく。
 そしてふと考えてしまうのだ。

「あのとき、私は本当にまともであったのだろうか? おかしくなっていたのは自分ではないのか?」と。

 つくづく思い返しみれば、ここでの暮らしは夢のよう。
 立派な邸宅、食べきれないほどのごちそう、きれいな着物は山とあり、汗水垂らして働く必要もなく、惜しみない愛情を注いでくれる旦那さままでいる。厳しさを増す戦局にて困窮する世間をよそに、のうのうと生きていくばかり。芸者時代にはまるで思いもよらなかったこと。
 あまりにも、あまりにも何もかもが恵まれすぎている。
 竜宮城へと招待された浦島太郎も、こんな気持ちであったのであろうか。
 いっそ、すべてがおまえの妄想の産物だと言われた方が、まだすとんとすべてを呑み込めるというのに。

  ◇

 薄暗くなった中庭にて呆然と立ち尽くす女。
 それを見つけたのは旦那さま。
 すでに平林環の姿はなく、あったのはきれいに並べられた二十の角樽たち。
 声をかけても返事はなく女の目が虚ろ、焦点があっていない。尋常ではない様子。その原因がこの角樽らにあるのにちがいないと察した旦那さまは、とりあえず女を抱え、身柄を離れの寝所へと運ぶ。
 それから火を灯した燭台を手に引き返し、試しに角樽のうちのひとつの栓を抜き、中をのぞき込むなり「うっ」
 顔をそむけてすぐに栓を閉じた。

  ◇

 女が正気を取り戻すと、そばには旦那さまの姿があった。

「あれは……、あれはどうなさいましたか」

 目だけ動かし女がぼそり。すっかり乾いている喉。声が老婆のようにしゃがれていた。
 すると旦那さまは枕元にある水差しの載った盆を取り寄せながら言った。

「とりあえず蔵の地下の方に運んでおいた。さすがに二十もの角樽を運ぶのには骨が折れたよ」

 中身が中身なので、とてもではないが店の者には頼めない。
 ゆえに慣れぬ力仕事に精を出したとのこと。
 上体を起こし女が喉を潤おすのを手伝いつつ、今度は旦那さまが問う。

「アレはいったい何なんだね」

 そこで女は平林環が持ち込んだこと、彼女が何やら誤解していること、その誤解にどうやらこっくりさんが絡んでいるらしいことなどを、あらいざらい白状する。

「私は本当に言っていない……はず。でも、彼女があれほどはっきりと聞いたというのならば、あるいは、ひょっとしたら」

 堪えきれず、泣きながら自分の肩を抱いてはガクガクと震えだした女。
 女を強く抱き締めながら旦那さまは言った。

「大丈夫だよ。おまえにはこの私がついているからね。それに優しいおまえがそんなことを言うものか。おそらくはアレの仕業にちがいあるまい。平林のご内儀はきっとアレにたぶらかされたのだ」

 アレとは狐狗狸さんの道具であるコインと皮紙。
 かつて旦那さまの母親が生前、幼い息子にこう言い残す。

「いいですか、これにはけっして触れてはいけませんよ。でも、どうしても困ったことが起こったら、一度だけ頼ることを許します」と。

 だが気がつけば、ずるずる使い続けて今日まで来てしまった。
 店のことやら、周囲との関係、おもいのほかに評判が高まってしまったことなどを考慮して、しぶしぶ許してきたが、さすがにもう堪忍袋の緒が切れた。

「もう占い遊びはしまいだ」

 言うなり立ち上がった旦那さま。床の間の隣にある違い棚に置いてあった朱色の箱を手にとり「こいつは私の方で預かっておく。そしておりをみて、あのやっかいな角樽やら水銀のドラム缶といっしょにまとめて処分することにしよう」と言った。
 女に異のあろうはずがない、黙ってこれにうなづく。


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