秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の三十三 角樽

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 大陸や半島方面から引きあげてくる人が増えている。
 戦局はいよいよ厳しくなっており、琉球のあたりにまで敵軍が迫っているとの噂もある。地域によっては空襲警報が頻発しているという。
 子どもたちを大勢乗せて離島から本島へと向かう疎開船が、どこぞの国の潜水艦に沈められたなんぞという、耳を疑うような話も聞こえてきた。
 なのに女が寝起きする大店の奥の離れは静かなもの。
 外部の喧騒はほとんど届かず、まるでここだけ世界から切り取られているかのよう。
 これでこっくりさんを頼みにくる者らがいなければ、本当に心安らかに過ごせるのだが……。

  ◇

「ふぅ」

 深いため息をついた女。
 たったいま本日最後のお客さまを送り出したところ。
 相談ごとは「どうすれば我が家の財を守れるか」というもの。
 たずねる内容が俗っぽければ、その回答もまた俗っぽかった。

『すべてきんにすべし』

 皮紙の上を滑るコインがそう告げる。
 世界中で古来より重宝がられてきた黄金。その輝きは色褪せることなく、その価値もまた多少の変動はあろうとも、大幅に値崩れするようなことはない。富の象徴、代名詞のような存在。
 そんなことは女でも知っている。
 だからこそ徒労感がひとしお。

「わざわざ、こんなことを訊ねずとも。ちょいと自分の頭で考えればわかりそうなものなのに」

 芸者時代にはこの手の客は多かったけど、ひさしぶりに相対して何やら毒気に当てられてしまったのか。
 どうにもくたびれてしまった女は道具を片付けて、少し横になろうと考えた。
 でもコインへとのばした指先が、ぴたりと止まる。
 ふと思ったのだ。

 元置屋の女将であった老女、お母さんの死因についてお伺いを立ててみようかと。

 あんな死にざまだ。
 女が真っ先に疑ったのは、世話を任せていたふたり、平林環と影山秀子。
 でもふたりに老女を葬る理由なんてない。ましてや毒を盛るだなんて、考えたくないし、なにより信じたくはない。
 いまでこそ関係は歪んでしまったが、それでも一時期は仲のよい友人同士であったのだから。
 だがしかし、彼女たちならば、機会はいくらでもあったことは確か。

 機会といえば、それは旦那さまについてもいえること。
 表向きは柔和な態度を崩さずとも、内心ではずっと老女の存在をうとましく思っていたのやもしれない。
 いやいやいや、それこそゲスの勘繰りというやつだ。
 あの優しい旦那さまにかぎってそんなことあるものか。よしんば害意があったとて、賢い旦那さまが、こんな目立つ方法をとるわけがない。追い出すだけならば、ひと言、「出ていけ」と告げるだけでいい。それにもしも殺るのならば、もっとうまくやるはず……。

 女はそこではっと我に返って、真っ青に。

「あぁ、なんてことを……。いま、私はなんて恐ろしいことを考えていたの? これだけよくしてもらっておいて、なんて罰あたりな」

 ほんの一瞬とはいえ、浅ましい考えを抱いた己を恥じた女は、余計な考えの一切を振り払い、そそくさと狐狗狸さんの道具一式を朱色の箱へと片付けた。
 けれどもこのときに臆することなくやっていればと、すぐに後悔することになる。

  ◇

 茜色の空をカラスたちが「かぁかぁ」と山へ帰っていく黄昏頃。
 長くのびた影を引きずり、荷車を持ち込んだのは平林環。
 覆っていた藁のむしろをとれば、そこにはずらりと並ぶ角樽らの姿。
 結婚式などの祝いの席に酒を届けるときに使われる、朱と黒の漆塗りの小さい樽。取っ手の部分がまるでツノが出ているかのような姿から、こう呼ばれている。

 平林環の家は大きな酒蔵を営んでいる。
 いっときは経営が傾きかけたものの、女が視たおかげですっかり持ち直し、それはいまなお続いている。
 だから女はてっきり新しいお酒が仕上がったので、こっちに回してくれたのかと考えた。
 いまのご時世、とてもありがたいこと。
 とはいえ、いきなり二十はちと多すぎる。
 女が複雑な表情をしていると、平林環が挨拶もそこそこに奇異なことを言い出した。

「おまたせして申し訳ありませんでした、御方さま。なかなか数がそろわなくて、ずいぶんと時間がかかってしまいましたが、ようやくそろいましたので。ご所望の品、どうぞお納め下さい」

 これには女もきょとん。
 所望もなにも、女が平林環になんぞ頼んだことなんて、まるで記憶にない。
 そのことを素直に口にすれば、平林環は「いやですよ。お忘れになったんですか。たしかにあの時に仰っていらっしゃったじゃないですか。『死んだ赤子が欲しい。二十欲しい』って」とにへら。

 あまりのことに女は絶句。
 ということは、この二十の角樽の中身は……。
 ゾッとした女は後ずさり、荷車から距離をとろうとするも、うまいこと足に力がはいらず尻もちをついた。

 平林環のいった「あの時」とは、女がこっくりさんに自分と旦那さまの赤ちゃんについてお伺いを立てたときのこと。
 そのときこっくりさんは、女にこう告げた。

『赤子が欲しいと、早口で二十、続けて唱えよ』

 ちょっとしたおまじないかと考えて、とりあえず唱えてはみたもののいまだに懐妊の兆候はない。
 かわりに届いたのは漆塗りの箱に入れられた不憫な子の遺骸のみ。

 ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがうっ!

 自分はただ「赤子が欲しい」と繰り返しつぶやいただけ。
 ただの一度として「死んだ赤子が欲しい」だなんぞと口にした覚えはない。絶対にないといったら、ない。
 なのに平林環はつねとかわらぬ笑みを浮かべながら「いえいえ、たしかに仰いましたよ」と云う。
 倒れた自分へと手を差し伸べる平林環。
 姿や声音は以前とかわらず。なのに中身がまるでちがった人の形をした何か。
 女はどうしてもその手を取ることができなかった。


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