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其の二十八 そして猫はいなくなった
しおりを挟むひとり縁側に腰かけ、きれいに剪定された庭を眺めながら「ふぅ」とため息をついた女。
この前の頭巾の奥さまからの相談事が、女の中ではずいぶんと尾を引いていたのである。
我が子を守るためにと必死に水銀をかき集めてきた者がいる一方で、懐妊を持て余し厭う者もいる。
じつは「子ができたけど、どうしたらいいでしょうか?」という相談は以前からちょいちょいあった。
各々事情があるから、一概に良し悪しについては語れない。
それでもずっと望んでいるのにもかかわらず、ちっとも旦那さまとの間に授かれない女からすると、心中複雑であった。
「神さまもほんに意地の悪い。それならひとりぐらい、こっちにまわしてくれたらいいのに」
悩ましげな吐息を零した女が室内へと目を向けると、座敷の卓の上には狐狗狸さんの道具一式が入った朱色の箱の姿があった。
なにかとお世話になっていることだし、たまには風に当てて、陰干しでもと考えたのだが……。
「……そういえば、私、これまで他人さまの悩みを聞くばかりで、ただの一度も自分のことをお訊ねしたことがなかったわね」
だから、ふと子宝についてお伺いを立ててみようかという気になった。
キョロキョロ、ちょうど周囲には誰の姿もなし。いつもは誰かしらが近くに控えているのに、これはとても珍しいこと。お母さんも用事があるとかで朝からどこぞに出かけているらしく留守。
こんな機会、そうそうない。
そこで女は慣れた手つきで準備をすませると、「こっくりさま、こっくりさま、お出ましください」
けれども得られた回答にがっくり肩を落とすことになる。
なにせ奇異なことを言われたのだから。
『赤子が欲しいと、早口で二十、続けて唱えよ』
よもやのおまじない。
それでも女は不承不承、ぶつぶつぶつ。
「赤子が欲しい、赤子が欲しい、赤子が欲しい……」
が、当然ながらそんなものを唱えたところでぽこんと腹が膨れるでなし、なんら体調に変化もない。
「いったいなんだったのかしらん。ひょっとしてからかわれた?」
女は首をこてんと傾げては、唇を尖らせる。
だがそんな女の奇妙なつぶやきを熱心に盗み聞きしている者がいようとは、夢にもおもわなかった。
◇
あらためて思い返してみれば、その日はいささか静か過ぎた。
日参を欠かしたことがない三人官女。うち顔を見せたのは影山秀子と平林環のみにて、そのうち平林環の方も「所用がありますので」といって早々に引きあげる。
そして緒方野枝はついぞ姿をあらわさず。どれだけ家業が忙しいときでも、ほんのわずかであっても時間を作っては、顔を出していた彼女にしてはとても珍しいこと。
だが、女はあまり気にすることなく、てっきり頼んだ用事に掛かっているせいだろうぐらいに考えていた。
だが次の日も緒方野枝は顔を出さなかった。
そして翌々日のこと。
女のもとに届いたのは訃報。
緒方野枝が死んだ。
あまりにも唐突すぎて女は目が点となり、思考がまるで追いつかない。
◇
その日、朝も早くから家の者の誰にも行先を告げることなく出かけたという緒方野枝。
夕方になっても帰ってこず。じきに夜更けとなったがやはり音沙汰なし。そしてついに日をまたいだ、翌早朝。
林の奥にある沼へとナマズ釣りに出かけた老爺が、そこにうつ伏せで浮かんでいる緒方野枝の姿を発見したのである。
通報を受けて、すぐに警察がかけつけ現場を調べたところ、沼の付近には争ったおぼしき足跡、近くの草むらには女物の巾着、鼻緒の切れた草履の片方を発見する。
死因は溺死。
このことから夜更けの帰宅途中に、暴行目的の不埒者に襲われてここへと引きずり込まれるも、激しく抵抗しているうちにうっかり足を滑らせ、溺れたのではとの見解が早々に下される。故人の勝ち気な性格も、この裏付けの一助となった。
馴染みの者が変わり果てた姿となる。
女は緒方野枝の訃報を受けた瞬間、サーッと血の気を失い真っ青に。腰からしたの力が抜けてへたり込む。あわてて駆け寄った旦那さまの腕の中で震えるうちに、ふっと遠のく意識。
薄れいく意識の中、女が考えていたのは犯人のこと。
「不埒者? ちがう、そうじゃない。きっとあの人だ。あの頭巾の奥方さまの仕業にちがいない」
自分の頼みを受けて、請われるままに頭巾の奥さまのもとへと赴いたであろう緒方野枝。
おそらくはそこで何か、見てはいけないものを見てしまったんだ。ゆえの口封じ。
あぁ、なんて恐ろしい。
ようやくわかった。自分があの奥さまのいったい何に畏怖を抱いていたのかということを。あの目……あれは人に向けるようなものじゃない。まるで道端に生えている名もなき花をぼんやり眺めるような、どうでもいいものに対して向ける目。
彼女にとっては下々の存在なんぞは、きっと塵芥とかわらないのだ。
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