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其の十九 噂
しおりを挟む大本営が「やれ大陸のどこそこで快勝した」だの、「南の海で大軍を精鋭にて返り討ちにした」だなんぞと、やたらと調子のいいことを吹聴したところで、それを鵜呑みにするほど庶民は愚かではない。
ひしひしと間近に迫りくる戦争の影。
暮らし向きはますます苦しくなるばかり。人々の顔から笑みが消えて、暗鬱とした空気ばかりが増していく。これでは気がつかぬほうがどうかしている。
なのに誰も何も言わなかったのは、信じたくなかったから。いったん認めてしまったら、自分たちがどうなってしまうのかわからない。
みな真実に怯えていたのである。ゆえに見て見ぬふりを続ける。
そんな状況下で傾きかけた家業が持ち直す?
ありえない。
だがそのありえないことが起きた。
それも立て続けに三件も。
同業他社、出入りの者、関係者などなど。いやがうえにも寄ると触ると口の端にのぼっていく。
あるとき遊郭の常連客が、みちがえるように明るい雰囲気になった店内に驚きながら、ここの女将である緒方野枝に「すごいね。すっかり盛り返しているじゃないか。いったいどうやったんだい?」とたずねたら彼女はこう答えて微笑む。
「すべてはあの御方のおかげです」
◇
あるとき酒蔵に新しい大樽を届けに来た業者。「まいど、どちらに運べばよろしいでしょうか」と声をかけて、ここのご内儀に案内された先には、真新しい大樽が他にも五つばかり並んでおり、その中には仕込み中の酒がなみなみと入っている。
これにたいそう驚いたのが樽の業者。自分のところだけでなく、他所からも仕入れては、生産量を倍増しているのだから。
「いやはや、景気がよろしいこって。ほんにうらやましいかぎり」
この様子ならばまたぞろ注文を貰えるかもしれないと、業者は平身低頭でおべんちゃら。
するとここのご内儀である平林環は手を合わせ祈るように言った。
「うちがこうしていられるのも、すべてはあの御方のお導きゆえです」と。
◇
あるとき缶詰工場に勤めていた寡婦。渡された給金の封筒の中身に目を見張る。
「奥さま、これは何かのまちがいなのでは? いくらなんでも多すぎます」
すると眼鏡の奥から冷徹な目を向けてくるばかりであった影山秀子が、いつになく優しいまなざしにて「いいえ」と小さく首をふる。
「それは貴女の労働に対する正当な対価です。それにご亭主が亡くなられ、ひとり幼な子を抱えて大変なのですから、なにかと物入りのはず。いいから遠慮せずにとっておきなさい」
おもいがけずにかけられた優しい言葉に、涙ぐむ寡婦。
すると影山秀子がまるで小さい子どもにでも言い聞かせるがごとく、穏やかな声音で言った。
「もう心配はいりません。あの御方さえいれば、きっとすべてがうまくいくのですから」
◇
旦那さまはやや眉をひそめずにはいられない。
とくに何かをしたわけでもないのに、ここのところ客足が日に日にのびている。
当然ながら店の売上ものびる。商売繁盛は喜ばしいこと。
だが客たちの様子がなにやらおかしい。やたらと長っ尻。店頭に並ぶ瀬戸物を手にとり、しげしげと眺めているふりをしては、ちらちらこちらの様子をうかがう。
かとおもえば、わざわざ声をかけてくる者もいる。
そして決まって口にするのは「奥さまはご健勝ですか」「今日は奥方は?」みたいなこと。言外に彼の手中の珠である女房のことを気にしているのは明らか。
それで薄々「もしや」と旦那さま。
予感が的中したとわかったのは、先代からつき合いのある家から、「じつは今、うちの娘に縁談話が持ち上がっているのだが、ちょっと心配でね。ぜひともキミのところの奥方に、吉兆の塩梅を視てもらえないだろうか」と言われたため。
この時点ですでに評判は方々に広がっており、いまさらもみ消すのは不可能となっていた。
なんとも迷惑な話を持ち込んだ相手は、商い上、けっして粗略に扱っていい家ではない。
だから思い悩んだすえに、旦那さまは女に相談した。
旦那さまが困っている。
女にこれを見捨てるという選択肢はなかった。
◇
ひとり受けたら、「自分も」「私も」と次々と押し寄せる希望者たち。
断われば「誰それのは視てやったのに、どうしてうちはダメなんだ!」と激昂される。ときには店先で暴れたり、泣きわめいてはいつまでも居座ったりする者も。
あまりのしつこさに根負けして視てやれば、またぞろ別のがあらわれる。
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気づけば仲がよかった女友達三人は忠実な信徒のようになっていた。
女を頼ってくる者らは信者のようになっていた。
その輪がじわりじわりと広がっては、まるで新興の宗教団体のようになっていく。
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