17 / 57
其の十七 狐狗狸さん
しおりを挟む表面に鳥居の印や、「はい」と「いいえ」や「男」と「女」、それから零から九までの数字に、あとは平仮名の五十音表などが描かれてある古ぼけた皮紙。
黒くくすんでしまっている、どこか遠い異国のコイン。
ちょんちょんとコインを突いては「これが例の縁結び……って、なんだか思っていたよりもずっと地味ね」と緒方野枝。
警戒していたのも最初のうちだけ。すぐに手のひらにのせてみては「あら、意外と重たいのね」なんぞと言っている。
もっと大胆だったのが影山秀子。臆することもなく皮紙を両手で摘まみあげては返すがえす。まるで風呂敷でも扱うかのよう。
「なんの動物の皮かしら。羊ではなし、馬あたりかしら」
そればかりか鼻を近づけては、くんくん。ニオイを嗅いだりもして「へえ、文字をわざわざひと文字ずつ丁寧に焼き入れしてあるのね。専用の金型を用意したとしたら、相当の手間と制作費がかけられてあるわ」と妙なところで感心したりもしている。
ふたりの態度に「そんな風にあつかったら罰が当たるのでは」と案じていたのが平林環。恐がりの彼女はけっして触れようとはせずに、ただ見ているだけであった。
◇
四人にて狐狗狸さんの道具一式を眺めることしばし。
ささいなことから言い争いをはじめたのは、緒方野枝と影山秀子。
「ちょっと学があるからって、なんでもかんでもえらそうに否定するんじゃないよ」と緒方野枝。
「私だって信仰まで否定するつもりはないわよ。だからって、いかがわしいものまでありがたがるのはどうかって言ってるのよ」とは影山秀子。
実物を前にしてオカルト話に興じるうちに、世の中の不思議について「信じる」「信じない」でもめ始めた。
女は「まあまあ」とふたりをなだめようとするも、かえって「貴女はどっちなの?」と双方から詰め寄られて、たじたじに。
困った女が平林環に救いを求めて視線を向ければ、何をおもったのか彼女はこんなことを言い出した。
「だったら、せっかくなのだし、実際に試してみたらいかが?」
よもやの提案、恐がりの平林環らしからぬ言動。
訝しんだ女が目にしたのは、彼女がいつも持っているハンカチをギュッと強く握っている手元。口調はその場の流れで言ってみたみたいな雰囲気であったが、どこか必死さが見え隠れしている。女にはそれが溺れる者が藁にでも縋りつこうとしているかのように感じられた。
けれども緒方野枝と影山秀子は言い争いに夢中となるあまり、そのことにまるで気がつかない。それどころかそろって「いいわね、やりましょう」「わかったわ、白黒つけてあげる」なんぞとすっかりケンカ腰に。
こうなるともうダメであった。
で、実際に四人でやってみたのだが、コインはピクリとも動かなかった。
緊張していた場の空気が、とたんに弛緩する。
「ほれみたことか」勝ち誇る影山秀子に「ぐぬぬ」と悔しがる緒方野枝。
だというのにひとり平林環だけは、どこかぼんやりとして上の空、心ここにあらず。
そしてこの日はこれでおひらきとなったのだが……。
◇
朱色の箱を元通りに長櫃へと戻し、知らん顔していた翌日。
突然に女のもとを訪ねてきたのは平林環。
集まるときはいつも三人そろってなのに、これははじめてのこと。
「どうかしましたか? なにか忘れ物でも」
戸惑いながらも女が笑顔で迎え入れると、奥の離れへと案内されたとたんに平林環が、がばっと畳に両手をついて「お願いします。もういちどこっくりさんを私とやってもらえませんでしょうか。どうか、どうか後生ですから、お助け下さいまし」と言い出したもので、女はたいそう驚いた。
平林環の夫は大きな酒蔵持ち。
お酒の需要はどんな時代になっても減ることはない。ばかりか、だからこそいつも以上に水増ししても飛ぶように売れる。ましてや販路を女の旦那さまが世話してくれたことにより、経営は順調であった。
なのに急に風向きがおかしくなった。
原因はネズミ。
酒造りに大量の米は必須。ゆえにこれを狙うネズミの被害には絶えず悩まされていた。衛生的にも問題がある。だから秘伝のネズミコロリの練り餌を作っては、これをあちこちに置いて、ネズミどもから酒蔵を守っていたのだが、よりにもよって死んだネズミが大樽へと落ちてしまったのである。
どうやら蓋をきちんと閉じていなかったのが原因らしいのだが、これにより大樽が三つもダメになってしまった。
よりにもよって軍部への納期が迫っているこの時期にである。
このままでは不興を買って契約を切られかねない。そうなればこれまでのように優遇されることもなくなるだろう。酒蔵の経営はあっという間に傾いて、きっと潰れてしまう。
なのに自分には何もできないことに平林環はひそかに胸を痛めていた。
そんなおりに、先日のこっくりさん騒動である。
だがコインは動かなかった。すがるも何もあるまいと女は首をひねるばかり。
しかし平林環は「いいえ、いいえ、ちがいます。そうじゃないのです」と激しく首を横にふりながら言った。
「わたくし、たしかに見たのです。みなさまが言い争っているときに、硬化がひとりでに動くところを」と。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
代償
とろろ
ホラー
山下一郎は、どこにでもいる平凡な工員だった。
彼の唯一の趣味は、古い骨董品店の中を見て回ること。
ある日、彼は謎の本をその店で手に入れる。
それは、望むものなら何でも手に入れることができる本だった。
その本が、導く先にあるものとは...!
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
終焉の教室
シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。
そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。
提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。
最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。
しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。
そして、一人目の犠牲者が決まった――。
果たして、このデスゲームの真の目的は?
誰が裏切り者で、誰が生き残るのか?
友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結済】ダークサイドストーリー〜4つの物語〜
野花マリオ
ホラー
この4つの物語は4つの連なる視点があるホラーストーリーです。
内容は不条理モノですがオムニバス形式でありどの物語から読んでも大丈夫です。この物語が読むと読者が取り憑かれて繰り返し読んでいる恐怖を導かれるように……
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
二人称・短編ホラー小説集 『あなた』
シルヴァ・レイシオン
ホラー
普通の小説に読み飽きたそこの『あなた』
そんな『あなた』にオススメします、二人称と言う「没入感」+ホラーの旋律にて、是非、戦慄してみて下さい・・・・・・
※このシリーズ、短編ホラー・二人称小説『あなた』は、色んな"視点"のホラーを書きます。
様々な「死」「痛み」「苦しみ」「悲しみ」「因果」などを描きますので本当に苦手な方、なんらかのトラウマ、偏見などがある人はご遠慮下さい。
小説としては珍しい「二人称」視点をベースにしていきますので、例えば洗脳されやすいような方もご観覧注意、願います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる