秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の十五 長櫃のダイヤル錠

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 かつて旦那さまから緒方野枝を紹介されたときに、女は「まるで猫みたいな方」と感じたものである。そして猫というのは、とかく甘え上手な生き物。するりとこちらの懐へと入ってきては、にゃおんとしおらしく身を寄せてくる。だから抱きしめようとすれば、たちまち離れてそっぽを向いたりもする。
 とんとこちらの思い通りにならない。けどそんなところがたまらなく愛おしい。

 緒方野枝から上目遣いでおねだりをされて、女は「うぅ」とたじろぐ。
 もしも何らかの魂胆を持ってのことならば、女とてもと芸者ゆえに敏感にこれを察して「いけません」ときっぱり断われた。
 だが緒方野枝のくりくりよく動く黒目には、そんな気配は微塵もない。浮かんでいたのは、ただただ好奇心の色ばかり。
 まるで子どものような眼差しにて、「ねえ、ねえ、ねえ」

 すっかり困ってしまった女。
 とはいえ、じつは彼女もちょっと気にはなっていた。なにせ自分の嫁ぎ先をあてがってくれた存在なのだから。「いちど、きちんとお参りをするなり、祀ってお供えでもしてお礼をするべきなのかしらん」などと薄っすら考えたこともあった。
 そんな女の内心を見透かしたのか、猫の攻勢はなおも続き、ついに根負け。

「わかりました。ではちょっと探してみますから、みなさまは羊羹でも召し上がってお待ちください。でもあんまり期待しないでくださいませ」

 あわよくば蔵までついていこうと目論んでいたのか、緒方野枝はちょっとがっかりしつつも喜色を浮かべている。
 平林環は、「いざ実物がくるかもしれない」とわかって少しこわばった表情となるも、多少の興味はあるのか、急にそわそわしだす。
 しかし影山秀子は本当に興味がないらしく、憮然と茶菓子の栗羊羹を切り分けては、口に放り込むばかりであった。

  ◇

 店先に顔を出すことと、勝手に外出すること以外、女はとくに旦那さまから禁じられていない。
 家の中では基本的に自由の身。
 当然ながら蔵にも自由に出入りできる。ここには歴代当主たちが集めた怪しげな蒐集品の他にも、多岐に渡っていろんな品が収蔵されている。
 まだ日本が世界から孤立する前の頃に、洋行をした家の者があちらで買い求めてきたものなどもある。いまのご時世、もしも憲兵に見つかれば問答無用で処分されかねない舶来品もごろごろしている。ちょっとした博物館のようなありさま。
 だから女もたまに退屈をまぎらわせるために、この場所へと足を踏み入れることがあった。
 ゆえに例の皮紙が入った朱色の箱の在り処にも、じつは心当たりがある。

「たぶん……、あそこよねえ」

 蔵へと入った女はそのまま階段をのぼって二階へと。
 奥まったところに、まるで他の荷にて隠すようにして置かれてあるのは、大仰な家紋が入った漆喰の長櫃。ちょうど人がひとりぐらい入りそうな大きさにて、蓋は鍵穴のない鍵にて閉じられている。
 三つの番号の組み合わせて開錠するというダイヤル錠なる品。
 見慣れない形状の鍵。おそらくはこれも舶来製。たぶん金庫の番号合わせとかと似たような仕組みなのであろうが、どのみち素人の手には負えないのは同じこと。
 だからこそ女は先ほどみなにあまり期待しないでと言ったのである。
 なにせ女はこの鍵を開ける番号を知らないのだから。

 長櫃の前にしゃがみ込んだ女。しげしげとダイヤル錠を見つめ手に取る。
 数字は一から九にて、三桁。
 女は試しにカチャカチャと適当な番号を合わせてみるも、鍵は固く閉じられたまま。それも当然のこと。なにせ組み合わせは七百通りを超えるほどもあるのだから。
 この中から当たりをぴたりと引き当てようとすれば、それこそ神仏の助けでもなければ無理であろう。

 三回、五回と試してみたもののいっこうに鍵がはずれる気配はない。
 読み物に登場する鍵開けの名人ならば、指先の微妙な感覚とかで探りあてるのであろうが、芸者あがりにそんな器用な真似ができるわけもなく……。
 きりのいい十回目を数えたところで、ついに女は匙を投げた。

「やっぱり無理ね。さすがに置屋でも鍵開けの術は教えてくれなかったもの」

 ダイヤル錠から手を放し、立ち上がった女。そのままきびすを返そうとするも、その時のことであった。

 ガチャン、ごとり。

 音に驚いて「えっ」とふり返った女が目にしたのは、床に転がっているダイヤル錠であった。


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