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其の四 手配書
しおりを挟むガタガタと雨戸がずっと震えている。
轟っと風が吹くたびに、建屋そのものまでもがブルっと震えた。
そのたびに天井から吊るしてあるランプの明かりが、右へ左へとゆらりゆらり。
雨脚がさらに勢いを増している。雨粒が間断なく屋根や壁を打ちつけてくるもので、戸締りした室内にいてもやかましいほど。
いよいよ本格的な嵐になろうとしている。
気温もぐんと下がって、やや肌寒くなってきた。
私服の浴衣に着替えた駐在は、暖をとるついでに部屋干しの制服を乾かすため、今季はじめて薪ストーブに火を入れた。
◇
次第に暖かくなっていく執務室。
やかんで沸かした白湯をすすりながら、机に向かい日報を書く。
職務の一環だ。
とはいえ、たいして書くことがない。ここでは事件らしい事件なんぞはついぞ起きたためしがない。せいぜい軒先に干していた芋がとられたとか、草刈り鎌がどこぞに失せたとか、米櫃の中身が減っているとか、酔っ払い同士の小競り合い、夫婦喧嘩とか、その程度。
よしんば重大事案が発生したとて、こちらに話がまわってくるのは、村人同士の間であらかた解決の目途がついてから。
ここはそういう土地。治外法権に近い村社会。
たいていのことが、もっとも権力のある千賀谷家によって、内々に処理されてしまうのがつねのこと。
「いまどき、そんなことでは困る」
と千賀谷家を執り仕切っている刀自(とじ)に、駐在も何度かかけ合ってみたのだが無駄であった。
なにせ相手はこの気難しい土地にて、代々続く旧家を半世紀以上にも渡って守ってきた女傑。三十半ばの駐在なんぞは、小僧扱いにて歯牙にもかけやしない。
◇
どうにか書くことを捻りだし、頁の空欄を埋めていく。
この地に赴任して、言い回しや類語を駆使しては、文章の量をかさ増しすることだけが上手くなった。情けない話である。
二十分ほどもかけて「まぁ、こんなものか」と駐在は筆を置いた。
「ふぅ、今日も特に異常なし、と。やれやれ、世間では赤子殺しで騒いでいるというのに、のんびりしたものだ。この分では手柄を立てて陸の孤島から脱出なんてのは、夢のまた夢だな」
ここのところ連日、新聞紙面を賑わしているのは、東京のとある瀬戸物屋の土蔵の床下から大量に発見された、人骨にまつわる事件の記事。
記事によると、その大半が赤子の骨にて、ここの女主人が戦中から戦後にかけて、二百近い赤子をどこぞより調達してきては、ひそかに血を啜り、肉をかじり、生き胆を喰らっていたとのこと。
ゆえに鬼子母神殺人事件と呼ばれて巷を震撼させているのだが、犯人と目されている女主人は、当局の懸命な捜索にもかかわらずいまもって捕まってはいない。
ことが露見する少し前に、まるで近所へ散歩にでも行くかのようにして、ふらりと軽い足どりにて出かけてはそれきり。ふつり消息を断ち、行方知れずとなっている。
犯人をまんまと捕り逃がしたのだから、とんだ失態。
新聞各社は戦中の厳しい言論統制の恨みもあってか、紙面にてここぞとばかりに当局を辛辣に責め立てた。その影響もあって世間の目もいっそう厳しくなっている。
激しい突きあげを喰らった当局中央は、失墜した名誉をなんとしても挽回すべく、躍起となって探している。手配書を和良簾村にまでまわすほどの念の入れよう。
なのにいまだ発見には至っていない。
ひょっとしたら海にでも飛び込んですでに……、との憶測もまことしやかに囁かれている。
わざわざ僻地の駐在所にまで届けられた手配書。
それは表の掲示板に貼られることもなく、室内の机の隅に置かれたまま。
貼り出したところで、村の人間はろくに駐在所へは近寄ってこないので、どうせ誰も見やしないだろうと考えてのことであったのだが……。
あらためて手配書をしげしげ眺めるも、駐在は「うーん」と首をひねるばかり。
印刷されてある顔写真。
しいて特徴をあげるとすれば、特徴がないことが特徴といった女。
控えめに結わえた髪、身に着けた銘仙の絹織物は上等そうだが、全体的にやや古い印象を受ける。ありふれた容姿。人混みにまじればたちまち没し、姿を見失うことであろう。
それほどまでにどこにでもいそうな、ごくふつうの主婦像がそこにはあった。
「だいそれた事件を起こすような女には、とても見えないんだがなぁ」
駐在が手配書の女につぶやいたところで、トントントンという音。
聞こえてきたのは控えめに表戸を叩く音。
風の悪戯かもと耳を凝らしてみれば「もし、もし」というか細い声もする。
「こんな嵐の夜に……いったい誰だ?」
訝しみつつも駐在は腰をあげた。
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