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043 潜入、替え玉、アサシン?

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 湾岸地区の倉庫奥、悪党どもに囚われこき使われている鈴の人こと伊藤高志。
 彼を救い出して、白石沙耶さんのところへと届けるのが今回のわたしの任務。
 よもやのバイオレンスなお仕事っ!
 警察に通報したらまとめて捕まっちゃう。
 かといってターゲットが一人、ドロンと姿を消したら「あの野郎、逃げやがったな!」と大騒ぎになる。
 そこで生駒が考えた方法が……。

「おいこら、ちんたらしてんじゃねえぞ!」
「はっ、はい。すみません」

 ガラも服装の趣味も態度も悪い現場監督から怒鳴られて、へいこらしているのは伊藤高志。
 ではなくて、彼に化けているわたしである。
 ネコ化けならぬヒト化け。正しくは人化の術というらしい。
 ご覧の通り、生駒の作戦とは身代わりを立てることであったのだ。
 伊藤高志が作業中に車の下へと潜り込んだところで、生駒が神通力にて「えいや」と影の中に引きずり込んでかっさらい、それと入れちがいで彼に化けたわたしが登場するという寸法。
 でもヒト化けはとても高度な術にて、わたしにはそもそも使えない。だから生駒に術をかけてもらったのだけれども、ひとつだけ問題が……。
 それは時間が十分ぐらいしかもたないということ!
 もしも途中で術が解けたらたいへんなことになる。だからわたしは内心でヒヤヒヤしつつも、適当に作業をしているふり。
 なのに現場監督のチェックが厳しい。やたらと目敏く、すぐにオラオラ文句を言ってくる。そのマジメさと熱意があれば、ふつうに働けるだろうに。そしてそこそこ出世もしそうなのに。
 あんた、ぜったいに生き方をまちがってるよ!

  ◇

 周囲の目を気にし、他人のふりをして、仕事をしているふりをして。
 三分が過ぎ、五分が過ぎ、じきに八分ほどにもなろうか。
 とても緊張をともなう時間が続く。胃のあたりがキリキリ。
 こうしている間に生駒がまんまと伊藤高志の方を片付けて、ついでに警察にも通報する手筈になっているんだけど、いまだにその気配がない。
 もしかして途中で手ちがいでもあったのだろうか? いや、ちょっと待て。よくよく考えてみれば、ほんの十分足らずでどうこうできる仕事量じゃないような……。
 そのことに思い至ったとたんに、イヤな汗がだらだら。
 ついにわたしが伊藤高志に化けてから九分にさしかかろうとしたところで、ざわざわっとうなじのあたりがした。
 ネコ化けしているときに背中を逆撫でされたときのような感覚。
 直感的にわたしは「やばっ!」
 床に投げてある工具箱からスパナをひったくるなり、あわてて最寄りの車体の下へと潜り込む。
 とたんにポンっと人化の術が解けちゃった。
 ウソでしょう! ちょっと早くない? 十分ぐらいはもつって言ってたのに!
 よもやこんな形にて「ぐらい」の部分が牙をむくだなんて。
 まずい、まずい、まずい、これは非常にまずい状況だ。
 どうする? いっそのことネコ化けしてこのままトンズラするべきか。いや、あわてるな。しばらくはこのままやり過ごして時間を稼いで……。
 なんてことを考えていたら、「おい」との声。
 現場監督である。
 車体の下へと潜り込んでからやたらと静かだったもので、どうやらサボっているとかんちがいされてしまったらしい。
 わたしの隠れている車のすぐそばにまでやってきた。
 でも術が解けて本来の姿に戻っているから、わたしに返事はできない。困っていると、またもや「おいこら、てめえ」とのドスの効いた声、からの「まさかとは思うが、居眠りなんてしてんじゃねえだろうなぁ」
 言うなり片膝をついた現場監督、いきなり腕をのばしてこちらをつかまえようとしたものだから、わたしはあわてて奥へと逃げる。
 このことにカチンときた現場監督。

「いい度胸だ、どうやらてめえには再教育が必要みたいだな」

 バキボキ指を鳴らす現場監督が、怒気を隠すこともなくそのまま車体の下をのぞき込もうとしたもんだからたまらない。
 もはやこれまでか。
 わたしがそうあきらめかけたとき、遠くにかすかに聞こえてきたのはパトカーのサイレンの音。
 とたんにピタリと静まりかえった倉庫内。
 この場に集っていた全員が動きを止め、息を潜めて耳をすます。
 わたしは内心で「おっ、生駒がやってくれたのか」と思ったけれども、サイレンの音は次第に遠ざかっていき、じきに完全に聞こえなくなってしまった。
 どうやらたまたま近くを通りがかっただけみたい。
 それがわかって倉庫内の緊張がいっきに解けた。空気が弛緩し「なんでえ、おどろかしやがって」なんぞという声もちらほら。
 生駒が手配してくれたお巡りさんたちではなかったらしい。
 ふたたび動き出す倉庫内の時間。
 悪党どもはよろこぶも、わたしはがっくし。
 しかし次の瞬間、事態は急変する。

「警察だ! 全員動くなっ!」

 いきなりの大音声。
 勢いよく倉庫の扉が開かれて、雪崩込んできたのは大勢の警官たち。
 難を逃れたとおもって油断したところを強襲。どうやらさっきのサイレンは敵をあざむく作戦であったようだ。
 おかげで悪党どもは混乱をきたし、ろくに抵抗もできないうちに次々と制圧されてゆく。
 その鮮やかな手並みを車の下から眺めていたわたしは「ほへー」と感心しきり。
 すると「待たせたね、結」と生駒がひょっこりあらわれた。

「遅いよ、生駒! 術もすぐに解けちゃったし」

 わたしがぷりぷり怒ると生駒が「ごめん」と手を合わせる。「悪い悪い。ちょいと手間取っちまってねえ」
「それで首尾はどうなの?」
「ばっちりさ。伊藤高志はきちんと梱包して、とりあえず下谷総合病院の方へと送っておいた」
「へー、って梱包?」
「そうだよ。なにせ紅葉路は生身の人間だと使えないからねえ。かといってやっこさんをいちいちネコ化けさせて連れていくのもめんどうだったから」

 プスっと首筋のツボを毛針でひと刺し。
 ターゲットを昏倒させ、ぐったり仮死状態にしてから梱包し荷物として配送する。

「ナマモノはダメだけど死体なら問題ないからね」

 そう言ってニカっと笑う生駒にわたしは顔をひきつらせる。
 鍵開けにつづいて、そんな暗殺術まで。なんて芸達者な稲荷の眷属なのかしらん。

「ほら、結。ぐずぐずしていたら巻き込まれちまうからとっとと退散するよ」

 生駒からうながされて、はっとしたわたしはすぐにネコ化け。
 怒号渦巻き殺気立っている倉庫からすたこら逃げ出した。


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