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031 お嬢の独白、ネコの聞き役、伊達男

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 月野の家は地元でも屈指の名家。
 古い血筋にて、もともと土地持ちではあったのだが、転機が訪れたのは祖母の代のとき。彼女が吟味に吟味を重ねて婿に迎えた祖父。
 銀行に勤めていた祖父はその才覚を買われての婿入りであったのが、存分に手腕を発揮して数々の事業を展開、月野家の地盤を盤石なものとする。
 そうやって活躍した祖父はやがて周囲から押される形にて市議となり、四期に渡って地方政治に尽力し、おおいに名声を馳せた。
 一方でそんな祖父の活躍を影から支え続けた祖母。
 彼女は家を守りつつ、祖父や一族の手綱をもしっかり掴んで離さなかった。
 口さがない者などは、祖母をして「月野の女帝」と呼ぶ。

 私こと月野愛理の大部分を作ったのは、そんな祖母であった。
 祖父より受け継いだ事業の数々。それらを統括し社長業に精を出している父。
 内科の開業医として駅前で医院をかまえて働いている母。
 ともにいそがしく、お世辞にも家庭と仕事を両立しているとはいえない。両親といっしょに出かけた記憶なんてほんの数えるほど。
 そのせいもあってか、私のかたわらにはいつも祖母がいた。
 祖母は自他ともに厳しい人であった。けっして孫を甘やかすようなタイプではない。むしろ孫のことを想えばいくらでも鬼の面をかぶれる人であった。
 小さい頃はただただ祖母が怖かった。名前を呼ばれるたびにビクビクしたものである。
 やがて祖母の真意に触れる機会を得てからは、恐れは尊敬に変わった。すべてが愛情の裏返しだと理解してからは、しつけが苦にならなくなった。むしろ周囲の期待に応えようと奮起した。月野家の女としてどこに出ても恥ずかしくない、祖母に褒められるようになろうとがんばった。
 でも、がんばればがんばるほどにおかしな現象が起きはじめ、私は困惑した。

 ピアノのレッスンをがんばった。
 はじめは先生も祖母も手放しで褒めてくれた。でもいつの間にか、「愛理ならこれぐらいできて当然」と言われるようになった。
 習字やお花、お茶に踊りなどのお稽古ごとでもそれは同じ。
 わたしは父や母によろこんでもらおうとがんばって、がんばって、がんばって……。
 みんなは「さすが」と口では褒めてくれる。でもそれと同時に「出来て当たり前」と目が言っていた。
 月野家の娘ならば当然、愛理なら簡単……、そんなことちっともないのに。
 私はがんばった。何度も何度も練習をして、うまく出来ないのが悔しくて泣くのなんてしょっちゅう。夢の中でうなされることさえもある。
 なのに誰も彼もが「さすが」のひと言ですます。
 成果をともなわない努力に意味はない。たしかにそうなのかもしれない。そういった考えは理解できる。だからとてすべてを割り切り受け入れられるほどに、私という人間の器は大きくない。
 自我を殺して目の前の課題を必死にこなすうちに、いつしか私はみんなが求める月野愛理という役を演じる人形になっていた。
 何ごとかを達成するのは楽しい。でもよろこびはほんの一瞬でかき消え、次にやってくるのはどうしようもない不安。「次もちゃんとやれるだろうか」と。
 走っても走ってもちっともゴールが見えてこない。まるで暗いトンネルの中を進んでいるかのよう。立ち止まったが最後、自分がどっちに向かって進んでいたのかわからなくなりそうで、わたしはひたすら走り続けるしかない。

 そんなある日のことだ。
 わたしは同類を見つけた。
 霧山雄彦、彼もまた周囲から押しつけられた期待やイメージにどうにかこたえようと足掻いていた。
 彼という人間のことを知ったとき、私は歓喜した。自分だけじゃなかったんだと。
 同じ苦悩を抱える者がいる。互いの境遇を心から理解できる存在がいる。私はひとりじゃない。それは月野愛理という人生に射し込んできた光明のように私の目には映った。
 以来、私はずっと霧山くんを見続けてきた。
 やがて成長するごとに、彼はより輝きを増していく。
 だが皮肉にもそれがより多くの者を惹きつけ、さらなる期待をあおる。それにこたえようとするほどに、彼はより暗い闇の深みへと落ちてゆく。
 自分と同じ。蟻地獄でもがく霧山くんの姿は、まるで私自身を映す鏡のよう。

  ◇

「私なら彼のことを誰よりも理解できる。彼ならば私の苦しみをわかってくれるはず。なのにあの子ばっかり……。どうして彼はちっとも私のことを見てくれないの?」

 公園の池のほとりにあるベンチにて、月野さんの独白。
 これをネコ化け状態のわたしは彼女の膝の上で聞かされていた。
 霧山くん真田くんと別れ一人泣いていた彼女。見かねて周囲をにゃあにゃあ。うろうろしていたら唐突に抱きしめられ、こうして想いのたけをぶつけられることになった次第。
 名門のお金持ちなだけでなく、誰もがうらやむ容姿にも恵まれた少女。
 彼女が抱える闇に触れてわたしが思ったのは、彼女が語ったように月野さんと霧山くんの二人はとてもよく似ているということ。
 霧山くんはずっと仮面をかぶって生きてきた。そしてそれは月野さんもまた同じ。
 さぞや苦しかったはずだ。さみしかったはずだ。つらかったはずだ。
 それゆえに月野さんは霧山くんに救いを求めた。
 でも一方で霧山くんはかたくなにそれに拒み続けている。
 同じ悩みや苦しみを持つからこそ助け合える。月野さんはそう考えたのだろうけど、たぶん霧山くんは逆だったんだ。自分と似たような人物を前にして、彼は嫌悪にも似た恐怖を感じたのだろう。
 この意識のズレが男女の性別に由来するのか、はたまた個人の資質によるものなのか、わたしにはわからない。わかったことといえば、これもまた悲しいすれちがいだということ。
 うーん。なにやらえにしがヘンテコにもつれている。でも鬼がらみにまではいたっていない。これならまだどうにかなるかも……。

 そんなことをぼんやり考えているうちに、またぞろ月野さんがポロポロ泣き出したものだから、わたしはあわてて慰めるのに徹する。
 とはいえネコの身なので出来ることといったら、体をこすりつけたり、ネコ撫で声を「にゃあ」としたり、ついペロリと頬を伝う涙を舐めたり。あっ、美少女の涙ってちょっと甘い。
 なんてことをしていたら、少し離れたところからこちらの様子をうかがっているトラ太郎たちの姿が!
 またぞろトリプルアタックをかましてくる気か。
 わたしが警戒をしていたら、そろりそろりと近づいてきたトラ太郎たち。そのまま背後を静かに通り過ぎていく。
 そして去り際にトラ太郎がぼそり。

「女の涙に水をさすほどおれは野暮じゃねえよ。またな、茜の君」

 空気を読んで颯爽と去るトラ太郎たち。
 くっ、なんという伊達男っぷり。
 不覚にもわたしはちょっとキュンときてしまった。


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