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027 つないだ手、はなれた手、のばした手

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 渡辺和久に柴崎隆がつづった手紙がつまった缶箱を渡した翌日の夕刻。
 ところは柴崎由香里が入院している病院の裏手に、ネコ化けしたわたしの姿はあった。
 目論み通り渡辺が動き、彼女のもとへと駆けつけることがわかったからである。
 四十年ぶりの再会。鬼がらみの古えにしがどういう結末を迎えるのかはわからない。けれどもその顛末を見届けるために参上した。
 わたしは周囲をキョロキョロ。誰もいないことを確認してから物陰にていったんネコ化けを解くと、本来の小学五年生の姿で病院内へ。設定は入院する祖母をたずねてきた孫である。見舞い客を装いさりげなく院内を移動。そして目的の場所にほど近いトイレにてふたたびネコ化け。看護師や患者らの目をかいくぐり、シュタタタと柴崎由香里の病室へと向かった。

  ◇

 看護師が出入りするどさくさにまぎれて、柴崎由香里のベッド下にまんまと潜り込むことに成功したわたし。
 しばらく待っていると病室の扉がノックされて、ビシっとスーツで身を固めた渡辺和久が姿を見せた。

「どうしてあなたがここに……」
「きみが倒れたって聞いたから」

 そんなやりとりから始まった四十年ぶりの再会は、とても静かなものであった。
 交わされる言葉はぽつりぽつり。ともすれば会話は途切れがちとなり、奇妙な間があいたり不自然な沈黙が降りたり。たどたどしく、おどおど探りさぐりにて、どうにもまどろっこしい。盗み聞きしているこっちの方がイライラしちゃう。
 とはいえそれほどイヤな感じはしない。むしろちょっといい雰囲気かも?
 なんぞと油断していたら、話題が故人のことにおよんだところで空気が微妙なものとなる。
 そこで二人とも黙り込んでしまった。
 しばしの重い沈黙ののちに、渡辺が先に口を開く。

「もしも、もしもあの時……。おれがあいつよりも先に告白していたら、きみは……」

 かつて遠い学生時代のこと。一人の女性を同時に好きになった男二人。
 彼女へと告白する順番をポーカー勝負で決めた渡辺和久と柴崎隆。
 勝負は柴崎が勝ち、勢いのままに由香里に告白した結果、二人は付き合うようになり大学卒業後に結婚した。
 時間の流れに「もしも」はない。
 それでも選択に迷い、後悔を抱え、ちがう可能性について考えずにはいられないのが人間の性。

 柴崎由香里は黙ったまま首を小さく横にふった。
 それがすべてだった。
 渡辺が「そうか」とつぶやく。そしてタメ息まじりに言った。「じつは気づいてたんだ。あいつがインチキしていたことを」

 それが傑作だったと渡辺はくつくつ肩をふるわす。
 柴崎隆がここ一番の大勝負でくり出したのは、ハートのロイヤルストレートフラッシュ。
 同じマークの十、ジャック、クイーン、キング、エースの手札をそろえるもので、ポーカーの役のなかでは上から二番目に強いもの。そしてそれを引き当てる確率はまともに計算するのがあほらしくなるぐらいに低い神がかり的な数字。

「おれはあきれたね。いくらなんでもデキすぎだ。そんなシロモノが都合よくポンポン出てたまるかって。どうせインチキをするんなら、もう少しうまくやりやがれってさ」

 これには由香里も「フフフ」と笑って「あの人らしい」
 ひとしきり二人して笑っていたら、いつしか渡辺の頬を涙が伝っていた。

「だというのに柴崎のやつ、まんまとうまくやりやがった。
 まさか二人が両想いだったなんてなぁ。一番近くにいたくせに、そんなことにちっとも気がつかずにのぼせていたんだから、おれもたいがいだよ。あげくにへんな意地を張っちまって。そのせいでおれは、おれは……」

 ずっと抱えていた後悔が胸の内よりあふれた渡辺和久は、ついにこらえきれずに泣き崩れる。
 そんな彼の頭をやさしく抱きしめた柴崎由香里は「それはわたしたちも同じです」と言った。

「あの人もずっと苦しんでいました。そのくせあなたの新刊が発売されるたびに、いそいそ購入してきては熱心にファンレターを書くんですよ。でも出す勇気はなくて溜まる一方。
 そしてわたしはわたしで、あなたたちの友情を壊したことにずっと負い目を感じていました。でも、それでもわたしは彼といっしょにいたかった。いっしょに生きたかった。
 どうかあさましい女とお笑いください」

 女にはどうしても放したくない手があった。
 だからそれを必死に掴んでいた。ただそれだけのこと。
 一方で男たちはいったん放した手をふたたび掴めなかった。ほんの少しがんばれば、すぐそこに、届くところにあったというのに。
 渡辺和久、柴崎隆、仁科由香里、三人ともに若かったのだ。どうしようもなく熱くて若かったのだ。
 でもいまならばきっと……。

 そんなことをわたしが考えていたら、じきに泣き止んだ渡辺。恥ずかしそうに「しかし、まさかデビュー作から正体がバレているとはおもわなかったぜ」と鼻をスンと鳴らす。

「あら? わたしもあの人もすぐに気がつきましたよ。だって酔うとあなたが熱心に語って聞かせてくれたトリックや設定が満載だったんですもの」

 由香里の言葉に渡辺は「まいったなぁ」と頭をぼりぼりかきつつ「柴崎が書いた手紙ならお孫さんからたしかに受け取ったよ」とか言い出したものだから、由香里はキョトンとなり「そんなはずは……」と小首を傾げることに。
 これにはベッドの下に潜んでいたわたしもギクリ!
 するとそのタイミングで病室の扉がコンコン。回診の医師が姿をみせる。「柴崎さん、おかげんはどうですか」
 扉が開いたのをこれさいわいと、わたしはおいとますることにした。

  ◇

 各地の祠同士をつなぐ夜の紅葉路をてくてく歩き帰路につく。

「ねえ、生駒、あの二人ってばこれからどうなると思う?」
「さぁて、どうなることやら。えにしはふたたび結ばれたけど、なにせあの渡辺って野郎は筋金入りのこんこんちきだからねえ」

 これにはわたしも「あー」と心配せずにはいられない。
 でもそれが取り越し苦労であったことをわたしが知るのは、夏休みが明けてからである。
 渡辺和久は霧山くんのところに続いてマンション「サンクレール」から引っ越した。
 転居先はもちろん柴崎由香里のところ……ではなくて、彼女が暮らす街。
 やれやれ。この分では落ちつくところに落ちつくまでには、いましばらく時間がかかりそうである。


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