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023 仮面王子、凍えた時間、笛吹きケトル

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 キラキラ王子さまもとい霧山くんの本音に触れたせいか、翌日、学校で彼を見かけるとなにげに視線で追いかけている自分がいた。
 休憩時間のとき。自分の席にて多恵ちゃんとおしゃべりをしながらも、一方でわたしの意識は彼に注がれていた。
 あらためて気をつけて観察してみるとよくわかる。霧山くんが女子に対するときのみならず男子と接するときでさえも、かなり言動に気を配っているということが。
 女子たちにはわかるけど、どうして男子にまで?
 とわたしが内心で首をかしげていたら、髪留めに化けている生駒がこっそり教えてくれた。

「女は男を映す鏡ってね。その逆もまたしかり、なのさ」

 ようは意中の相手が他の誰かさんに夢中になっているのはおもしろくないわけ。
 ほら、たまに女同士でもあるでしょう。「ちょっと人の彼氏に色目をつかわないでよね」とか「だれそれちゃんが彼のこと好きだって知ってるくせに、ひどい」なんていう自意識過剰と誤解と思い込みから生じる理不尽なごたごた。
 文句を言われた側からすれば「はぁ、なんのこと?」「そんなの知ったこっちゃねえよ!」というアレ。
 これはなにも女子同士だけの話ではない。男子の間にもいろいろあるということらしい。
 だから霧山くんは相手にヘンに期待を持たせたり、想いをむやみに刺激しないよう、たくみに振る舞っている。自分が中心となって発生する波紋を極力抑えようとしている。
 その姿がわたしのようなミーハー女子には「とってもスマートで大人」のように映っていたわけだ。
 さながら舞台役者のようであり、そりゃあたしかに洗練された言動でかっこいい。何も知らなければキャアキャア騒ぐのも当然であろう。
 でも舞台裏と演者の本心に触れてしまった今となっては、わたしの目には彼が懸命に自分の役割を演じているように見えて、なんとも切ない。憐れみすらも感じるというのは、さすがに上から目線がすぎるか。
 なんぞと考えていたら、こっちをじっと見ている月野愛理と目が合った。
 ドキリ、もしかして霧山くんを観察していたのがバレた? わたしはあわてて顔をそらす。
 しばらく多恵ちゃんと無駄話に興じてから、こっそり様子をうかがえばすでに彼女はちがう方を向いていた。
 うーん、たまたまだったのかなぁ。

  ◇

 週末、お母さんに頼んで少し早めの昼食をすませてから外出。
 ネコに化けたわたしは家の近所にある生駒の祠から紅葉路へと入る。向かうのは今回のお仕事の重要人物の一人である柴崎由香里、旧姓仁科が住んでいる街。
 場所は故人となっている夫の墓がある山寺からバスで二十分ほどふもとへ下ったところ。
 この街は緩やかな傾斜に沿うようにして築かれている。
 かといって坂の街というほどでもない。ボールを置いたところでろくに転がりもしないだろう。わたしだってネコの姿じゃなければ意識しなかったかもしれない。
 山方面には大きな家の姿が目立つ。旧家という風情のものもあれば、今風の建築も混じっており、どうやら山の手側はお金持ちが集まる高級住宅地という位置づけらしい。
 街中へと進み国道を越えた先からは、いかにも庶民が集うという馴染みの街並みとなる。

 首輪姿の生駒から指示されるままに足を向けて到着したのは、ところどころが苔むしたブロック塀に囲まれた一軒の平屋。
 その気になったら軽く突破できる鉄の門扉。つつましやかな前庭、その地面はちょっぴりジメっとしている。玄関扉はすりガラスの引き戸で、インターホンはカメラ無しのポチっと押すブザー式、軒下には柴崎と書かれた木の表札に裸電球の照明。この分では裏に勝手口とかもありそう。

 玄関先はこぎれいにされているのに、どうにも古ぼけた印象を受ける柴崎家。
 これを前にしてわたしは率直な感想を口にする。

「うーん、懐かしい造りだけど。なんでかな? 妙につつましいというか、薄暗いというか、ものさびしいというか。底冷えがする、みたいな」

 住む分には何ら問題ないけれども、逆にいえばそれだけ。
 空虚というわけではないが、熱が失せてしまっている。もしくは最初からなかったのか。
 そのひっそり具合にわたしは首をひねりつつ、ちょっと雰囲気が渡辺和久の部屋に似ているかもと思った。
 これには生駒も「そうだねえ、まるでここだけ時間の流れからとり残されているみたいだよ」とうなづく。
 もしかしたら柴崎隆と仁科由香里の結婚生活は、お世辞にも恵まれたものではなかったのかもしれない。それは金銭的なことではなくて、つねに暗い影が落ちてずっと日陰の中にいるような……。
 なんとなくわたしにはその原因が渡辺和久、柴崎隆、仁科由香里、ミステリー愛好会の三人組のすれちがいに端を発しているような気がしてしようがない。
 四十年来、古えにしの鬼がらみ。
 その実態をまざまざと見せつけられたようで、わたしはゴクリとツバを呑み込む。
 とはいえいつまでもビビッていてもしようがないので、いざ。

 意気込んでネコ手を玄関扉にかけたら、あっさりカラリと開いた。ふむ、立てつけは悪くないようだ。
 生駒は自慢の鍵開けの技を披露できずにちょっとつまらなさそうだけど、わたしは「しめしめ。こいつはありがたい」とよろこぶ。では、おじゃましまーす。
 が、家の中は静まり返っている。
 おや、留守なのかな。だったらいくらなんでも不用心すぎるだろうに。隣に回覧板でも届けに行ってるのだろうか。
 わたしはあきれつつも玄関から廊下へとそろりそろり。
 するとしばらく進んだところで唐突に「ピーッ」という高音が鳴って、びっくぅ。驚きのあまりぴょんと五十センチぐらいも跳びあがってしまった。
 何かとおもえば台所にてコンロの火にかけられてあった笛吹きケトル。沸騰を報せる合図。だからじきに家人が火を止めに姿を見せるだろうと、わたしはあわてて物陰に身を潜める。
 しかしいっこうにその気配がない。
 音がピーピーやかましい。

「なにか様子がヘンだよ」

 生駒に言われて、わたしもハッとなる。
 いやな予感がしてタタタと駆けだし、すぐさま仏間で胸を抑えて倒れている柴崎由香里を発見した。


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