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013 残る想い、夢枕、重ね化け

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 わずかに開いている玄関ドアから中へ入ると、最初に目にしたのはきれいにそろえて置かれてある靴。
 大きな革靴はお父さんのもの、淡いピンクのスニーカーはたぶんお母さんのもの、その二つにはさまれている小さな靴がきっと智樹くんのだろう。
 おもわずほっこりする。眺めているだけで幸せな気分になれる光景。
 その脇を抜けてこっそりおじゃましまーす。
 まりもちゃんから智樹くんの部屋は二階だと教えてもらい、廊下をそろりそろり抜けて、階段を慎重にのぼってゆく。
 途中、ギシッと大きめな音がしたもので、わたしたちはビクリと固まった。
 しばらくじっと息をひそめる。住人たちが起きてくる様子はない。安心してわたしたちはふたたび動き出す。
 智樹くんの部屋の前まできたところでわたしはネコ耳をぴくぴく。室内の様子をうかがうと穏やかな寝息が聞こえてくる。
 それを確認したところでようやく生駒が「いい考え」とやらを口にした。
 しかしそれはわたしの想像なんてまるでおよびもしない方法であった。

  ◇

 自室のベッドで寝ていた智樹くん。
 頬を撫でるやさしい感触に、ハッとして目を覚ます。

「まりも、まりもなのっ! よかったー。急にいなくなっちゃったから、ずっと心配してたんだよ」

 枕元にちょこんと座り「にゃあ」と鳴く黒と黄と白のぶち。
 産まれたときからずっといっしょ。実の姉と弟のように暮らしてきた愛猫を智樹くんはやさしく抱きしめ、そのぬくもりを存分に堪能する。
 交通事故死によりとっくに霊体となっているはずのまりもちゃん。本来ならば姿をあらわすことも触れることもかなわないはず。なのにどうしてこんなことが可能なのかというと、それこそが生駒の秘策のおかげ。
 ネコへと化けているわたし。その体にまりもちゃんの魂を憑依させることで、さらに化ける。これぞ「重ね化け」なる秘技。
 体を貸しているわたしとしてはフード付きの厚手のコートを頭からすっぽり羽織っているみたいな感覚。密着しているせいか、まりもちゃんの中にある智樹くんへの想いが伝わってくる。とってもぽかぽかしておりぬくぬく。同時に頭の中に流れ込んでくる映像の数々。それらは智樹くんとまりもちゃんが過ごしてきた時間。

 まだ赤ん坊の智樹くんがグズるたびに、まりもちゃんが近寄っては尻尾であやしている。
 智樹くんが夜泣きするたびに、お母さんといっしょになって様子を見にいくまりもちゃん。
 ハイハイを覚えた智樹くん。しゃかしゃか危ないところへと行こうとするたびに、我が身をていしてそれを防ぐまりもちゃん。
 はじめて智樹くんが発した言葉が自分の名前だったことによろこぶまりもちゃん。
 歩きはじめた智樹くんが転びそうになると、それとなく側に近寄って支えとなるまりもちゃん。
 熱を出して寝込んでいる智樹くん。その枕元で心配そうに看病しているまりもちゃん。
 水はあまり得意じゃないのに、庭のビニールプールで遊ぶ智樹くんに付き合うまりもちゃん。
 遊びつかれて昼寝をしている智樹くんと寄り添い眠るまりもちゃん。
 智樹くんが好奇心にかられてコンセントの穴に指を突っ込もうとするところを、ネコパンチで叱るまりもちゃん。
 友だちとケンカをして泣きながらむくれている智樹くん。その背中にくっついて慰めているまりもちゃん。
 何度も転びながらがんばって自転車に乗れるようになった智樹くん。その後ろに一番最初に乗せてもらって風になれたことをうれしがるまりもちゃん。

 どれもこれもキラキラしており、とってもあたたかい。
 想いがあふれている。
 愛しい想いがあふれている。
 とめどもなくあふれている。

  ◇

 気がついたとき、わたしは大きなタコの滑り台の中にいた。
 智樹くんの家の近所の公園である。あれ?

「おっ、起きたか結。ごくろうさん」

 よくやったとねぎらってくれる生駒。

「ごめんなさいねえ。結さんにはずいぶんと無理をさせてしまったみたいで。でもありがとう。おかげできちんとあの子とお別れができたわ。これで心おきなく猫嶽での修行に臨めます」

 まりもちゃんから深々と頭を下げられてわたしはあわてて跳び起きる。「いえいえ、めっそうもない」とつたないおじぎを返す。だってわたしの中にはすでに彼女への尊敬の念が深く刻みこまれていたから。
 一心に誰かを愛する。それはとてもすごいこと。
 交通事故による別れは悲しいけれども、それでも彼女は精一杯に己が猫生をまっとうした。そしていま、さらなる高みへと至ろうとしている。
 ネコだとか人間だとかは関係ない。本当にすごい女性だ。わたしは彼女を心の底から尊敬する。そしてその生きざまに憧れる。羨ましいとも思う。
 しかし一番の見せ場を見逃したのは痛恨の極み。
 どうやらまりもちゃんの大きな愛の奔流に呑み込まれて、すっかりメロメロになったのが原因っぽい。
 あのとき感じたぬくもりがまだ胸の内に残っている。
 手を当てるとじんわりあたたかい。これがしあわせの感覚なんだ。なんてステキなんだろう。心地よいドキドキがとまらないや。

  ◇

 わたしたちはまりもちゃんをぽんぽん山へと無事に送り届けると、帰路につく。

「なんだか愛ってすごいね」

 テクテク夜道を歩きながらわたしが素直な心情を吐露すると、首輪の姿になっている生駒がくつくつふるえて「なまいってらぁ」と笑う。

「肉体ってのはいろんなものから魂や心を守ってくれるけど、その分いろいろと不自由なこともあるのさ。本来ならば誰もが見えるはずのものが見えにくくなるし、触れられるはずのものにすらろくすっぽ触れられなくなっちまう。
 結もまりもの想いに触れて感じただろう? あれと同じことができりゃあ、世の中、一発で平和になるんだがねえ」

 そんな生駒の話でもって、ようやく一つ目のお仕事が終了。
 さて、家に帰ったら少しでも休んでおかないと。
 なにせ陽はまた昇り朝がきて、今日という一日が始まるのだから。

  ◇

 これは少しあとのこと。
 わたしがクラスメイトの真田くんの妹である萌咲ちゃんから聞いた話。
 暑い夏が過ぎて秋となりかけた頃、二年生は遠足でぽんぽん山へと行った。
 みんなふぅふぅ汗だくになりながら、がんばって頂上を目指す。
 そろそろゴールが見えてきたところで、子どもたちがぴょんぴょん跳ねるのは、この山の名前の由来を知っていたから。
 しかしちっとも音が鳴らないので、すぐに「なぁーんだ」とやめてしまう。
 そんな中にあって、ある男の子がやってみると「ぽん」と足下から音がした。
 その男の子は薮田智樹くん。みんなが「すげえ、すげえ」と興奮しているのを横目に、涙ぐむ智樹くんが「約束、ちゃんと守ってくれたんだ」とつぶやいたという。
 この話を聞いて、それが誰との約束だったのかを知るわたしもちょっと涙ぐんでしまった。
 かくして想いは残り、えにしはつむがれてゆく。


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