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058 都市伝説
しおりを挟むすぐに北朴鎮病院を退院できた千里。
これに遅れること二日(院外の時間換算にて)、一期も戻ってきたものの、青年は「……迷惑をかけた。次は負けない」としか言わない。
第四幕での敗北は、あくまで自分が不甲斐ないせいだとし、言い訳しないのは立派だけれども。
あいかわらず一期はぶっきらぼうにて、必要なこと以外はほとんど口にしない。
一期の過去について、ほんのさわり程度だが知ってしまったこともあって、千里はどうにも気まずい。
以前よりもむしろ心の距離が開いたような気がする。
さりとてデリケートな問題ゆえに、おいそれとは踏み込めず……
ここのところ、千里はずっとモヤモヤしている。
そのため授業にもちっとも身が入らない。
すっかり上の空にて、ノートの端っこに落書きなんぞをしている。
「こら、チーリーちゃーん、授業中もぼんやりして、いったい何をしてるのかとおもったら……、それってロレーヌ十字? ジャンヌ・ダルクの」
背後からひょいと覗き込みながら、そう声をかけたのは麻衣子であった。
とっくに授業が終わって休み時間になっていた。
声をかけられて、千里はぴくり。
とくに意識することなくペン先を走らせていたら、いつの間にやら一本の縦棒とそれに交差する二本の横棒からなる、複十字をいくつも描いていた。
星華が手にしていたレイピア、そのナックルガードにあった模様。
だがジャンヌ・ダルクと言われて、千里は首を傾げる。
いや、もちろんいかに世界史の成績が奮わない千里とて、その名前ぐらいは知っている。
オルレアンの乙女……
神の啓示を受けてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争に参戦し勝利を収め、占領されていた都市をいくつも解放、のちにフランス王シャルル7世の戴冠を成功させた人物。
ただし、その末路は悲惨だ。
イングランドの捕虜となり、異端審問にかけられ、わずか十九歳で火刑に処されてしまう。
没後二十五年を経て、名誉は回復されてフランスの守護聖人の仲間入りをしたが、当人からしたら「ふざけんな!」であろう。
そんなジャンヌ・ダルクの象徴がロレーヌ十字であったと、麻衣子が得々と語る。
ベルサイユのばらのマンガの大ファンである麻衣子は、その延長でフランスを中心にした中世ヨーロッパの歴史にもけっこう詳しかったりする。
友人の話にフムフムと適当に相槌を打ちつつ、千里が想い浮かべていたのは星華が手にしていたレイピアのこと。
あれは魔剣――その正体はルイユ・クロイスだ。
彼もまた一期と同じく剣の化生。
そのナックルガードには、たしかにロレーヌ十字の紋章が刻まれてあった。
だたし、ざっくり斜めに切り裂かれていたけれども。
その気になれば直せたはず。
なのに紋章を傷つけたまま、あえて放置している。
明確なる拒絶、叛旗を感じずにはいられない。
そして十字架といえば神をあらわすもの……
「……そのわりには、あの人ってば神父さんの格好をしているんだよねえ」
千里はぼそり。
あの一期が「得体が知れない」とずっと警戒している相手。
もしも本当に敬虔な信徒ならば、あんな傷を放っておくわけがないはず。
だとしたら、アレはいったい……
「ん? チリちゃん、いまなにか言った」
「ううん、ごめん、なんでもナイ、続けて」
千里は慌てて手を振り誤魔化す。
さらにウンチクを披露する麻衣子。
にしても……長い。
よくもまぁ、次から次へと出てくるものだ。
いい加減、千里がげんなりし始めたところで、麻衣子が気になることを口にした。
「でね、ジャンヌ・ダルクといえば、じつは面白い話があるんだ」
「面白い話?」
「うん、彼女の愛用していた聖剣があるんだけど、長いことその存在自体が疑問視されていたんだ。でも、じつは本当に実在していたんじゃないかって都市伝説があって……」
この話を聞いた瞬間、千里はハッとする。
が、すぐに首を振り「さすがに、まさかねえ。いくらなんでもありえない」と自分の思いつきを否定したところで、ようやく次の授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
麻衣子はまだまだ語り足りないといった感じだが、千里はやれやれ。
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