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013 仁の章、終局
しおりを挟む勝敗は決した。
「そんなぁ、あんなに苦労したのに」
千里はガックシうなだれる。
だが、隣に立つ一期はまだ身構えたまま、気を抜くどころかより警戒を強めており、祭壇のところにいる男をじっとにらんでいる。
男は長身だ、一期より頭ひとつ大きい。
柔らかそうなブルネットの髪、二十代半ばぐらいの白人男性。
温厚そうな雰囲気、大人の余裕とでもいおうか。柔和な笑みをたたえ、これまた端整な顔立ちをしている。
神父の格好をしているが、もちろん本校教会の者ではない。
というか、この場にいる時点で人間ですらない。
だが何よりも目を引いたのは、その瞳。
左右の色が異なっている、オッドアイだ……猫以外では千里もはじめて見る。
そんな男を一期はずっとねめつけたまま。
「おや、彼には随分と嫌われてしまったようですね」
男は肩をすくめ苦笑しつつ、視線を横に動かした。
吸い込まれそうな神秘的な双眸を向けられ、千里はドキリとする。
「では、あらためまして。こんにちわ、可愛らしいフロイライン。
私はルイユ・クロイス、以後お見知りおきを」
丁寧なお辞儀、だけどちょっと仕草が大袈裟で芝居がかっている。
それでも絵になっている。自分でわかってやっているとしたら、相当の食わせ者だ。
釣られて千里が「どうも」ペコリ頭をさげると、ルイユはニコリとの笑みにて「ところで」と言った。
「のんびりしていてよろしいのですか? じきに大禍刻が明けてしまいますよ」
旗合戦はチェックポイントを巡るオリエンテーリングのような競技、五番勝負にてクリアタイムの勝星で優劣を決める。
各ポイントを通過し、旗役の乙女の腕輪の水晶に証となる文字を刻まねばならない。
いわば腕輪がスタンプカードで、珠の文字がスタンプの代わりだ。
そしてこれが勝負を続ける最低限の条件でもある。
もしも文字を獲得できなければ失格となり、旗合戦はそこで終了となる。
ハッとして、千里が慌てて祭壇の方へ駆け寄ろうとするも一期に止められた。
一期はルイユのことを微塵も信用していないのだ。
先の蜘蛛女の襲撃のこともある。のこのこ近づいたところを、背後からいきなりグサリとか、危害を加えられる可能性を警戒してのことであろう。
するとルイユは両手をあげた。自分は何もするつもりがないことをアピールしつつ、ゆっくりと壁際まで身を退いた。
「安心してくれていい。少なくとも、いまはまだ彼女に危害を加えるつもりはないよ。
せっかくの三百年ぶりの祭りなんだ、もっと楽しまなきゃねえ。
えーと、こっちの言葉では……たしか『もったいない』と言うんだったかな?」
ルイユの言葉にウソはなさそうである。
千里が一期を見ると、彼は小さくうなづいた。
だから千里は一期に守られつつ、マリア観音像のもとへ。
でも、そこから先がどうしていいのかわからない。
千里がまごまごしていると親切にもルイユが教えてくれた。
「腕輪のある左手で像に触れてごらんなさい」
言われるままに、そっと触れてみる。
とたんに腕輪がぼんやり光って、五つの珠のうちのひとつに青い炎が灯り、やがて仁の文字が浮かびあがった。
◇
大禍刻が終わり、凍えていた時がふたたび動き出す。
とたんに空気が変わった。
様々な音が一斉に甦る、校内に喧騒が戻った。
静から動へ、急激に変わる世界。
頭では理解していても心が追いつかない。
「では、いずれまた会いましょう」
ルイユは礼拝堂をあとにする。
星華もそれに続く、千里をジロリと一瞥し無言のまま去ってしまった。
あとに残されたふたり、千里がまだ呆けているうちに今度は一期が腰をあげる。
「さてと、俺もそろそろ行く。他の生徒に見つかると面倒だからな」
別れ際、一期がどうしてあれほど彼を警戒していたのか、そのわけを教えてくれた。
「あいつは……ルイユにだけは、けっして気を許すな。そもそもの話、今回の旗合戦を言い出したのはヤツなんだ」
「えぇーっ! そうだったの」
彼こそがことの発端、元凶であった。
驚くばかりの千里に一期が念を押す。
「とにかく胡散臭くて得体が知れん。いちおうルールでは大禍刻以外での余計なちょっかいは禁じられているが、とにかく用心しろ。
あー、それから先に謝っておく。
……すまん。じゃあな」
「えっ、急に謝ったりして何? 気持ち悪い。ねえ、ちょ、ちょっとってばぁ」
言うだけ言うと一期はさっさと行ってしまった。
首をひねりつつ千里も屋上に戻ることにする。
その途中、こわごわと中庭に立ち寄ってみるもキレイになっていた。
渡り廊下も崩落していないし、戦いの痕跡なんぞは微塵もなかった。
もしかしたら大禍刻内で起きたことは、現実世界ではリセットされるのかもしれない。
いつの間にやら腕輪も消えていた。旗合戦の時だけ着装する仕様なのか。
なお一期の謝罪の意味を千里が知ったのは、翌日になってから。
朝から激烈な筋肉痛に襲われた。
一期の遣った憑依という技の反動だ。
かつて味わったことのない痛み、酷使された全身が悲鳴をあげる。
千里は自室のベッドのなかで悶絶した。
「あんぎゃー!」
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