白き疑似餌に耽溺す

月芝

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035 罹患(りかん)

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 昭和六十年の春から秋へとかけて日本中を震撼させたのが、パラコート連続毒殺事件であった。自動販売機の取り出し口に除草剤を混ぜた飲料を置いておき、取り忘れと勘違いした人がそれを口にして被害に遭うという手口にて、十三人もの人が亡くなった。
 昭和五十年代には、似た手口による青酸コーラ殺人事件も起きている。

 十七世紀のイギリスで起きた連続怪死事件。
 メアリー・アン・コットンという女性の周辺で不可解な死が相次ぐ。夫や夫の家族、夫との間にもうけた子どもたちが次々に亡くなり、その都度、メアリーは保険金を手にしている。
 メアリーの四人目の夫は、結婚後、わずか一年で死去。夫の連れ子や夫の姉のみならず、下宿人をも立て続けに亡くなり、メアリー以外の一家が全滅する。
 使用された毒物は砒素にて、同様の手口にて推定二十一人、最低でも十五人は殺めたとされ、英国屈指の殺人鬼として彼女は名を馳せ、死刑判決を受けて処刑された。

 平成九年にカルト教団が起こしたヘブンズゲート事件では、毒による集団自殺にて三十九人もの命が散った。

 七十年代から八十年代にかけて、六十人以上もの乳幼児を殺したジョニーン・ジョーンズは准看護師であった。連続殺人を犯す医療従事者をヘルスケア・シリアルキラーという。専門的知識に長けており、知能も高く、なおかつ死が日常的に混在する職場ゆえに、事件が発覚するのが遅れる傾向があるがゆえに、犠牲者数もぐんと増えがち。
 一定の年数を経て保管義務が消失し、病院側がカルテなどの記録を破棄しているケースも多く、ジョニーン・ジョーンズが殺めた実際の数は、もっと多いかもしれないとされている。

 十九世のオランダで毒殺を繰り返したのは、マリア・スワネンブルクである。
 表向きは良き隣人を装い、赤子や老人や病人の世話を率先して行い、地域に愛されていた。だが、その裏で砒素を用いては多くの人を殺めていた。
 彼女が最初に殺したのは自分の両親である。保険金や遺産目当てに、百人以上もの相手に砒素を盛り、亡くなったのは二十三人。ただし、マリアの周囲で起きた不審死は九十件にもおよぶ。

 ヘルスケア・シリアルキラーとして悪名を轟かせているのは、アイルランドで開業医を営んでいたジョン・ボトキン・アダムスである。
 医師として自分が受け持った患者を百六十人ほど殺害したとされている。
 うちそのほとんどから遺贈という形で多額の金品を得ている。
 しかしこの男、罪に問われることはなかった。疑惑の医師としてうしろ指を差され続けるも、殺人の罪で裁かれることはなかった。

 ナジレヴのエンジェルメーカーは第一次大戦の悲劇の裏で、ハンガリーにて暗躍した組織である。
 とはいえ、その組織が発足されるに至ったのは、当時の歪んだ男尊女卑思想と、封建的な制度、土地の因習などが原因であった。
 暴力的かつ横暴な夫から妻を救うために、村の助産婦が家庭問題に悩む女性に砒素を与えたのが始まりだったと言われている。
 その助産婦は、当時売られていた蝿とり紙を煮詰めることで砒素が抽出できることを知っていたのだ。
 じきに殺害対象は夫から姑、隣人、家族などに波及していく。
 告発を受けて、首謀者がみずから毒を呷って亡くなるまでに毒殺された数は、推定で三百人を超えるという。

 人民寺院なるアメリカのカルト集団では、発足当初こそは人種差別を否定し、平等主義を掲げ、家族や集団を大切にする社会主義に近しい思想であったのだが、この手の宗教団体にありがちにて、途中からおかしくなっていく。
 偏った思想と、極端な傾倒、権力集中によって、カルト化が進行し、ついには昭和五十三年に信者らが集団自決を決行した。
 九百十八名もの人々が一斉にシアン化物を呷る。
 なお亡くなった人たちのうちの、二百七十六名は年端もいかぬ子どもや乳幼児であった。

 化学物質サリンを散布する無差別テロにより、禁忌を犯したとされるのは平成七年に起きた地下鉄サリン事件である。
 死者数こそは十三人ながらも、負傷者数は六千三百人を超えており、たんなる事件ではなくてテロとして認識されている。

  ◇

 健斗は読みかけのページにしおりを挟み、そっと本を閉じた。
 読んでいたのは「毒殺の歴史」という本である。房江さんが所蔵していた書物のうちの一冊だ。
 自分でも扱うようになって興味を覚えた健斗は、この本を手に取った。
 にしても人類と毒の歴史のなんと古いことか。

 古代では狩猟の道具として、時代が進みエジプトやらローマの頃になると、毒を用いた暗殺が盛んになり、以降は権力者の周囲につねに毒がつきまとう。
 戦争などでは、井戸に毒を放り込んで使えなくすることもあった。
 十四世紀以降のルネサンス期になると、毒殺文化がいっきに花開き、大衆にも根付いて、殺しの手段として、すっかり定着する。
 嘘かまことか、毒にまつわる懺悔のあまりの多さに教会の僧侶たちが「いい加減にしてくれ!」と辟易していたそう。そんな教会内部の権力争いでもまた毒が使われていた。

 もちろん権力者や施政者たちも、座してこの事態を見過ごしていたわけじゃない。
 それはもう厳しく取り締まり、何度も禁じる布告を出し、市井から毒の根絶、あるいは完全なる制御下に置こうとした。
 だが無理であった。
 どれだけ叩こうとも、追い払おうとも、気づけばもとに戻っている。
 毒は人と共にあり。まるで影のようにつねにつきまとっては、当たり前のように存在している。
 かくして人類は毒という病に罹患(りかん)してひさしく、いまだ根治は遥か遠く……

「ふぅ、毒殺は癖になる……か。たしかにそうだね。手軽だし、刃物みたいに直接手を下すわけじゃないから罪悪感がちょっと薄い、かも?」

 本を棚に戻しながらの独り言。
 でも、その時、健斗はふとこうおもった。

「そういえばアレは毒とかどうなんだろう」と。

 叩けば青あざがつくし、切れば血が流れる。
 でも毒はまだ試したことがなかった。
 せっかくだから試してみようか。
 気まぐれに思い立った健斗は、蔵の地下室へと向かった。


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