白き疑似餌に耽溺す

月芝

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029 罠猟

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 準備を整え終えた健斗が家の前で待っていると、バイクのエンジン音がどんどんと近づいてくる。
 手にした双眼鏡を覗く、桐谷陽太であった。
 ハーフキャップのヘルメット、ゴーグルを着用していてもわかったのは、顔に滲み出る獰猛さ。
 その様子を確認するなり、健斗は双眼鏡を放り出した。
 相手から自分のことがわかる距離を見計らい、わざとあたふた、慌てた風を装う。
 きっと陽太の目には健斗が怯えて逃げ出したかのように映るだろう。
 健斗は家の脇を抜けて奥地へと通じる小路へと移動する。

「オフロードバイクだったら少し面倒なことになったけど、あれなら問題なさそうだ」

 あのタイプのバイクだと、舗装されていないぬかるんだ道では、たいして速度を出せない。
 追いつかれる心配がないと判断した健斗が、悠然と向かっていたのは畏御山の方であった。

  ◇

 前方にて動く小さな人影――
 それを発見したとたん、桐谷陽太はにへらと顔を歪めた。
 警察の手が回っているかもしれないので、高速道路は使えない。
 だからずっと下の道を遮二無二にバイクを走らせ、ようやくここまでやって来た。
 ぶっちゃけ飼部健斗が自分をハメたのか、事の真偽はもはやどうでも良くなっていた。行方不明である彩子や腹の子のことなんぞは、はなから眼中にない。
 陽太の中に満ち充ちていたのは、妬みや嫉み、怒りに憎しみなどがごちゃまぜになった負の感情である。
 勝ち組であったはずの自分がこんな目に合っているというのに、産まれながらの負け犬であったはずの、惨めな寝取られ男が莫大な遺産を貰って悠々自適に暮らしている。
 そんなのは絶対に許せない、認めない。
 どうにもむしゃくしゃして腹の虫がおさまらない。

 陽太は大学の構内で、はじめて飼部健斗を見かけた時から気に喰わなかった。
 ひとりだけ悲壮感を漂わせ、さも自分は一生懸命に真面目に生きています。頑張っていますという態度が、どうにも鼻についた。
 だから恋人を寝取ってやった。
 悪い噂を広めて周囲から孤立するように仕向けた。
 負け犬の烙印を押して、どん底に叩き落としてやった。
 だというのに――

「底辺のクソ虫ならクソ虫らしく、惨めに地べたを這いずり回ってればいいものを。こうなりゃあ、てめえも道連れだ。ぶっ殺してやるっ!」

 無茶苦茶な理屈だが、それゆえの狂犬である。
 獲物を見つけた陽太は喜色を浮かべては舌舐めずりにて、ブルンとアクセルを吹かせた。逃がさない。あとを追う。
 健斗が消えた方へとハンドルを切り、屋敷を支える石垣を横目に進む。
 蔵持ちの家の威容を前にして、陽太はいっそうの怒りを滾らせる。
 いつのまにやら逆転していた立場、それをまざまざと見せつけられたような気がしたからだ。

「いっそのこと家に火でもつけてやろうか。……いや、待てよ。だったらしばらく隠れ家として使った方がいいな。うん、それがいい、そうしよう」

 なんぞと身勝手なことを考えつつ、バイクを駆っていたのだけれども。
 しばらく進んだところで急に視界が激しく上下し、ハンドルが暴れ出したもので陽太は慌てた。
 悪路に入り込んだせいだ。
 でこぼこの山道、ぬかるみにタイヤがとられる。後輪が泥にめり込む。抜け出そうともがけばもがくほど深みにはまる。大型バイクの重量が仇となったのだ。これではせっかくの馬力が発揮できない。
 ばかりか、危うく立ちゴケしそうになったもので、陽太は舌打ち。

「ちっ、ここまでか」

 バイクを停めて、陽太は徒歩に切り替える。手にはもってきたバールが握られており、腰のベルトのホルダーにはサバイバルナイフの姿もあった。

  ◇

 背後から聞こえていたエンジンの音が止んだ。
 桐谷陽太がオートバイでの追跡を諦めたのだろう。
 健斗はやや歩くペースを早める。相手も徒歩となったからには、むしろ追跡スピードが上がると考えたからだ。
 その時のことであった。

「か――い――べ――――。いま、ぶっ殺しに行くからなぁ――――っ!」

 陽太の恫喝が山間部に木霊する。
 威嚇のつもりであろうか。あえて大声を出すことで、こちらを竦ませるつもりなのだろうけれども、健斗はまるで動じない。
 以前はただ一方的に傷つけられるだけであったのだが、いまの健斗は違う。
 オイヌサマという人知を超えたモノ、真の闇を知り、世の裏側に触れ、その領域に足を踏み入れた健斗は、房江や阿刀田らと同じく解脱者となりつつある。
 ゆえに矮小なる存在に怯える道理がない。アレとの暮らしのさまたげとなる邪魔者を排除するのに迷いがない。

 健斗はちらりと背後を一瞥してからは、二度と振り返ることはなかった。
 背負った荷物を持ち直し、黙々と足を動かし続ける。
 柔らかい地面の箇所を踏みしめ、わざと自分の足跡を残すのも忘れない。
 すでに狩りは始まっている。


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