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011 拾いもの
しおりを挟む房江さんが日誌に記していた「畏御山から拾ってきたもの」の正体がようやく判明した。
そして健斗は理解した。
アレがあったからこそ、房江さんは頑なにこの地を離れようとはしなかったのだと。
だがそれも無理からぬことだと思う。なにせ健斗もまたひと目見るなり、すっかりアレに魅了されてしまったのだから。
興奮し夢中になるあまり寝食を忘れた。
気づけば健斗は蔵の地下室にて一晩中、アレと過ごしていた。
「いけない……社の掃除をしないと……」
ゆらりと立ち上がった健斗は、後ろ髪をひかれ何度もふり返りふり返り、ようやく地下室をあとにする。
◇
いまだに慣れぬ新居の天井を眺め、健斗はぼんやりしていた。
日課の社の掃除をすませ、機械的に口の中へと食べ物を流し込み、シャワーを浴びたところまではなんとなく覚えている。おそらくはそこで力尽きて、リビングのソファーに倒れ込んだのだろう。
小窓から差し込む陽射しが茜色になっている。
一日を無為に寝て過ごしてしまった。
なんともだらしないことだ。あくせく暮らしていた頃からはとても考えられない。
「ふふふ」
急に笑いがこみ上げてきて、健斗は体を小刻みに震わせた。
家の片づけ? 周辺の地理の把握? やるべきことリストの作成?
そんなこと、もうどうでもいい。
大切なのは社とアレの管理だけだ。あとは心底どうでもかまわない。
「あっはははは、最高だ。最高だよ、房江さん。あなたはなんて素敵な女性なんだろう。あんなサプライズプレゼントまで用意しておいてくれただなんて! 僕を裏切ったあのクソ女とは大違いだ! 本当にありがとう!」
健斗は喜色を浮かべ、房江さんに心からの感謝を述べた。
ひとしきり笑い手足をバタバタさせては、感情の赴くままに謝辞を述べ、ようやく落ち着きを取り戻したところで、ふと目に入ったのはテーブルの上に置いてあったスマートフォンである。
少し前まではまるで憑かれたかのように、こまめにチェックしていたものであるが、この家に来てからは持ち運ぶのが億劫になって、手元にないことがじょじょに増えている。
なにげに画面をチェックする。
すると知らない番号からの着信履歴があった。それも何件も続けて。
昏々と寝入っていたもので、ちっとも気づかなかった。
「にしても十件以上もって、多いな。……なにかのセールスかな?」
不動産や投資などのセールス電話がかかってくることはたまにある。
健斗は基本的に知らない番号からの電話は無視する。あんまりしつこいようならば着信拒否にするのだが――
ずっと寝ていたせいか、喉が乾いていた。
健斗はスマートフォンを放り出し台所に向かう。
喉を潤すついでに早めの夕食を済ませると、健斗はすぐに蔵の地下室に潜った。
◇
昼下がり、縁側に腰かけ、湯飲み片手に健斗は「ほぅ」と吐息を零す。
この家の前庭には躑躅(つつじ)に梔子(くちなし)、椿(つばき)、山茶花(さざんか)、金木犀(きんもくせい)、沈丁花(じんちょうげ)などが植えられており、年中季節の花が愉しめるようになっている。
いまは白い花が満開だ。梔子が見頃を迎えている。
ときおり優しい山風が吹く。とたんにどこか南国をおもわせる甘くてほんのりスパイシーな香りが鼻孔をくすぐった。
日に日に陽射しが強くなっている。
空にかざした手、その腕がずいぶんと青っ白くなっている。ほとんど家に篭りっぱなしのせいとはいえ、ここまで急激に変化するものかと健斗はちょっと驚いた。以前はアルバイトと学業に追われて、肌のことなんて気にもしていなかった。
「紫外線がお肌の大敵ってのは本当だったんだな。そりゃあ、世の女性たちが目の色を変えて日焼け止めクリームをぬりたくるわけだ」
じきに本格的な夏が来る。
大学はそろそろ前期テスト期間に入るはず。ふだん遊び惚けているツケがまわって苦労していることだろう。
比べて自分のいまの暮らしはどうだ?
ちょっと愉快にて、健斗はくつくつ肩を震わせた。
不意にピシャリと水が跳ねる音が聞こえた。
この前庭の隅には小池がある。水が緑色に濁っており、何が潜んでいるのか健斗は知らない。
「金魚でもいるのかな? 餌とかやったほうがいいのかな」
健斗は小池の方に顔を向けながら、ぶつぶつ。
この家にきてから独り言が増えている自覚はある。
ろくに話し相手がいないのは以前とさして変わらない。だが環境がまるでちがう。ここには自分しかいない。外部から隔離されている健斗だけの空間。それが産み出す孤独は、町中のものとは似て非なるもの。さながら無人島にいるかのようである。
誰にも会わないし、誰とも言葉を交わさない。
健斗はいまのところはまだ、さして苦には感じていないものの、合わない人間にはとことん合わない住環境であろう。
地下室でアレを見つけてから、はやふた月が経とうとしている。
ここでの独り暮らしにもすっかり慣れた。
というか、アレを生活の中心に据えることで、かちりと歯車がかみ合ったかのよう。
すべてがうまいこと回るようになった。
健斗の日常は劇的に変わった。
ずっと灰色であった人生が彩りを得て、俄然楽しくなった。それこそ寝るのが惜しいぐらいだ。
朝になると社の世話をし、日中はぼんやり寝たり起きたり、そして日が暮れると地下室に篭る。昼夜逆転の生活。傍目には退屈で単調に見える、変りばえのしないルーティーン。
本当はずっと地下室に篭っていたいのだが、それは控えている。
何事も過ぎるのはよくない。
せっかくのご馳走も続けば飽きてしまう。いかなる名画でもずっと眺めていたら嫌気がさしてくる。あと美人は三日で飽きるだっけか?
でもそれは嘘だ。
なぜなら健斗はちっともアレに飽きることがなかったからである。
それどころか、アレのもとに通うたびに胸が高鳴る、毎回新しい発見があって、より夢中になるばかり。
「こういうのを『沼にはまる』っていうんだっけか。……そういえば、この家の近くにも本物の沼があったはずだけど」
ふと思い出した。
裏山の境内と家を行ったり来たりするばかり。
つい篭りがちにて健斗は周辺の散策はほとんどしていない。
たしか「さおだちの沼」といったか。
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