白き疑似餌に耽溺す

月芝

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006 霧夢

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 奇妙な夢を見た――

 うかつであった。山越えをしているうちに日が暮れてしまう。
 月のない夜、暗い夜道を急ぐ。
 すると狼の遠吠えが聞こえてきた。それに呼応するかのようにして、方々からも同様の声があがる。いくつもの遠吠えが木霊し、山が震えた。
 まだ距離がある。
 だからきっと大丈夫。
 そう己を励まし、懸命に足を動かし続ける。
 気が急いて、駆け出したい衝動がふつふつと湧く。
 でもダメだ。うっかり木の根で転んで足首を痛めたらそこで終わり。
 はやる気持ちを押さえて、一歩一歩、しっかり地面を踏みしめては着実に前へと進む。
 でもしばらくすると奇妙な音がすることに気がついた。

 ひた、ひた、ひた、ひた、ひた……

 自分の足音に混じって妙な音が聞こえる。
 うしろから何かがついて来ている?
 おもわず立ち止まり、振り返った。
 でも何もいない。あるのは森の木々と暗がりだけであった。
 幻聴……、気を取り直してふたたび歩き出す。

 でもしばらくすると、またしても、ひたり、ひたり。
 よくよく耳をそばだててみれば、けっし空耳なんぞではない!
 しかもさっきよりもずっと距離が近づいているではないか!

 悠長なことは言っていられない。
 いきなり走り出す。
 そして手頃な木の幹に跳びつくなり、これを懸命に登り始める。
 てっきり狼に追いつかれたとおもったからだ。
 群れで囲まれたら、人の足ではまず逃げきれない。
 助かるにはこうやって高い処に登り、連中をやり過ごすしかない。
 でも運が良かった。たまさか足をかけるのに手頃な枝や瘤のある木があったもので、助かった。
 必死だった。気づけばかなり高いところにまで登っていた。
 降りるときにいささか骨が折れるだろうが、背に腹はかえられない。
 枝にまたがり、幹にしがみつく。
 ようやくひと心地ついたところで、それは姿をあらわした。

 ひたっ、ずるり、ひたっ、ずるり、ひたっ、ずるり……

 奇妙な音を立てながら長い体を伸び縮みさせては、引きずっている。
 でも、うわばみなんかじゃない。
 なんだあれは? あれはいったい何なんだ?
 つい身を乗り出してしまったひょうしに、枝が揺れて葉が一枚、はらりと散り落ちた。
 しまった!
 かま首をもたげたそれが、こっちを見ていた。
 紅い目が欄と妖しく光り、耳まで裂けた大きな口がにへらと笑う。

 ずるぅり、ずるぅり、ずるぅり……

 それが自分のいる木にまとわりつき、登り始めたもので、慌てて上へと逃げる。
 しかし登るほどに木は先細りしていくばかり。
 ついにはこれ以上進めなくなってしまった。
 恐る恐る下に顔を向ければ、それと目が合った。
 瞬間、ぎゅっと心臓を握り潰さたかのような痛みを覚えた。
 あぁ、どこにも逃げられない。
 絶望がゆっくりと這いあがってくる。

  ◇

 ぶるりと身震い、寒さで健斗は目が醒めた。
 壁掛け時計の針は午前五時五十四分を指している。
 昨夜はリビングのソファーで毛布をかぶって寝たのだが、山間部の朝冷えを舐めていた。
 頭が少し重い、ぼーっとする。なにやら夢をみたらしいのだが、内容はよく思い出せない。ろくでもない夢だったらしく、ひどい寝汗をかいていた。
 寝る前に房江さんの古い日記に目を通したのも良くなかった。
 ぶっちゃけ、ほとんど解読できなかった。
 おそらくは速記というやつだろう。大部分がそれで書かれていたからだ。ところどころ思い出したかのように、日本語の文章が混じっていたものの、それすらも達筆過ぎて難解ゆえに首を傾げることもしばしば。
 それでもどうにかわかったのは、彼女が畏御山という山で何かを拾ってきたらしいことと、それを地下室に運び込んだということ。
 どうやらこの家には地下室があるらしい。

 健斗はソファーから起きると風呂場に向かった。
 昨夜は横着をして入らなかったもので、朝湯をと思い立つ。
 浴槽に湯を張っている間に縁側の雨戸を開けようとしたところ、どっと家の中に流れ込んできたのは霧であった。
 今朝は霧が出たらしい。
 しかし凄い。家の周り一面が真っ白で埋め尽くされている。
 ほとんど何も見えない。圧倒される。
 じきに晴れるのだろうが、霧の中に何かが潜んでいそうでちょっと怖かった。
 健斗はすぐに窓を閉じ、霧の流入を断ち切った。

  ◇

 朝湯を堪能し、湯上りにはテレビを眺めながらトーストとインスタントコーヒーで軽く朝食を済ませる。
 気づけば時刻は午前八時をまわっていた。
 こんなにゆったりと朝を過ごしたことなんて、健斗にはかつてなかったことである。
 窓の外に目をやれば、あれほどあった霧もすでにどこぞに失せていた。

「さて、今日はどうするかな」

 家の中の整理整頓、蔵の探索、家の周辺と地理の把握、寝床の確保などなど。
 そうそう、日誌にあった地下室のことも忘れてはならない。
 やるべきことはたくさんある。
 もっともべつに急ぐ必要はない。だが用事を片付けてしまわないと、喉に小骨が刺さったみたいでどうにも落ちつかない。
 でもここで健斗は肝心な用事のことを思い出した。
 それは相続の条件として提示されていたことである。

「たしか裏山だったか。祀る社があるのって」

 まずは朝の散歩がてら、これから面倒をみる相手の確認をしておこくことに健斗は決めた。


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