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032 大樽と小樽

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 油の入った大樽をたくさん積んでいた軍船。
 ただの油ではない。粘性と燃焼性が増すように調整された品。
 それらがほぼ同時に爆ぜた。
 轟音とともにあがる火柱が天を焦がし、衝撃にて波がうねる。
 四隻が紅蓮に包まれて海が焼ける。

 その光景を旗艦の艦橋から見つめていたのは提督ササノハ。白いあごひげを撫でながら「やれやれ、うまいこと策がハマったか。しかし一隻沈めるのに六隻がかりとはのぉ。とんと割にあわんわい」とぼやく。
 提督の隣に立つ副官が「やった」とつぶやいたのを皮切りに、艦橋内が歓声に包まれる。
 けれどもそれも長くは続かなかった。
 焔の中にゆらめく不気味な黒い影。

「なっ、黒鬼、いまだ健在ですっ!」

 哨戒担当が悲鳴にも似た声をあげる。
 ササノハは「むむむ」とうなり、「こりゃあ、いかん。すぐに脱出した者らを収容せよ。それがすみしだい全艦進路を東へ。作戦を第二段階へと移行する」と指示を出した。

 あわてて東へと向けて一斉に動き出す神聖ユモ国の艦船たち。
 この時点ですでに半数が失われており、戦況はかなり不利とおもわれる。
 対する黒鬼。
 悠然と炎の奥から姿をあらわすも、けっして無傷というわけではなかった。
 鬼の面のようであった船首部分は醜く歪み、ツノは半ばで折れてしまっている。船体横にもへこみだけでなく大きく裂けている箇所もあった。
 だがなおも薄れぬのは身にまとう覇気。
 より凄みを増して黒鬼は泳ぎだす。
 自分をこんな目にあわせた連中へと復讐するために。

  ◇

 神聖ヨモ国の軍船は、昔ながらの帆と櫓の他に、水流式の魔道推進器をひとつ搭載している。
 水流式とは水を吸引して、後方へと勢いよく放つことで進むからくり。
 魔道推進器には他にも風を発生させて帆に受け進む風流式と、外輪を回転させる水車式があって、そちらは主に河船などに使用されている。
 軍船ゆえに、出力は一般のソレとは比較にならない。
 だがこれに輪をかけたのが、黒鬼が搭載している四基の魔道推進器。
 船底に設置されてある可動式水流推進器によって、理論上は全方位に移動が可能。ただし船体に負荷がかかるので、あまり多用はできない。
 船尾に設置されてあるのは三つの水流式。しかし常時動かしているのは二つ。ひとつは補助の役割を果たし、推進器が過熱暴走するまえに切り替えて使用されている。
 けれどもいまはその三つすべてが動いていた。
 逃げる獲物に追いつき、これを喰らい尽くすために!

 一路東へ、逃げる神聖ヨモ国の艦隊。
 背後から白い煙をあげながら猛然と追いすがる黒鬼。
 距離はずんずん縮まっており、もはや時間の問題かとおもわれたとき。
 提督ササノハが「放て」と命じる。
 神聖ユモ国の軍船からばら撒かれたのは、大量の小さな樽たち。
 通常の酒樽の十分の一ほどの大きさで、小物入れに使えそうなかわいらしいもの。
 海面にぷかぷか浮かぶ樽たちが、次々と黒鬼にひかれては、容赦なく蹴散らされ踏みつぶされていく。
 けれどもなかには波のうねりに呑み込まれて、海中に潜り込むものも少なくなかった。
 黒鬼の船底沿いを転がるようにして、後方へと流れていく小樽たち。するりと吸い込まれたのは、水流式推進器の吸引口。
 もちろん外部からの異物混入を防ぐための備えはしっかりされているので、樽がそのまま内部にまで侵入することはない。
 が、ここで小樽がパカンと壊れて中身が散乱する。
 イボイボのついた鉄の玉たち。ひとつひとつが手のひらに収まる程度しかない。しかしその矮小さが推進器内部への侵入を容易にする。
 大量の水とともに呑み込まれた鉄の玉たちが、互いにぶつかり合いながら存分に暴れ、内部をかき回したものだからたまらない。
 黒鬼の三つの推進器はたちまち不調をきたすことになった。

 黒鬼の動きが明らかに鈍りはじめたところで、反転攻勢へと出る神聖ユモ国の艦隊。
 第二の作戦も見事にハマり目標の足を止めることに成功。
 あとは海戦の定石にのっとって制圧するのみ。
 提督ササノハたちがそう考えたのは、ごく自然の流れであった。
 けっして黒鬼を侮っていたわけでもなければ、油断もしていなかった。
 それでもよもや相手が四基もの推進器を持っているとまでは、さすがに考えがおよばなかったのである。
 三つを破壊することに成功するも、残りひとつ。可動式がまだ残っていた。
 それが本海戦の様相を一変させる。

 沈黙している黒鬼へと、慎重に近づきこれを囲もうとしていた神聖ユモ国の艦隊。
 突如、黒鬼を中心にして大量の白煙が発生。
 たちまち視界がほとんど利かない状況へと陥る。
 これは黒鬼の持つ能力のうちのひとつ「隠霧」
 推進器の燃料となる魔晶石を大量に消費する過程で変質した銀砂のような粒子が混じっており、気の流れを乱し認識阻害を引き起こす。この霧の中では哨戒用の魔道具もまるで役に立たない。
 そんな中で自在に動けるのは、「風読み」の才芽を持つ盲目の女海賊レイハイが操る黒鬼のみ。
 霧の奥で影が蠢く。
 黒鬼が歓喜の雄叫びをあげた。


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