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011 黒鬼
しおりを挟むホランに与えられた猶予も、いよいよ残りあと一日となった。
どんより曇り空は、いまだに迷う青年の心模様をあらわしているみたい。
悩めるホランをよそに、海の民ダゴンのみんなは南海を離れる準備におおわらわ。
半分が舟を出し沖合へと漁に向かい食料の調達へ。残り半分が島を引き払う片付けと平行して、せっせと荷造り。
さすがにこんな状況下では、客分に甘んじてひとりのんべんだらりと過ごすわけにもいかず、わたしも率先してお手伝い。
本日はやや風もあり波も高かったので、まだ海に不慣れなホランはヨンドクより居残りを命じられる。
黙々と荷の樽詰め作業を続けているホランは、ずっとムズカシイ顔をしたまんま。
そんな彼の隣にネクタルの姿はない。
ホランの選択を心配するあまり、ずっと物憂げだったネクタルをヨスさんが漁へと連れ出したからだ。海の風に吹かれていれば、クサクサした気分も少しはまぎれるだろうとの配慮。
◇
浜辺にて恰幅のいいオバちゃんの指導のもと、ホランとわたしは干物のイロハを習いつつ、とり込み作業に従事。
隙あらばと狙ってくる海鳥たちとワーキャア格闘しているうちに、いつの間にか風がやんでいた。
あれほど煩わしかったトリたちの姿も何処かへと消えた。
耳をすませても鳴き声ひとつ聞こえてこない。
かわりに潮騒がやかましく、波も少しばかり高くなっているみたい。
霧が出てきて、視界がどんどんと悪くなってきた。
予定では昼過ぎには戻ることになっていた漁組は、まだ帰ってこない。
わたしが案じていると、「心配ないよ。海ではよくあることだから」と恰幅のいいオバちゃんが笑うも、ちらりと見たホランの横顔は真っ青になっている。それどころか小刻みにカラダがふるえてさえいた。
「どうかしたの、ホラン?」
「わからない。ただ、この霧を見ていたら、なぜだか頭の芯が痛んで、カラダがふるえて」
自身の両肩を抱いて、どうにかふるえを止めようとするホラン。しかし意識すればするほどに、ひどくなり、ついには奥歯がカチカチと音を立てるほどになる。
尋常ではない怯え方。とりあえずホランを休ませようとわたしとオバちゃんが動き出した矢先のこと。
帯革内のミヤビが声をあげた。
「チヨコ母さま、あれを!」
言われるままに沖へと顔を向ければ、遠くに流木らしき姿がぽつん。
でも視界が悪くていまいちよくわからない。
そこでわたしは水の才芽を用いた遠見の術を発動する。
両眼をギュッと閉じて涙を絞り出す。瞳に潤いを十分に与えつつ、「視えろ診えろ見えろ、えろえろ」と念を込めてから、まぶたを開けた。
とたんに視界が明々白々。遠くまでもがしっかり視えるように。
で、発見したのは波間に漂う木の葉のような一艘の舟。
それが海の民たちが好んで使用している、細長い大小からなる船体の帆船のうちの一部だとわかった瞬間、わたしは白銀の大剣姿となったミヤビに乗って飛び出していた。
◇
沖に漂う小舟の中にいたのは、ぐったりしている傷だらけのヨスさんであった。
わたしはミヤビに頼んで、小舟を曳航(えいこう)してもらい浜へと連れ帰る。
ヨスさんのカラダの傷は浅いものの、疲労が激しい。どうやら帆が壊されて、櫂のみで島まで戻ってきたようだ。かなりムチャをしたらしく、手の皮がずるむけ。塩水のせいでパンパンに腫れあがってしまっており、痛々しい。
わたしはいそいで自身の才芽の効能を宿した水にて、傷口を消毒し、ヨスさんのノドを潤す。
どうにか息を吹き返したヨスさん。弱よわしい声で伝えたのは「黒鬼が出た。みんな、みんな黒鬼に喰われちまった」という言葉であった。
ここでチカラつきガクリとうなだれ気を失ったヨスさん。
仲間の窮地を報せるためにがんばった彼女。苦悶する寝顔。額に浮かんだ汗を手ぬぐいでやさしく拭いてから、わたしはすっくと立ち上がる。
「ちょっと行ってくる。みんなはヨスさんをお願い」
勇者のつるぎミヤビにお願いして、すぐさまさらわれたとおぼしきヨンドクやネクタルらの救助に向かうことに決めたわたし。
すると黒鬼と聞いてビクリと固まっていたホランがふるえる身を押して言った。
「オレも連れて行ってくれ。オレはネクタルを助けたい」
惚れた女を助けたいとは泣かせる話。可憐な乙女の身ならば、一度は殿方から言われてみたい台詞である。
だがしかし、わたしは首をふるふる。
「悪いけど、それは却下。腑抜けたままのホランじゃあ、まるで役に立たないもの。わたしはいまのあなたに背中を預ける気にはとてもなれない」
ホランの切実なる申し出をにべもなく断ったわたしは、彼がふたたび口を開くのを待つことなく、浜辺から飛び立つ。
目指すは霧の向こうに潜む黒鬼。
さぁ、鬼退治の時間だ!
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