234 / 286
234 帝国の祖
しおりを挟む見上げた空を埋め尽くしていたのは、うす汚れて、ボコボコと盛り上がり、刈られることもなく長いこと放置されたヒツジの毛のような厚い雲。
いまにも降り出しそうな天気。
その日は、朝からなんとなく重苦しい空気にて、いつにもまして気が滅入っていたソレイユ。
意に沿わぬ相手のそばに居る。
いったいいつまでこんなことをつづけなければいけないのか、耐えねばならぬのか。
虚しさばかりがつのり、ココロの内を占めるのはサンのことばかり。
じつは一度だけ、さみしさに耐えかねて夜中にこっそりと抜け出し、彼女のもとを訪れたことがありました。
ニオイを辿れば彼女の居場所はすぐにわかりました。
教会支部の三階、幼女が一人で過ごすには広すぎる部屋にサンはいました。
テラスにそっと降り立ったソレイユ。
窓ガラスをコンコンと叩く。
その音にすぐ気がついたサン。ソレイユの姿を目にするなり、くしゃりと顔がゆがみ、タタタと窓辺に駆け寄ってきた。
けれども彼女は窓を開けてはくれませんでした。
ただ窓ガラス越しに泣きながら「ごめんね」とくり返すばかり。
彼女にはわかっていたのです。もしも開けてしまったら、自分はもうガマンできなくなるということが。
大切な人たちや、やさしい場所を守るために、必死にこらえている。
サンとはそういう子なのです。彼女ががんばるのは、いつも他のだれかのため。
幼子のそんな姿をまえにして、ムリを押し通すことなどできるわけがありません。
すぐ目の前にいるというのに、その温もりに触れられない。
たったガラス一枚の距離が、いまは遠い。
いっそこの窓をやぶり彼女をさらって逃げてしまおうか。でもそんなマネをすれば、きっとサンはソレイユを許してはくれないでしょう。
いまは事態が好転するのを待ち、耐えるしかない。
ガラス越しに手を合わせながら、サンとソレイユはさめざめと泣きました。
あの夜のことを思い出し、ソレイユがいっそう気落ちしていたところに姿をあらわしたのは、自分たちを苦しめている元凶の女。
デアドラに気安く名前を呼ばれるたびに、その指でカラダに触れられるたびに、ふつふつとわいてくるのは怒り。それを押し殺しながら今日もおとなしく彼女につき従う。すべてはサンと彼女の大切なものを守るために。
いつものように白塗りの華やかな馬車にのり込んでの移動。
広すぎる城内、高貴な身はわずかばかりの距離であっても、自分の足で歩くことはほとんどありません。
またぞろパーティーにでもつき合わされるのかと、内心でゲンナリしていたソレイユ。
そんな彼の気も知らずに、一方的に話しかけてくるデアドラ。
「のう、ソレイユ。かつてこんな騎士がいたという話を知っておるか?」
武にすぐれ、忠節を知り、上を敬い、下を慈しみ、仲間に敬意を払う。功を誇ることもなく、また敵を蔑むこともない。驕ることなく、つねに真摯な態度を崩さない。
騎士の中の騎士。
彼は生涯、妻を娶らなかった。なぜなら家庭を持ち、子をなし、家門をかまえると、ココロがそちらに傾いて主上への忠義がゆらぐと考えたから。ほんのわずかでも気持ちがそれることすら彼は許さなかった。どこまでも自分にきびしい男であったという。
いきなりそんな男の話を聞かされて、やや戸惑いを隠せないソレイユ。自分にもそのようにあれと、暗にほのめかしているのでしょうか? しかしそれはムリなこと。なぜならデアドラはソレイユの居場所ではないのですから。
それにしてもデアドラの声が、こころなしかうわずっているだけでなく、少しばかりふるえも含まれている。いつもとはちがう調子にて、そのことを怪しんでいるソレイユの方をふり返ることもなく、彼女はさらに話しをつづける。
「そんな人物が残した言葉が『騎士は二君に仕えず』というもの」
不幸にも大きな戦場にて敗北を喫した主上を逃がすために、敵地に最後まで踏みとどまり、ついには虜囚となった騎士。
その勇名と高潔ぶりは知らぬ者なしにて、相手方の大将は彼を惜しんで自分に仕えないかと勧誘したところ、先の言葉を答えたという。
こうなればしようがあるまい。
なまじ情けをかけては彼の騎士道を侮辱することになると考えた大将は、部下に命じてその首をはねさせました。
信念に殉じ、穏やかな表情にて逝った首をまえにして、大将はなげくようにこう言いました。
「帰るべき場所があるからこそ、ヒトは恋しいとおもい、郷愁にとらわれる。それゆえにあたら偉大な騎士をむざむざと死なせてしまった。ならばどうすればいいのか? かんたんなことよ。壊してなくしてしまえばいい。なくなればもう戻れない。待つ者とていない荒地を恋しいとはだれも思わない。あぁ、わたしは順番をまちがえてしまった」
騎士の名を惜しみ、その武勇を欲するあまり、つい先走ってしまったことを後悔する大将。
彼こそが、きらぼしのごとき古今東西の英傑どもを従えて、のちにアルカディオン帝国の祖と呼ばれることになる人物。
デアドラの話が終わるのにちょうど合わせるかのように、馬車が歩みをとめました。
いつも連れ回されていた夜会や茶会の席とはあきらかにちがう雰囲気を、馬車の外にはやくも感じていたソレイユ。
ですがそこには懐かしくも愛おしいニオイも混じっておりました。
ソワソワしておもわず喜色をうかべたソレイユ。
黄金の水色オオカミを見下ろすデアドラの表情は、窓からの逆光によって陰となりよくわかりません。
もしもそのときの彼女の瞳をソレイユがちゃんと見てさえいれば、あるいは……。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成
先祖返りの姫王子
春紫苑
児童書・童話
小国フェルドナレンに王族として生まれたトニトルスとミコーは、双子の兄妹であり、人と獣人の混血種族。
人で生まれたトニトルスは、先祖返りのため狼で生まれた妹のミコーをとても愛し、可愛がっていた。
平和に暮らしていたある日、国王夫妻が不慮の事故により他界。
トニトルスは王位を継承する準備に追われていたのだけれど、馬車での移動中に襲撃を受け――。
決死の逃亡劇は、二人を離れ離れにしてしまった。
命からがら逃げ延びた兄王子と、王宮に残され、兄の替え玉にされた妹姫が、互いのために必死で挑む国の奪還物語。
悪魔さまの言うとおり~わたし、執事になります⁉︎~
橘花やよい
児童書・童話
女子中学生・リリイが、入学することになったのは、お嬢さま学校。でもそこは「悪魔」の学校で、「執事として入学してちょうだい」……って、どういうことなの⁉待ち構えるのは、きれいでいじわるな悪魔たち!
友情と魔法と、胸キュンもありの学園ファンタジー。
第2回きずな児童書大賞参加作です。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版

昨日の敵は今日のパパ!
波湖 真
児童書・童話
アンジュは、途方に暮れていた。
画家のママは行方不明で、慣れない街に一人になってしまったのだ。
迷子になって助けてくれたのは騎士団のおじさんだった。
親切なおじさんに面倒を見てもらっているうちに、何故かこの国の公爵様の娘にされてしまった。
私、そんなの困ります!!
アンジュの気持ちを取り残したまま、公爵家に引き取られ、そこで会ったのは超不機嫌で冷たく、意地悪な人だったのだ。
家にも帰れず、公爵様には嫌われて、泣きたいのをグッと我慢する。
そう、画家のママが戻って来るまでは、ここで頑張るしかない!
アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか?
どうせなら楽しく過ごしたい!
そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。
忠犬ハジッコ
SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。
「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。
※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、
今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。
お楽しみいただければうれしいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる