233 / 286
233 善の岸辺、悪の彼岸
しおりを挟む『騎士は二君に仕えず』
これは騎士の忠義をあらわす言葉。
主人に終生かわらぬ忠誠を誓い、尽くす。
だがこの言葉には裏の意味もある。
主人が生きているかぎりは、その方に仕える。ただし死んでしまえば別の人物にあらたに仕えても、これは不義不忠にはあたらない。
はじめからそのような意味が込められていたのか、長い歴史の中で都合よく解釈がつけ加えられたのかはわからない。
だけれども、そんな言葉を悩める姫君の耳元にて、まことしやかにささやいた者こそが痴れ者であった。
あるいは麗しい姫の憂いをおびた横顔に、想いを募らせて迷っただけであったのかもしれない。なんとか彼女の歓心を得たいとの、他愛のないおもいつきにすぎなかったのかもしれない。
己が口の発したことが招く結果を、つねに想像しながら言葉を発するのは、とてもムズかしい。
思慮分別に富んでいる政ごとにたずさわる者ですらも、ついつい失言を重ねてしまうことからも、それを責めるのは酷なのかもしれない。
それでも、これがとり返しのつかない悲劇の幕をあけてしまうこととなりました。
ソレイユの黄金の毛並みや、そのうつくしくも凛々しい容姿に惹かれて、半ば強引にサンからとりあげたデアドラは、そこでガマンをするべきでした。
でも彼女はその高貴な生まれゆえに、ガマンということを知りません。
相手のココロをも欲しいとおもってしまったのです。
表面上こそはおとなしく従っているものの、中身をまるでともなわない。
感情の失せた人形。
そんなソレイユの姿が、かえって彼女をイラ立たせるようになっていく。
目の前にいるのに、すぐそばにいるというのに、その瞳はちっとも自分を映すことなく、彼が考えているのはいつも、離ればなれになってしまった幼女のことばかり。
ちっともおもいどおりにならない。
そこにささやかれた先の言葉。
おもいどおりにならないのはサンがいるから。
あの子がいるから彼が自分を見てくれない。
あの子が消えれば、彼は新たな主人として自分を認めてくれるはず……。
デアドラがそんなことを考えはじめていたころ、サンの周囲でもまた動きが起こっておりました。
「くそっ、いまいましい。こちらの苦労も知らずに」
吐き捨てるように言って、手の中の書状をビリビリに破ったのは、帝都の教会支部をまかされている神官長。
書状は教会本部から送られてきたもの。
聖女候補と黄金の水色オオカミの一件が、なぜだが本部に知られており、すぐさま事態を是正するようにとの勧告を受けたのです。
文面こそはていねいなモノでしたが、事実上の厳命に等しい内容。
「姫からあのオオカミをとりかえせだと! そんなこと、とてもできるものか」
アルカディオン帝国は貴族至上主義。
明確なる区別と差別が存在しており、中央に近くなるほど、それがより顕著となっている。
そんな国の中心にいる王族からモノをとりあげることが、どれほど困難なことであろうか。信仰のまえには、よろこんで頭をたれるばかりの連中が住む土地とはちがうというのに。
それにしてもどうして海の向こうにまで、こうもはやくことが伝わったのでしょうか? いったいどこのだれが余計なマネをしたのかと、怒りを抑えつつ神官長はおもいを巡らせます。こういう腹芸ができるからこそ、彼はこのむずかしい地でいまの地位を得られたのですから。
支部内は完全に掌握していますし、貴族どもとて王族からにらまれるようなことはしません。市井に流れる不穏なウワサは耳にしていますが、だからとて都民のだれかが率先して動くともおもえません。
サンはきちんと監視下においており、修行の名目にて教会の敷地内からは、ただの一歩たりとも外には出していないので、外部との接触は不可能。
……となれば、考えられるのはサンが育った村の連中のこと。
おそらくは彼女の親代わりであった老神官が、召喚された前後の時期に、本部と連絡をとっていたにちがいあるまい。
いかに支部全体を把握しているとはいえ、帝国内すべての教会を牛耳っているわけではありません。なかには頑強に抵抗をしめす良識派とよばれる一派もいるのです。
「あの頭でっかちの愚か者どもめ。わしがこうして貴族どもにへつらい、機嫌をとってやっているからこそ、おまえたちが、日々おだやかに女神さまへの信仰が行えているというのに」
なにかといっては盾突く連中に、そう毒づく神官長。
事実、はじめはそのような側面もありました。ですがいまではすっかり権力側にとりこまれて欲にまみれてしまったことには、まるで自覚がないのです。
きれいごとだけで、世の中、どうにかなるものかというのが彼の言い分。
自分がドロをかぶってやっているからこそ、おまえたちは清らかで涼しい顔をしていられるのだと、信じ込んでさえいたのです。
ですがこのままでは、せっかく手に入れた地位を失ってしまう。
己の保身に悩む神官長。
ふと、窓の外に目を向ければ、世話役の神官といっしょに花壇の手入れをしているサンの姿が目に入りました。
「いまいましガキだ。いっそのこと……」
いっそのこと……、何だ?
自分はいま何を考えた?
たしかに彼は欲が深く、地位に固執し、信仰を穢した人間です。
だからとて、このようなおそろしいことを考えるまで、堕落はしておりませんでした。
追いつめられ、窮地に立たされたギリギリの精神状態であるがゆえのこと。
悪魔という存在が、この地の国にてほんとうにいるのかはわかりません。
ですけれども、そのとき、たしかに神官長は悪魔のささやきを聞いてしまったのです。
すぐに耳をふさいで、頭をふり、己の中から追い出せばよかったのです。
でも彼は逆に耳を傾けて、静かにソレに聞き入ってしまいました。
神官長をのせたドロの舟。
ゆっくりと善の岸辺から離れていき、悪の彼岸へと流されていく。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話
忘れられた幼な妻は泣くことを止めました
帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。
そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。
もちろん返済する目処もない。
「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」
フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。
嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。
「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」
そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。
厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。
それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。
「お幸せですか?」
アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。
世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。
古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。
ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。
貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後
空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。
魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。
そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。
すると、キースの態度が豹変して……?
辺境伯へ嫁ぎます。
アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。
隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。
私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。
辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。
本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。
辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。
辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。
それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか?
そんな望みを抱いてしまいます。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 設定はゆるいです。
(言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)
❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。
(出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる