水色オオカミのルク

月芝

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233 善の岸辺、悪の彼岸

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『騎士は二君に仕えず』

 これは騎士の忠義をあらわす言葉。
 主人に終生かわらぬ忠誠を誓い、尽くす。
 だがこの言葉には裏の意味もある。
 主人が生きているかぎりは、その方に仕える。ただし死んでしまえば別の人物にあらたに仕えても、これは不義不忠にはあたらない。
 はじめからそのような意味が込められていたのか、長い歴史の中で都合よく解釈がつけ加えられたのかはわからない。
 だけれども、そんな言葉を悩める姫君の耳元にて、まことしやかにささやいた者こそが痴れ者であった。
 あるいは麗しい姫の憂いをおびた横顔に、想いを募らせて迷っただけであったのかもしれない。なんとか彼女の歓心を得たいとの、他愛のないおもいつきにすぎなかったのかもしれない。
 己が口の発したことが招く結果を、つねに想像しながら言葉を発するのは、とてもムズかしい。
 思慮分別に富んでいる政ごとにたずさわる者ですらも、ついつい失言を重ねてしまうことからも、それを責めるのは酷なのかもしれない。
 それでも、これがとり返しのつかない悲劇の幕をあけてしまうこととなりました。

 ソレイユの黄金の毛並みや、そのうつくしくも凛々しい容姿に惹かれて、半ば強引にサンからとりあげたデアドラは、そこでガマンをするべきでした。
 でも彼女はその高貴な生まれゆえに、ガマンということを知りません。
 相手のココロをも欲しいとおもってしまったのです。
 表面上こそはおとなしく従っているものの、中身をまるでともなわない。
 感情の失せた人形。
 そんなソレイユの姿が、かえって彼女をイラ立たせるようになっていく。
 目の前にいるのに、すぐそばにいるというのに、その瞳はちっとも自分を映すことなく、彼が考えているのはいつも、離ればなれになってしまった幼女のことばかり。
 ちっともおもいどおりにならない。
 そこにささやかれた先の言葉。
 おもいどおりにならないのはサンがいるから。
 あの子がいるから彼が自分を見てくれない。
 あの子が消えれば、彼は新たな主人として自分を認めてくれるはず……。
 デアドラがそんなことを考えはじめていたころ、サンの周囲でもまた動きが起こっておりました。



「くそっ、いまいましい。こちらの苦労も知らずに」

 吐き捨てるように言って、手の中の書状をビリビリに破ったのは、帝都の教会支部をまかされている神官長。
 書状は教会本部から送られてきたもの。
 聖女候補と黄金の水色オオカミの一件が、なぜだが本部に知られており、すぐさま事態を是正するようにとの勧告を受けたのです。
 文面こそはていねいなモノでしたが、事実上の厳命に等しい内容。

「姫からあのオオカミをとりかえせだと! そんなこと、とてもできるものか」

 アルカディオン帝国は貴族至上主義。
 明確なる区別と差別が存在しており、中央に近くなるほど、それがより顕著となっている。
 そんな国の中心にいる王族からモノをとりあげることが、どれほど困難なことであろうか。信仰のまえには、よろこんで頭をたれるばかりの連中が住む土地とはちがうというのに。
 それにしてもどうして海の向こうにまで、こうもはやくことが伝わったのでしょうか? いったいどこのだれが余計なマネをしたのかと、怒りを抑えつつ神官長はおもいを巡らせます。こういう腹芸ができるからこそ、彼はこのむずかしい地でいまの地位を得られたのですから。
 支部内は完全に掌握していますし、貴族どもとて王族からにらまれるようなことはしません。市井に流れる不穏なウワサは耳にしていますが、だからとて都民のだれかが率先して動くともおもえません。
 サンはきちんと監視下においており、修行の名目にて教会の敷地内からは、ただの一歩たりとも外には出していないので、外部との接触は不可能。
 ……となれば、考えられるのはサンが育った村の連中のこと。
 おそらくは彼女の親代わりであった老神官が、召喚された前後の時期に、本部と連絡をとっていたにちがいあるまい。
 いかに支部全体を把握しているとはいえ、帝国内すべての教会を牛耳っているわけではありません。なかには頑強に抵抗をしめす良識派とよばれる一派もいるのです。

「あの頭でっかちの愚か者どもめ。わしがこうして貴族どもにへつらい、機嫌をとってやっているからこそ、おまえたちが、日々おだやかに女神さまへの信仰が行えているというのに」

 なにかといっては盾突く連中に、そう毒づく神官長。
 事実、はじめはそのような側面もありました。ですがいまではすっかり権力側にとりこまれて欲にまみれてしまったことには、まるで自覚がないのです。
 きれいごとだけで、世の中、どうにかなるものかというのが彼の言い分。
 自分がドロをかぶってやっているからこそ、おまえたちは清らかで涼しい顔をしていられるのだと、信じ込んでさえいたのです。
 ですがこのままでは、せっかく手に入れた地位を失ってしまう。
 己の保身に悩む神官長。
 ふと、窓の外に目を向ければ、世話役の神官といっしょに花壇の手入れをしているサンの姿が目に入りました。

「いまいましガキだ。いっそのこと……」

 いっそのこと……、何だ?
 自分はいま何を考えた?
 たしかに彼は欲が深く、地位に固執し、信仰を穢した人間です。
 だからとて、このようなおそろしいことを考えるまで、堕落はしておりませんでした。
 追いつめられ、窮地に立たされたギリギリの精神状態であるがゆえのこと。
 悪魔という存在が、この地の国にてほんとうにいるのかはわかりません。
 ですけれども、そのとき、たしかに神官長は悪魔のささやきを聞いてしまったのです。
 すぐに耳をふさいで、頭をふり、己の中から追い出せばよかったのです。
 でも彼は逆に耳を傾けて、静かにソレに聞き入ってしまいました。
 神官長をのせたドロの舟。
 ゆっくりと善の岸辺から離れていき、悪の彼岸へと流されていく。


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