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119 竜の谷
しおりを挟む赤さび色のドラゴンが空を征く。
金の瞳をカッと見開き、口を開いて、「開門」との言葉を発すると、とたんに目の前に大きな大きな門が出現。
観音開きとなっている扉のうちの右の片側だけが、ゆっくりと開き、その中へと雄々しいツバサが飛び込むと、扉はかってに閉まって、門は淡いかがやきを放った後にかすみのごとく消えてしまいました。
七色の光に満ちた虹の回廊を渡った先、姿をあらわしたのは、ドラゴンが小人に見えるぐらいの巨大な白亜の神殿。
ここは地の国のどこかにあるという竜の谷と外界をつなぐ場所。
神殿に入るなり、赤さび色のドラゴンは声をあげました。
「ウィジャばあさん! ウィジャばあさんはいるかい!」
静かだった神殿内部に響き渡る声。急にさわがしくなって、おっとりと姿をみせたのは、ここの管理を任されている、やや腰の曲がった黄色い老ドラゴン。
「これは、おひいさまではありませんか。何十年も外をふらふらしていた不良娘が、ひさしぶりに顔を見せたとおもったら、なにごとですかな」
「あー、小言はあとでいくらでも聞いてやる。それよりも、いま『竜のしずく』は手元にどれぐらいあるんだ?」
「神殿の納戸に三つと、あとわたしの部屋の棚に、たしか二つほどあったかと。それよりも『竜のしずく』が必要だなんて、どこかおケガでも」
「私じゃないよ。こいつにいるんだ」
そのときになって、ようやくフレイアが大切に抱えている水色オオカミの子どもの存在に気がついたウィジャばあさん。ドラゴンと比べるとかなり小さい体。年のせいですっかり遠くなった目だから、言われるまで気がつけなかったのです。
「おや、水色オオカミですか……、しかも子どもとはめずらしい。それにしてもこれはヒドイ、どれ」
どこぞより取り出した丸眼鏡をかけた老ドラゴン。
じっくりとルクの全身を舐め回すように見つめてから、「これは……、かなり危険な状態です。いかに強力な回復作用のある『竜のしずく』とて、五つではまるで足りませんな。この子はわたしが奥の部屋に運んで、看ておきますので、おひいさまはすぐに谷のみんなのところにいって、かき集めてきてください」
「わかった、ではルクをたのむ」
意識を失ったままのオオカミの子をあずけたフレイアは、すぐさま神殿から、ドラゴンたちが住む竜の谷へと向かいました。
あわただしく飛んでいくその背を見送ってから、黄色い老ドラゴンは神殿の奥へと傷ついたルクをそっと運びます。
「それにしても……、どうやればここまでボロボロになれるのか。外傷も多いが、重傷なのは内部のほう。おそらくはチカラが暴走したのだろうけれども、よくも無事ですんだものだ。ふつうならばその場で体が耐えきれずに、四散してもおかしくないというのに。ほんに強い子よ。これならばきっと」
神殿内部にあるウィジャの自室に運ばれたルクは、彼女が愛用しているカップの受け皿の中に、その身を横たえられました。
受け皿といってもドラゴンが使っているものなので、水色オオカミにしたらかなり広めの浴槽ぐらいもある大きさ。
ウィジャは棚から小ビンを二本もってくると、そのうちの一本のフタを開けて、中身を皿に静かに流し込みました。
少しトロリとした甘い香りのする、シロップにも似た琥珀(こはく)色の液体。
これこそが「竜のしずく」と呼ばれるもの。
門外不出のドラゴンたちの秘薬にして、ものすごい回復力をもったクスリ。さすがに死んだ者は生きかえりませんが、失った手足ぐらいならばにょきっと生えてくる。
水色オオカミの体が琥珀の液体の中に沈んでいく。
このままだと息ができなくて溺れてしまいそうですが、ふしぎとそうはなりません。どうやら竜のしずくの中では呼吸ができるようです。
すごいクスリなので、このまま一昼夜も置いておけば元気になるはず。
ですがそうはいきません。
透き通るようなアメ色の琥珀の液体。しばらくするとそのきらめきがじょじょに失われ、艶がなくなり、透明度が落ちて、にごっていく……。
「むっ、やはりひと筋なわではいかぬか」
ウィジャはすぐに二本目のフタを開けて、中身を注ぎました。これにより再びにごりが消えて、元のようにキレイな状態に。
それを見届けてから、神殿の納戸へと向かい、ここに保管されてあった三つをとってきました。
液体の色味が落ちるたびに、新しいのを投入するをくり返していると、フレイアが袋を手にして戻ってきました。
「ウィジャばあさん、これだけあれば足りるかな」
テーブルの上で袋をひっくり返すと、小ビンがゴロゴロ。その数、百と八。
「これはまた、ずいぶんと集めてきましたな、おひいさま」
「あぁ、広場でワケを話したら、その場にいたみんなが用立ててくれたんだ」
「ですが助かりました。思った以上に深刻な状況ゆえ、これぐらいあっても少々、心もとないぐらいですからの」
「ルクはそんなにダメなのかい」
「ケガもそうなのですが、むしろ心や魂のほうにひどいダメージを負うておる。いったい何があったのですかの?」
そこでフレイアは火の山での一件を、ウィジャに話して聞かせました。
これを聞き終えたウィジャばあさん。「なるほど、それで合点がいきましたぞ。限界以上のチカラを引き出すために、ほぼ暴走状態におちいったのでしょう。それをなんとか御したものの、精も根も尽きたところに向けられた人間どものみにくい感情。ほんにむごいことをする。水色オオカミにとっては、傷口に塩をぬりこむどころか、致死性の毒をぬりこまれたかのようなもの」
「実際、ひどい光景だったよ。あれは……」
助けたはずの民衆から誤解され、悪魔だバケモノだとののしられて、石を投げつけられていた水色オオカミの子ども。その姿を思い出して、おもわずギリッと奥歯をかんだフレイア。
「もしもあそこに知り合いの娘がいなかったら、私は怒りですべてを消し去っていたかもしれない。それでルクはどうなんだ、助かるのか?」
「ふむ。そこつなおひいさまにしては、めずらしくよい判断でしたの。ここに連れて来たのは」
「じゃあ」
「ええ、このまま竜のしずくを投入しつづけて、色がにごらなくなれば、きっと助かるでしょうな」
「そうか、それはよかった。これでひと安心だ。となればここはウィジャばあさんにまかせて、私はもうちょっと竜のしずくを集めてくるかな」
「それはかまいませんが、万が一ということもあるので、みんなから根こそぎぶんどるようなマネはいけませんよ」
「なっ、失敬な! ちゃんとお願いして、あまってる分をわけてもらうに決まっているだろう。じゃあ、行ってくるからルクをたのんだよ」
疑惑のまなざしから逃げるようにして、再び竜の谷へと向かうフレイア。
バタバタとあわただしく出て行く彼女のうしろ姿に「やれやれ」とつぶやいたウィジャ。長期戦になりそうなので、その準備をしに自分も席を少しはずしました。
部屋には琥珀の液体の中に横たわる水色オオカミだけに。
それを待っていたかのように、部屋の隅の影の中から、音もなく姿をあらわしたのは黒いまだらオオカミのガロン。
影から影を伝い、素早くルクが眠り続ける小皿へ近寄ると、その中にコークスより渡された魔道具「暗路鏡(あんろきょう)」をすべりこますようにして放り込み、再び影の中へと姿を消しました。
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