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95 温泉の先客
しおりを挟むモウモウと湯気の立つ場所へと近づくほどに、独特のニオイがきつくなって、鼻の利きが鈍くなる水色オオカミ。
ですがそれでも、湯けむりの向こうにいる人影には、いち早く気がつきました。
「リリア、だれかいるよ」
「おかしいな。街の連中はここがウチのって知ってるから、使うときにはひと声かけてくるんだけどねえ。大会が近いから外のヤツかな? ったく、しょうがないねえ。おーい、そこの人、ここはいちおう私有地なんだよ。かってをされちゃあ困るんだけど」
それに「知ってるよー」と答えたのは女の人の声。
胸まで湯につかった姿にて、ルクたちを出迎えたのは、大柄な小麦色の肌をした女性。荒地の乾いた赤土みたいな色の長い髪を、無造作に後ろでまとめただけの頭。目鼻立ちは整っているものの、つりあがった目尻のせいか、キツイ印象を受ける。
発達した肩の筋肉が盛りあがっており、首も太い。見えている部分だけでも、この人が屈強な戦士であることがすぐにわかるほど。
そんな人物が酒ビン片手に、温泉をまんきつしていました。
「ウチのってことは……、あんたがハスターの娘だね? 私はヤツの古い馴染みでフレイア。流しの傭兵をしているもんさ。風のうわさでヤツが死んだって聞いてね。大会の見物がてらに墓参りでもと思ってやってきたんだよ」
相手が尊敬する父親の知り合いとわかり、とたんに居ずまいを正したリリア。
そんな彼女の汗でぬれた服の様子を見たフレイア。
「とりあえず、まずはいっしょにお湯につかろうや。体を冷やしてカゼなんて引いたらたいへんだ。もちろんそっちの水色オオカミもね」
冬の日のよく晴れた青空のような毛のオオカミを見て、そう言った女傭兵。
どうやら彼女は水色オオカミについても知っていたようです。
それにしてもと、クンクンとニオイをかいでは小首をかしげるルク。目の前の女性がなんだかとってもふしぎな感じがする。ですがそのときは、温泉のせいかもと思い、とくに深く考えることもありませんでした。
と、いうより、産まれて初めてつかった温泉のあまりの心地よさに、すっかり身も心もトロけてしまって、何も考えられなくなってしまったのです。
温泉の周囲をかこんでいる縁石の上にアゴをのせて、全身を湯に沈めて、のほほんとしているルクをよそに、会話が弾む女性陣たち。
「ハスターとはヤツがまだ若い頃に出会ってね。しばらくいっしょに組んで旅をしていたこともあるんだよ」
「お母さんと結婚するまえだ」
「ああ、故郷に女を待たせてるって言ってたからね。酒を飲むたんびに惚気話を聞かされて、なんぎしたもんだよ」
「あー、そのクセって昔からだったんだ……」
「あっははは、両親の馴れ初めをえんえんと聞かされてたのかい? そいつはヒドイ、とんだ苦行だね」
故人の想い出話に、愉快そうに笑うフレイアとリリア。
「ところで、その指のタコやら、肩の筋肉のつきかたからして、リリアも弓をやるんだろう?」
「うん。じつは今度の大会に出ようかと思って」
「そうか、だったら今年は私も闘技会はやめにして、弓の方の見物にまわるかな」
フレイアはグイと酒ビンの中の残りをひといきにあおると、先にお湯からあがりました。
彼女は大会終了まで弓の街に滞在することに決めて、「また顔をだすよ」と言い残し、手早く装備を身にまとって支度を整えると、大きな剣をかついで、さっさと行ってしまいました。
大会が近いので、いそがないと酒と料理のウマい、いい宿がとれないそうです。
翌日のこと。
いつものように動かない的ではなくて、空中に次々と飛び出した薄い氷の板を、バンバンうち落としていたのはリリア。
弓術大会の制射の部では、用意された台座の上に立って、宙を飛びかう木の的を射る。だけど一人での練習だと、それができません。
街にある訓練場ならば係の人の手をかりて可能なのですが、ふだんならばともかく大会直前では、大勢が押しかけて順番待ちだけで日が暮れちゃう。
そこでルクが協力を申し出たというわけです。
より本番に近い形で練習ができて、これにはリリアも大助かり。
そんな彼らのところに、ひょっこりと顔を出したのはフレイアさん。
「右方向の的を狙うときに、すこし視線がゆれてズレてるね。腰から上だけをひねるんじゃなくって、軸足のかかとをつけたままで、弧を描くように目標につま先を向けて、足全体を動かすようにしてやってみな」
助言に従ったとたんに、自分でも安定感がましたことがわかったのか、おもわず「すごい」とつぶやくリリア。
それを見てフレイアさんは「言われたことを、すぐに出来るほうが、よっぽどすごいよ」と笑みを浮かべました。
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