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76 駿馬
しおりを挟む朝モヤの中、ダイアスに「ちょっと草原を散歩してくる」と言って、デュカ族のもとから駆け出した水色オオカミのルク。
ウマたちの姿が完全に視界から消えたところで、ちょっと本気を出す。
すると首に巻きついていたヘビのココムさんが、「うひょー」と声をあげました。
「はやい、はやい。世界がどんどんと後ろに流れていく。これがウマたちが見ている景色かぁ」
興奮するえりもとのココムさんに、「しっかりつかまっていてよ。もうちょっと急ぐから」とルク。とたんに「ひえー」との悲鳴が朝一の草原に響き渡りました。
誰もいない早朝の野原を駆けていたのは、灰色に近い白い色をしたウマのノット青年。
けっして速くはない。だけど遅くもない。目を見張るようは速度は出ていない。
しかし見る者が見れば、その歩みが奇妙なことに気がつく。
まるで判で押したかのように、同じ動作をくりかえしている。
全身が汗ばんで湯気を立てるほどにも、長い時間を走り続けているというのに、そのフォームが乱れることはなく、リズムや呼吸も一定を保っている。アゴが開いて、首が上下することもない。
目を閉じてヒヅメが立てる音だけに耳を傾けていれば、熟練した奏者が同じ調子にて、延々と太鼓をたたき続けているかのよう。
どこまでも規則正しい走り。
はやる気持ちを抑え、自身の心を律し、体を制する。
それを続けることが、どれだけ困難なことであるか。
これをなしている時点で、その精神は鋼のごとし。
彼の走りは矢のように風を切るものではない。どこまでもどこまでも夜空を飛び続ける流星のようなもの。
シルビアはそれを知っていたからこそ、彼に「あなたは風になれる」と言い続けていました。なのに当の本人はいまいち自信が持てない。気弱さは彼の生来のやさしい性格にも起因していること。
頭の中にある大切な想いを忘れるかのように、黙々と駆け続けるノット。
その前にのっそりと姿をあらわしたのは水色オオカミの子ども。
ずっと彼の走りを隠れて見ていたのです。
「やぁ、ボクは水色オオカミのルク。よろしくね。あなたがノットさんだよね?」
声をかけられて訓練の足を止めたノット。
わずかばかりに呼吸が乱れて胸が上下しているものの、それもすぐに落ち着く。
その姿を見て、「へえー」とルクは感心しました。
いかに御使いの勇者とて、走り続ければつかれるし、呼吸も苦しくなります。翡翠(ひすい)のオオカミのラナとの修行の間には、なんどもバテバテになったものです。だからこそ、彼の驚異的な持久力に内心でおどろいていたのです。
水色オオカミがこのたびの風の儀の見届け役となったことは、昨日の会合の現場にも立ち会っていたのでノットも知っています。ですが、そんなオオカミがどうして自分なんかの前に姿をあらわすのかと、いぶかしがっている。
だからまわりくどい表現はやめて、直球にてルクはノットにぶつかります。
というか彼にはそんな芸当はムリ。
「ノットさん、どうか選考会に出て下さいー」
四肢を大地にべちゃーと投げ出しての、お願いのポーズ。
人間の身に置きかえると、いきなり土下座をされたようなもの。しかも天の御使いとか言われている、よくわからないけれども、セルジオじいさんいわく、とっても尊い相手に。
これにはノット青年もオロオロと困惑するばかり。
するとここで、ずっと水色オオカミの首に巻きついていた、小さなヘビのココムさんが助け船を出しました。
「おいおい、ルク。いくらなんでも説明が足りなさすぎるよ。ノットさんがわけがわからずに困っているじゃないか」
あとは任せろとばかりに引き受けたココムさん。
ダイアスの本心と覚悟。シルビアの想い。そして彼自身の持つチカラについて、こんこんと説く。
「選考会に出るとか息巻いているほかの連中じゃあ、万に一つも勝ち目はない。なんとかなりそうなのは、おまえさんぐらいだよ」
言いたいことを語り終えたココムさんが最後に口にしたのは、「天の御使いの勇者である水色オオカミがお墨つきを与えたんだ。ホレた女のためにも、ドーンと当たって砕けてこい」
ルクとココムに後押しされたノットさんは、意を決して選考会に参加。
ふだんから引っ込み思案ゆえに、あまり表にでることのない彼の走りを知らなかった仲間たちは、おどろきを隠せません。なかには露骨にバカにするものまで。
ですがフタを開けてみれば、ノットさんの圧勝で選考会は幕を閉じます。
なにせみなはムダに鼻息が荒く、イキリ立ち、お互いを意識するあまり、自分を見失ってはチカラの配分も考えずに張り合うものですから。
スタート直後こそは矢のように飛び出し、調子にのっていたものの、中盤以降はバテバテ。
それまではずっと体力を温存して、自分の体が温まるのを待っていたノット。
いい具合に筋肉に血がいきわたり、ほぐれてきたところで、団子状態の先頭集団をいっきに抜き去り、そのまま最後までペースを落とすことなく、見事に勝利を決めました。
堂々と勝ち名乗りをあげたノットさんを見つめるシルビアさんの笑顔を見届けてから、ルクたちはデュカ族のもとへと戻りました。
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