102 / 106
102 尾廓・第三幕 後編
しおりを挟む夜の九時を少しまわった頃であろうか。
唐突にサイレンが鳴り響いた。
空襲警報だ。
だが、ここ下出部の里には狙われるようなモノなんて何もないから、敵機の編隊は上空を通過するのがつねであった。
けれどもその日はちがった。
いや、里は素通りされたのだが、その先にある町が標的にされたのだ。
山向こうが急に明るくなり、風に乗ってかすかに聞こえてくるのは爆撃の音。
隣町が空襲にあっている。
それを知って佳乃さまは従者の青年が止めるのも聞かずに駆け出していた。
隣町は自分の管轄ではない。領分ちがいだ。
だが、あそこにはかつて世話を焼いたことがある娘の子孫が暮らしている。その子孫たちはいまも佳乃さまに感謝をしており、年に一度は家族そろって参拝にくるほど。
さすがにこんなご時世なので、全員がそろうことはなくなっていたが、それでもこまめに一族のうちの誰かがやってきては、境内の掃除や社の手入れなんぞをしてくれていた。
彼らに奇禍がおよぶと知って、佳乃さまは矢も楯もたまらず。
しょうがないので従者の青年もついていく。
そうして隣町へと駆けつけたふたりが目にしたのは、無惨に破壊された町並みと紅蓮の炎だ。
「おぉ、なんと惨いことを」
佳乃さまは嘆き悲しむ。
従者の青年がそんな主人の袖をクイクイと引く。
「御方さま、あの者らの家は無事のようです。ですが、このままだと延焼はまぬがれないかと」
それを聞いて佳乃さまは、キッと天をにらみ両腕をかざした。
雷雲を呼んで、雨を降らし、この火災を鎮めようとする。
しかし従者の青年は「いけません。そんな力を使ったら……」と止めようとするも、佳乃さまは首を横に振り、けっしてやめようとはしなかった。
じきにどこからともなく暗雲が垂れ込め、ぽつりぽつり。
降り出した雨はじょじょに勢いを増していき、町を蹂躙しようとしていた火をたちまちかき消していく。
おかげで被害は最小ですんだ。
でも……
「御方さま! 御方さま! どうかお気をたしかに」
倒れた御身を抱きかかえ、従者の青年が必死に呼びかけるも返事はない。佳乃さまはぐったりと身を預けるばかり。
「どうして、どうして貴女はそこまでして……」
慈悲深さゆえに己が身すらも削り続ける女神の献身を前にして、従者の青年がギリリと奥歯を噛みしめる。
やり場のない怒りと悲しみが混じったつぶやきは、雨音に消されて誰にも届かない。
〇
第三幕の人形浄瑠璃の劇が終了した。
「……いけない、いつまでも呆けていないで燭台の蝋燭の火を消さないと」
わたしは席を立ち燭台のもとへ。
灯っている小さな火は、ほんの少し強めに息を吹きかければ、たちまち消える。
なのにそのほんのちょっとの息がうまく吐けない。
唇が震え、舌も軽くしびれている。
三度目にしてようやく消せた。
ハァ……ハァ……
まだドキドキしている。心なしか胸がチクチクして苦しい。
人形劇を通じて佳乃さまのことを知れば知るほどに、わたしの背に重たい何かがのしかかってくるような感覚がある。
わたしの様子がおかしい。
そのことに目敏く気がついたジンさんが「やはりそうであったか」と言った。
「これはただの観劇なんかじゃない。立派な試練の儀だ。かといって、これまでのようなドタバタしたものではない。
単純に競争をしては勝敗を競うのではなくて、心を責めるモノだ」
人形劇を観て、燭台の火を消す。
第七の試練の儀において、碓氷より海夕に課せられたのはたったこれだけ。
一見すると簡単そうだが、裏を返せばすべての選択は海夕にゆだねられているということになる。
今度ばかりは仲間たちも手を貸せない。
だが、もしも火を消せなかったら?
もちろんこちらの負けになる。
でも幼子にだってできる簡単なことをさせないなんて、本当にできるのであろうか。
そのために必要な『何か』をより効果的に知らしめるための布石、それが第一から第三の幕の人形劇。
つまり碓氷は人形劇を通じて海夕に心理戦を仕掛けているということ。
というのがジンさんの見解であった。
これを聞いてカクさんは「心を攻める……いや、この場合は責めるが適切か。ずいぶんとえげつないマネをする」としかめっ面。ここまで黙っていた一枝さんも「あのやろう。いくら力をみんなに分け与えて懐事情が苦しいからって、よりにもよってこんな方法を取るだなんて!」とプンプン怒っている。
しかし当の仕掛けられているわたしだけが意味がわからずに、首を傾げるばかりであった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
私が公爵の本当の娘ではないことを知った婚約者は、騙されたと激怒し婚約破棄を告げました。
Mayoi
恋愛
ウェスリーは婚約者のオリビアの出自を調べ、公爵の実の娘ではないことを知った。
そのようなことは婚約前に伝えられておらず、騙されたと激怒しオリビアに婚約破棄を告げた。
二人の婚約は大公が認めたものであり、一方的に非難し婚約破棄したウェスリーが無事でいられるはずがない。
自分の正しさを信じて疑わないウェスリーは自滅の道を歩む。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる