下出部町内漫遊記

月芝

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095 大切な名前

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 本を読み進める――

 少女はさる貴族のご令嬢にて、彼女の屋敷に居候することになったムーさんは、いろんな出来事を経験していく。
 少女と共に歩み、彼女の成長を見守り続けるムーさん。
 でも、ついに別れの時が訪れた。
 少女はいつしか乙女となり、恋を知り、結婚して、母となり、孫が産まれて……
 かたやムーさんは歳をとらず。スーラとは悠久の刻を生きる者ゆえに。
 ふたりの時間の流れにはちがいがあったのだ。

 最後の夜。
 床に臥せる老嬢のかたわらにはムーさんの姿があった。
 つらつらと昔話に華を咲かせるうちに、老嬢は眠るようにして安らかに逝く。
 そんな彼女が最期にムーさんに残した言葉は『どうか自由に生きて下さい』というものであった。
 これを受けてムーさんはふたたび旅立つ。

 ……と、ここまでが物語の前半にて第一部に相当している。
 ざっと流し読みながらも、第一部の終わり方があまりにも切な過ぎて、わたしたちはそろってグスンと鼻をすすり目頭をおさえずにはいられない。
 どうせよくある異世界ファンタジーでしょう、と舐めていたことをおおいに反省する。
 そしてそれと同時にふつふつと湧いてくるのは怒りだ。
 せっかくの本を、作品を、感動を台無しする悪質なイタズラをした輩を、可能ならば呪いたいぐらいである。「なにしてくれてんだよ、コノヤロー、バカヤロー」である。

「まったくだよ、タンスの角に足の小指をおもいきりぶつけたらいいのに」

 と一枝さんもたいそうご立腹にて。
 一方でジンさんとカクさんは「あんた漢だぜ」「見事な忠節、あっぱれ」とムーさんをポヨンポヨンと叩いている。
 でもって、されるがままにプルルンと震えていたムーさんはというと、なにやらじっと考え込んでいるみたい。
 かとおもったら突然、その身がびよ~んとのびて《あーっ!》

《思い出した! クロアだ。彼女の名前はクロア・ランドクレーズ!》

 どうやら物語をなぞることで刺激を受けたせいか、彼の記憶の奥にあった引き出しのカギが開いたっぽい。
 クロア・ランドクレーズ。
 それこそが少女の名前にして、ムーさんがどうしても取り戻したかった大切な想い人の名前であった。

 なんとも意外な形にてミッションを達成しちゃったものの、結果オーライにてわたしたちも「やった」「よかったね」とはしゃぐが、そのひょうしにバサリと落ちたのは本のページの一部。
 ばらけたのは物語の終盤の方にて、「あっ、いけない」とあわてて拾い集めたわたしは、なにげなく紙面に目を通して「えっ」

  〇

 異世界を作った創世の女神さまとの邂逅の場面にて――

「自身の体を使っての世界の浄化、その使命を全うするためだけに存在し続ける、とても長い時間を。もしも高い知能があった場合、果たしてどうなると思う?
 答えは、狂っちゃうの。ずっと暗い独房に放り込まれていると、人の精神がまいっちゃうみたいに、いずれ心が潰れちゃうの。
 神竜も言っていたでしょう。『運命なんてモノは存在しない』と。
 それが産まれた瞬間に確定する。その重み、苦痛、恐怖、閉ざされた未来、絶望には何人も抗えない。
 ドラゴンが悠久の時を生き永らえられるのは、選択の自由が与えられているから。
 神にしたってそうなの。みな未来を選び取れる可能性があるからこそ、今日を頑張れるの、明日へと歩いていけるの。
 でもスーラにはそれが許されない。
 だったらせめて苦痛を感じないようにしたいと私は考えたの……」
《それが知能の剥奪だということか……なるほど、確かに母の愛だな》

 スーラは存在そのものがこの世界の浄化装置。
 世界に蔓延する悪いモノを自然に吸収しては濾過することで、世界を清浄に保つ役割を担っている。
 だから本来ならば知能も自我も持たない。
 けど、ムーさんは前世の記憶を持った転生体にて、無いはずのモノを得てしまった。
 ゆえに長い旅路の果てに待つのは……
 いくらなんでもあんまりだと、これを気の毒におもっての女神さまからの救済案に対して、ムーさんこう答えた。

《あぁ、オレはこの道を行く。とびっきりいい女と自由に生きるって約束したからな》

  〇

 自分が世界を維持するための歯車に過ぎず、どれだけ足掻こうともそこからは抜け出せない。ばかりか、いずれは自分が自分ではいられなくなる。
 物語の結末、ムーさんが辿る過酷な運命を知って、わたしは口元を手でおさえわなわなと震えた。
 なのに当のムーさんは笑っていた。
 笑って《ありがとう》との礼を述べては、その姿がにじんでぼやけて消えていく。
 忘れていた大切な人の名前を思い出し、自分のあるべき世界へと帰っていくのだ。

 ムーさんが消えたあとには『青のスーラ』の本が残されてあった。
 キレイなものにて、どこにもイタズラをされていない。
 これでミッションクリアだ。
 だけど、ムーさんの末路を知ってしまったわたしの表情は晴れなかった。

 ハッピーエンドばかりじゃない。
 バッドエンドもあれば、モヤモヤしてすっきりしないメリーバッドエンドなんかもある。
 きちんと締めるパターンもあれば、あえて輪を閉じずにちょっと想像の余地を残しておくこともある。
 それが物語というもの。
 ムーさんはしょせん小説のキャラクターだ。
 現実じゃない。頭ではわかっている。
 それでもしゅんとなる。
 第六の試練の儀をクリアしたことに浮かれる仲間たちをよそに、ひとりうなだれているわたし、その肩に優しく手をのせたのは文花だった。

「ミユウは優しい子ね。でも、それは同情かしら? もしもそうならムーさんに失礼というものよ。彼は自分で自分の進むべき道を決めたの。その覚悟を否定する権利は誰にもないわ。それに、ね」

 文花がわたしにだけ聞こえるように、耳元でそっとささやく。

「物語のあとの物語もじつはちゃんとあるの。
 一冊の本としては完結していようとも物語の輪は閉じていない。
 なかの世界は終わらずにあって、まだまだ続いている。
 気づいていないのは、知らないのは傍観者である読者だけ。
 ふふふっ、もしかしたら貴女や私もまた、どこかの誰かが書いた物語の登場人物なのかもしれないわね」

 にんまり微笑んだ文花、その頭に耳がぴょこっと生えて、お尻からはフサフサしたしっぽも。
 そしてドロン!
 オレンジ色の毛並みも美しいキツネの姿となった。


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